インターネットとは
どのようなものなのだろう
情報収集の場であり
自己表現の場であるのだろうか
検索エンジンをつかって
調べたい言葉とか
有名人とか
植物とか
嘘か本当かは別として
一気にたくさんの情報を得ることが可能な
とっても便利なインターネット
ブログを通して
お店の宣伝とか
今日あったいいこととか
最近ハマってることとか
自分の家族のこととか
超ムカつくこととか
自分のことをたくさん書いて
ちょっとスッキリするインターネット
そして
コメントなんかもらっちゃったら
すっごくうれしくなったり
私の記事を読んでくれる人がいるんだ
なんて思ってつぎの記事を書き出す
今度の記事には
なかなかコメントがつかない
やっぱり私の記事は読まれるものじゃないよね
なんてちょっと沈んだかんじに一日がはじまったり
こんな日は
まわりがいつも以上に他人に見えたり
明るいニュースにちょっとケチつけたくなったり…
ちょっと大げさだったかな
(私を含む)人はなぜ
読まれるか読まれないか
そんなのわからないブログを入力するのだろう
きっと
誰かが読んでくれる
とかいう期待を持っているのだろう
どうして
ブログを読んだ人の何人かは
コメントを残すのだろう
そのまま素通りしてしまえばいいのに
読んだ記事の
なにかに心を動かされ
残してしまうのだろうか
顔もしらない
話したこともない
どんな人なのかもわからない
そんな
まさに他人
といってもいい関係
そんな人の
独り言を読んで
勝手に共感したり反発したり
リアルな世界でこんなのなかなかないよね
と言いたいところなのだけれども
よくわからないが
最近はそんな関係が成り立ってもおかしくないようだ
人間はインターネットの形式に取り込まれつつあるようだ
しかし
そのリアルでの行動は
必ずインターネットからはじまり
リアルに持ち込まれたときには
もう既に「他人」なんていう関係ではなくなっている
と言ってもいいかもしれない
やはり人間はいつも
なにかを支配しようとしても
結局支配されてしまうのか
たとえ自らが作り出したものでも
インターネットの世界での情報発信は
とても厳重に行わなければならない
と私は思うのだけれども
どうなのだろうか
軽率な行動をとったとしたら
それは自己責任
しかし
インターネットの世界には
私には理解できない
不思議な立場にいる人々がいる
軽率な行動を見せ物のように広める
なんていうお仕事があるそうだ
これは儲かるものなのだろうか
まるで見世物小屋のよう
最近目につくのは若者の軽率な行動
なぜこのような自分の姿を
公開してしまうのだろうか
まさかこれが
かっこいい
なんて思っていたりはしないだろう
これは
自立しきれていないがための行動なのではないか
手首を切ることにより…
耳に穴をあけることにより…(宗教的なものは別として)
髪色を変えてみることにより…
自分の身体になにかをすることで
自分の身体は自分のもので誰にも左右されない
というのをあらわしているようにみえる
しかし
最近の行動は
自分だけではとどまらないようだ
どうしてそうなってしまったのだろう
最近の行動
というのだけれど
これは
最近のことではなく
いつの時代でも
起こっていたのではないか
情報公開の場の普及により
よく目にするようになっただけであり
決して今流行っていることではないのではないか
そのようなことは分かりもしないし
わかったところでなにかになるわけでもない
不景気と言っていい今の日本
世の中が暗い
人は他人とのあいだの沈黙が
どうにも耐えられない
耐えられないがために
急にしゃべりだしたり
明るくしようとしてみたり
逃げたり
コスト削減で
採用人数が減る
就職
人はますます排除されている
排除されれば
ひとりになってしまい
さみしくなる
誰かに認められたい
目立ちたい
なんて心が生まれて
世間に自分の醜態をさらす
注目されて思いどうり
めでたしめでたし
と思っているのだろうか
こんなことは許されていいのだろうか
それを
他人がミセモノにする
自分の手柄のように
「正義の味方」
という位置づけなのか
若者を正しい道へ導く
なんていう気持ちはさらさらなさそうである
どうしたらいいのだろうか
この「正義の味方」は
暇人なのか
インターネットでのコミュニケーションは
「孤独」そのものである
自分のことをただ羅列する
この「孤独」同士の交わりが
「孤独」でなくなることができる
と都合良く事は進まず
ただの「孤独」の集合体にしかならない
もっと
リアルの空気に自分という濃度を濃くしなければならない
そして「孤独」な人をリアルの世界にひっぱりだす
表面的な付き合いではなく
互いに向き合ってつながりをもってゆけば
少しは世界がかわるのではないか
と
言う私が一番「孤独」から抜け出せないのだろうか
