水辺の世界。水辺の世界は、いつでも豊かであり、多様な表情をいつでも見せる。
 

フィルムカメラ時代に撮影した水辺の写真をここにまとめたい。ここに自分がいたということが、なにか不思議なことのように思えるのだ。

 


 

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ただ午睡の中にあるかのような、小さな沼。
この暖かな日に風が運ぶものは、いつでも笑いさざめく声ばかりだ。

 

 

 

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木々は、自分でその場所を選ぶことなく、そこに茂る。
豊かな水。木々はここにくりかえし生まれ、そうしてくりかえし還って行くのだ。



 

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牧場のそばにある、雨の日の沼。
柵の内にも外にも、生きるものは雨に濡れ、しかし生は聖へと転化して行く。



 

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驟雨。水面(みなも)は驟雨を受け、そこに波紋は明滅し、だがその明滅の場に音楽は奏でられる。


 

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冬の日、水面に眠る鳥たち。塔の影の中に鳥たちは眠る。
影はいつでも眠りの場となり、眠るものたちをただ見つめる。



 

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まだ、春先。
夏になれば緑の帽子を被ったかのように、この小さな島は笑顔を見せる。
だが、まだ春先。いまはただ彩られることを待つ、水面の木々の姿。



 

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水路にある、魚を捕るための罠。人の営為は水辺に広がっている。
人の姿は見えず、ただどこかから、人の声だけが聞こえてくる。



 

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くりかえし、水面から魚が飛び出す音が響いた。
水面の下の、魚たちの生きる領域。そこから、自分たちが住めない領域へと飛び出そうとするのか。
だが、そこに、生きるものの歓喜はあるのだろう。



 

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古い城跡の堀を、落ちた桜の花が覆う。花を落とした木々がそれを見つめる。
木々は夏に向け、葉を茂らせなければならないのだ。夏の陽射しを受けるために。



 

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水の流れに従い、花々は流れて行く。
望んで流れているのではない、ただ、あるべき場所へと向かうのだ。




フェルンド・ソルのギター音楽。水辺の音楽だ。

Fernando Sor - Narciso Yepes "Guitar Etudes"
 - Op.29-2 Op.35-4 Op35-8 - [Vinyl record]



 

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夏に入ったこの時期、水面は対称であるものを示す。
まるで、いつでも、どこにでもそれがあるかのように。


 

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風が、雲が、地にあるものと重なる。
木々は空と雲を見つめ、幻想の天空は木々に微笑みかける。



 

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迷い込んでしまうのだろう、水面の、陰のある場所に。
旅人たちは、妖精の待つ小さな館に導かれ、だがかならず帰ってこなければならないのだ。



 

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春に、水面の木々は、まるで笑顔で行列を作っているかのようだ。
行列を作り、背伸びをする緑。春に、水面は楽しいおしゃべりの場となる。



 

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水が入り込み、枯死した木々。
だがそれは、すでに五十年近くも前のことなのだ。
木々が「そこにあった」ことが、ただ「形」によって示されるのだ。


 

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さざなみはそこに取り残された木に戯れる。古い木。だが枯れ木ではない。
枝に緑は茂り、そこに鳥たちは集まり、日々、歌いかける。



 

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嵐の前の水辺。
黒い雲が地表近くまで降りてきている場所は、もう土砂降りなのだ。
監視塔はやがて来る嵐を見つめ、水面はざわめく。



 

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冬の日に、霜が下りている枯れ草の群れ。霜に白く輝く枯れ草。
鳥たちはそんな水面に眠り、眠ったままに静かに漂う。



 

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船着場に舟はなく、船着場は、舟が戻るのを待つ。
雲は降りてくる。雲の流れは、人と同じ高さにあり、そうして、かなたの水面に融合する。



 

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浅瀬で水は、それぞれの場所でそれぞれのかがやきを見せる。
水の流れの音。それは終わることなく、止まることもない音楽だ。



 

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人の生活の場からは遠く離れた場所に、破壊されずに残る領域がある。
水の流れは笑いさざめきながら、木々を、野を、通り過ぎていく。
光の中の離別。いっさいが、笑いさざめきながら挨拶をする。

 

 

 

 

J.S.BACH "Fantasie und Fuge A-Moll BWV 904"

 - Kurt Redel - Munich Pro Arte Chamber Orchestra