境内から山門を見返す
境内の中にあった心宗庵
石仏
お堂だけのようだ
心宗庵のお向かいにあった石仏が並んだ塔
その時は思い出さなかったが、こうして見返してみると以前もあったことを思い出した
やはりもっと周りが雑然としていた
崇福寺
中は立ち入り禁止
ここは昔もそうだったような
御朱印もしていない
本堂
境内
この先に墓所がある
黒田官兵衛のお墓があるはずだと思い進んでいった
途中の唐門
門は、崇福寺の境内にあり、名島城から移築されたものと伝えられ、市内に残る唐門の中で最古のものです。桃山時代の作柄そのままではなく、江戸初期に改築されたものと推定されます。
黒田藩主の墓は見つけられず
代わりになんか雰囲気の違うお墓があった
なんか水牛に乗った男性の像もあるし
実際見るとかなりデカい
玄洋社(げんようしゃ、1881年 - 1946年)は、旧福岡藩(黒田藩)士が中心となって、
1881年(明治14年)に結成されたアジア主義を抱く政治団体。
お隣のお墓もかなり凄かった
入口にあった「頭山満先生」も玄洋社の人
黒田藩主の墓はお寺の真後ろにあって境内からは行けないとのこと