二十世紀の前半まで、カメラはレンジファインダー機が主流だった。
日本の35mmカメラ製造もまた、まず、ドイツ・レンジファインダー機のコピーから始まった。
日本製カメラの信頼性や性能の高さは、まずアメリカの報道カメラマンたちによって認められた。
そうしてカメラ製造は、その後の日本の戦後復興に貢献していくことになるのだ。
レンジファインダー機が果たした役割は、多くの意味においてけっして小さくはなかったのだ。
ここにご紹介する2本のレンズは、そんな時代に製造されたものだ。
キヤノンのレンジファインダー用テッサー
CANON LENS 50mm 1:2.8
ミノルタレンジファインダー用スーパーロッコール
CHIYOKO SUPER ROKKOR 1:2.8 f=5cm C
マウントはバルナック・ライカと同じLマウントだ。このマウントのレンズもまた、一眼レフでは使用できなかった。
ミラーレスの登場によって、一気に日の目を見ることになったのだ。
CANON LENS 50mm 1:2.8
当時のキヤノンは、ほかのメーカーと比べて異質なスタンスを持っていた。
ほかのメーカーが一眼レフにシフトしていく中、レンジファインダー機に固執し、一眼レフの開発では大きく出遅れてしまったのだ。
それなら保守的なメーカーだったのかというと、そうでもない。
やっと出した一眼レフ「Rシリーズ」は、保守性などみじんも感じられない、飛び抜けたデザインと操作性を誇った。
結果は惨敗だったものの、非常にユニークな発想をする人がマネージメントをしていたのだろう。
メーカー名の「キヤノン」にしても英語から来たものではない。「観音→クヮンノン→キヤノン」と、おどろくべき?変化を経たものなのだ。
だが、レンズ自体は強いクセを持つこともなく、モノクロ時代のレンズでありながら発色もよく、非常にすなおな描写をするのだからなんとも言えないのだ。
CHIYOKO SUPER ROKKOR 1:2.8 f=5cm C
CHIYOKO とは千代田光学のことで、ミノルタの前身だ。
のちのミノルタで長く使われる「ロッコール」名は、この時代から使われていた。
ロッコールとは、もちろん六甲山から得た名前だ。
このレンズは、画面サイズ24×32mmで設計された。
35mmフルサイズの画面サイズが24×36mmだから、横幅が4mm短い。
つまり、8枚撮影すると合計で32mm短くなり、1コマ「お得」になる。
なにもかもが足りなかった時代の、庶民のための知恵だったと言える。
だがそのために、レンズのイメージサークルもやや狭く設計しているのだろうか、画面周囲にはケラレが出た。絞り値によってはそれがさらにはっきりする。
APS-Cモードで撮影するか、トリミングするかすれば無問題なのだが、ここではそのままにした。
Rolling Stones - Coming Down Again