ついさっきまで晴れていたというのに、曇るや否や雪が降ってきた。
細かい雪が風の中で渦巻いている。(2/1)
三島由紀夫「金閣寺」の柏木。
彼は認識の海を見渡しているのではない。海の底で、嵐に怯えることもなく眠っているのだ。無限の海の中で。(2/3)
起き上がりたくない朝。
── 窓を開けると、かすかに雨上がりの香がした。(2/2)
町の中に比べて、郊外ははるかに風が強い。川は水量も少なく、いつもより川原は広くなっているように見えた。
枯れたきゃしゃな植物群は、風によって皆同じ方向に傾いていた。
いつの日かの暖も、ここではすっかりどこかに吹き流されていた。
なんの音も聞こえはしなかった。風の音ばかりだった。(2/7)
「南泉斬猫」。
南泉は猫そのものを斬り、趙州は猫の美しさを斬った。
南泉は猫の存在を否定し、趙州は猫の存在を肯定した。(2/3)
夢。体の不自由な少女の家の近くから、山の方へ僕達は入って行った。切り崩された断崖を通り過ぎ、── その先には木々におおわれた瀬があった。
その友は、僕をいろいろな所に案内してくれた。(2/3)
近くにいれば全体がわからないが、離れすぎると見えなくなる。(2/27)
「日本カメラ」:諸星和夫
この地方は農業も漁業もそう盛んではない。男衆はほとんど出稼ぎに出ている。猫の額ほどの土地に小さな家がうずくまっている寒村である。
正月前に出稼ぎから帰ってくる男たちを、女たちが小さな駅で長い時間待っていた。
私はたまらなく涙が出てきた。その涙が東北の悲歌だと思う。(2/6)
冬の日の、冷たく乾いた風。いつの日か、僕が死んでゆくときも、こんな風が吹いているのだろう。(2/4)
端正なたたずまいの通りの中を、思い思いの方向に歩く人々。(3/20)
ある種の文化人たちは自嘲気味にこう話す。
「日本語ほど非論理的な、まとまりのない言葉があるだろうか」。
ところで僕は、そんな種類の言葉を話せることを嬉しく思っている。論理の棹に縛られていない言葉は、どれほど無限の可能性を持つことだろう。(2/4)
細かい雪が風の中で渦巻いている。(2/1)
三島由紀夫「金閣寺」の柏木。
彼は認識の海を見渡しているのではない。海の底で、嵐に怯えることもなく眠っているのだ。無限の海の中で。(2/3)
起き上がりたくない朝。
── 窓を開けると、かすかに雨上がりの香がした。(2/2)
町の中に比べて、郊外ははるかに風が強い。川は水量も少なく、いつもより川原は広くなっているように見えた。
枯れたきゃしゃな植物群は、風によって皆同じ方向に傾いていた。
いつの日かの暖も、ここではすっかりどこかに吹き流されていた。
なんの音も聞こえはしなかった。風の音ばかりだった。(2/7)
「南泉斬猫」。
南泉は猫そのものを斬り、趙州は猫の美しさを斬った。
南泉は猫の存在を否定し、趙州は猫の存在を肯定した。(2/3)
夢。体の不自由な少女の家の近くから、山の方へ僕達は入って行った。切り崩された断崖を通り過ぎ、── その先には木々におおわれた瀬があった。
その友は、僕をいろいろな所に案内してくれた。(2/3)
近くにいれば全体がわからないが、離れすぎると見えなくなる。(2/27)
「日本カメラ」:諸星和夫
この地方は農業も漁業もそう盛んではない。男衆はほとんど出稼ぎに出ている。猫の額ほどの土地に小さな家がうずくまっている寒村である。
正月前に出稼ぎから帰ってくる男たちを、女たちが小さな駅で長い時間待っていた。
私はたまらなく涙が出てきた。その涙が東北の悲歌だと思う。(2/6)
冬の日の、冷たく乾いた風。いつの日か、僕が死んでゆくときも、こんな風が吹いているのだろう。(2/4)
端正なたたずまいの通りの中を、思い思いの方向に歩く人々。(3/20)
ある種の文化人たちは自嘲気味にこう話す。
「日本語ほど非論理的な、まとまりのない言葉があるだろうか」。
ところで僕は、そんな種類の言葉を話せることを嬉しく思っている。論理の棹に縛られていない言葉は、どれほど無限の可能性を持つことだろう。(2/4)








