懐かしいことを思い出した、 山口達也の話 | GreenCherries'Diary

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biceのこと、自分のこと。
思い出したこと、思い出したいこと。

いつも、どの時代にも
私には、年上の憧れの男の人がいた。

自分には無いものを持っていて、
どんなことを言ってもそれなりの態度で聞き流してくれて、
私が本当に困った時にはひとこと 手を差し伸べてくれる。
そんなひと。

その対象は身近にもいたし、
いわゆるタレントのような偶像(わかりやすくいえば)に
向けられることもあった。

なにがきっかけで、どんな始まりだったのかは
もう思い出せないのだけれど。
とにかくそれの始まりは山口達也だった。

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小学生の自分、
デビュー前のたっちゃん(色白美少年期)がとても好きで、
強い憧れを持っていた。

恋心のようなものもあった気がするし、
それ以上になんだか絶対的な存在に見えて、
憧れて憧れて、彼のようになりたいと思ってたんだった。

まる10歳離れてたけど、
なんだかたまに逢う親戚のお兄ちゃんくらいの近さで、
たっちゃんを見てた。

うちにはBSがなかったから、
TOKIOがレギュラーだったNHK「アイドルオンステージ」は見られなくて、
たまに見かけるMステのバックダンサーとか、
ドラマやCMの仕事くらいが彼を見られる機会だったと思う。

『同窓会』なんていう衝撃的なドラマもあって、
今だったらその内容に興味を惹かれたのかもしれないけど、
当時はなんか、ちょっと、怖いような気もしてた。

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中学になるとTOKIOがデビューする。
グループサウンズ的なふれこみで。

5歳上の実姉が智也のファンになったおかげで、
初期の曲はアルバム曲も含めて、全て聴かせてもらえてた。
智也がたっちゃんのメインポジションを奪った格好だったから、
本当は智也のこと、好きじゃなかったけど。
でもグループとして、TOKIOは好きだった。

お姉ちゃんからはライブ(ジャニ的に言えばコン)の話とか、
深夜時代の『鉄腕DASH』のあほ企画に参加した話とかも、
リアルで聞かせてもらってた。
早朝の戸越銀座商店街にファンをぎゅうぎゅう詰めにして、
その中をTOKIOメンバーが競歩で駆け抜けるとか・・・
今思い出してもくだらなすぎて笑える。(ほめ言葉)

ちょっとうらやましいような気もしてたのかな。
わからない。
でも自分には遠い話だったし、普通に楽しく聞くだけだった。

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高校時代、TOKIOは混迷期に入った。

音楽はHR/HMを経由した後、わけわからないものになったし、
たっちゃんはぶくぶくと
そりゃもうぶくぶくと太った。
それはもう顔から油がしぼりとれそうなくらいに。

当時の自分はと言えば、
人生で唯一 学生を謳歌していた時期で、
かつ 家が面倒くさいことになってて近寄りたがらなくなってたから、
Mステすらチェックしなくなってた。
お姉ちゃんも現場からは離れてたし、
アルバム曲が耳に入ってくることもなくなってた。

ついでに、
身近に憧れまくりの絶対的な存在ができたせいか、
たっちゃんは頭から薄れてった。
(たっちゃんの頭が薄れていったわけではない)

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大学時代。

・・・というか、家庭の事情とやらで大学へ行かれなくて、
バイト生活をぶらぶらと続けることになった暗黒の時代。
この時代は本当にもうたっちゃんと共にあった。

身近にいた憧れの人と一時逢えなくなったこともあり、
まるですがるようにたっちゃんのことを頭に描こうとしてた。

中古屋さんに通いまくって、
自分では買ってなかったCDたちを集めまくった。
もちろん原宿のショップにも行ったし、
古くて手に入らない写真を探しに中野ブロードウェイへも通った。

もう既に大して人気なかったから、
写真も1枚100円しなかったりしてたけど。
でもそれを1枚1枚吟味して、
中野へ行くたび少しずつ買って帰ってた。

コンサートのパンフ、ファンクラブ会報、限定販売のビデオ、
ポスターにうちわにクリアファイルに、
長い時間をかけてなんでも揃えた。
アイドル誌以外のバックナンバーを探すのは大変だったけれど、
集めるほどに自分が満たされていく気がした。

実際 切り抜きの中のたっちゃんの顔は
戸惑うばかりの現実から、自分を解放してくれてた。

中でもエネオス灯油の特大ソロポスターは本当に大好きで、
何年も何年もエレピの前に貼りっぱなしだったっけ。
たっちゃんがあたたかい顔で微笑んでくれてたから、
ひとりきりでもどうにか立っていられた。

YouTubeなんて無かったし、
オークションすらまだ身近に感じられない時代だったし、
そもそも自宅にパソコンなんぞなかったのだけれど。

店に通ってはグッズを集めて、
自宅ライブラリー(笑)をあさっては古い映像にかじりつき、
眠る間際まで写真を眺めて、
ずっとずっとたっちゃんを想ってた。



この時期初めてライヴにも行ったんだよね。

HIKARIさんや久保田光太郎らの作家陣と共に
TOKIOの音楽がとんでもなく素晴らしくなった時期。
超絶名盤『5 AHEAD』が発表されて、
あぁこんなのを演ってくれるバンドなら
男の自分でもライヴに行かれる、そう思って。

バイト先の飯田橋からすぐそばの九段下 武道館へ。

黄色がたっちゃんのイメージカラーだからって、
レモン色のTシャツに着替えて、
パステルイエローのコンバースを履いて、
腕に山吹色のバンダナを巻いて、
手にはもちろんダイソーの黄色サイリウムを握って。

ものすっごい注目を浴びたけれど、
とにかくあの頃のTOKIOの音楽はかっこよかったし、
なによりたっちゃんが大好きだったから、
恥ずかしさなんて大したことはなくて、
むしろやりきってる自分が好きだった。

毎度 男ひとりで心細い自分を
桜の花びらたちが鮮やかに迎えてくれたこと、よく覚えてる。

バイト先の会社がつぶれて
ライヴ後に跡地で泣いてたあの春も
桜はきれいだったっけ。

たっちゃんの結婚発表でショックを受けた時にも
あの跡地で泣こうとしたのだけれど、
知らぬ間にあやしげな中華料理屋ができてて、
その店がまたとてもまずそうで
泣くに泣けなかったり、とか。

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気がつけば何年もの月日が経ってた。

女の子化する自分が止められなくて、
社会との距離、性別の壁に苦しんだ時代もあった。
かと思えば、唐突に彼女ができて、男性ホルモン全開、
驚くほど男的に変わった時期もあった。

その間に、
身近な憧れの人とは、再会しては別れてをくり返した。

くり返したあげく、
私のファザコンぶりに愛想をつかしたのか、
彼はいなくなってしまった。

他に想いを向けた人たちもいたけれど、
結婚して家庭を持って、遠くへ引っ越してしまったり、
はたまた会社が傾いて、リストラされて、
私にかまうどころじゃなくなってしまったり。

そして誰もいなくなってしまった。

そんな気にもなったりした。

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ひとことで言えば面倒な家庭。
説明するのもはばかられるほど、
私が育った環境はそうだった。

いつも「時間がない」とだけ言う父親。
ただ悪い方向へと向かっていった体調、家計、家族関係。

自営業で家が仕事場だったから、話は聞いてもらえたけれど、
本当に私のことを見ていてもらえたとは
未だに思えない。

当然のようにファザコンに育って、
それをなかなか認識できずに時を過ごして、

自分の中に父性を補うように
絶えず誰かを 求めてきた。



誰か助けて、と
どこかで思ってしまう自分から抜け出すまで
いったいどれだけの時間を費やしただろう。

自分の人生が自分のものだと理解できるまで、
どれだけの道を迷走したのだろう。

誰かなどどこにもいないと知るまでに、
いったいどれだけの可能性をつぶすつもりなのだろう。



実年齢もついに30代に入った。
それを受け入れるだけの精神は揃えておいたつもりだけれど、
未だにこれからの自分はわからない。

たっちゃんは別人のように変わった気がする。
TOKIOを取り巻く環境は明らかにめちゃめちゃだ。
それでもこれからも気になる存在に変わりはない。

大事だったものがなくなることはないし、
だからこそこれからも大事なものを増やして行きたいと思えるのだろう。

それを信じられるだけ、
そのために頑張ろうと思えるだけ、
あの頃より自分は幸せなのかもしれない。

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思い出したきっかけ。

最近 Hey! Say! JUMPの活動が素晴らしすぎて
彼らの曲をとても楽しみにしてるのだけれど、
そんなかんやでJUMPのことを検索していたら、
男の人でJUMPのことを延々と綴っている方がいて、

それを読んでいたら、
あまりにも自分と感覚が似ていて、
でも自分とは違う彼の明確な論調に衝撃を受けて、
自分のいろんな感覚が呼び起こされたんだ。



もう自分の過去なんて、
自分次第でどんな風にでも肯定しまくれるし、
周りに理解されようがされまいが
わざわざ苦しむことはしなくなったのだけれど。

それでも彼の文章に少し救われた気がした。
それはたしか。

そしてとても頼もしくも思った。

ちょっと上から目線みたいであつかましいのだけれどね。
(それはいいかげん歳を重ねまくっているのだから、しょうがない)

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『大人になると学習をして 偶然なんかに頼らない
 だけどもしかしたらそれは 奇跡だったりしないだろうか』

JUMPの新曲。
この歌詞にはしびれてしまった

歌はマジック。

文字だけ見たら「うわっ、野島伸司」とも感じたりするけれど、
ハイパーなアレンジと好対照な歌謡メロディに乗って、
裕翔と知念の深い声に歌われると
こんなにも響いてしまうんだな。



大人の奇跡、あるかね。

信じてみようとか、また思えるのかね。

その日まで誠実ではいようと思ってるよ、今。