以前の記事に書きましたが、好きでなかった料理が楽しめるようになりました。
そうすると、昔のことをいろいろ思い出したりするのです。
多分、私は元々は誰かにお料理を出すのが好きなんですね。
レストランのバイトは楽しかったし。
家族にご飯を作るのはしぶしぶなのに、友達や妹が遊びにくるというと「何か作ってあげようかな~
」と思うし。おもてなしするのが私自身嬉しいんだと思います。
ではなぜ料理が好きではないと思ってたかというと、きっと環境がそうさせたのではないかしら?
ひとつには母が口うるさかった。
ご飯の支度を手伝いなさいと言われてやると、「そうじゃないよ、ああもう貸して!全くアンタは不器用ね!」となるので、よくふくれてた覚えがあります。
年が上がるにつれて部活だ受験だと手伝う暇もなくなりました。
ふたつめには、なんで女ばっかり!という不満ですね。
父が勝手なので、母は苦労を重ねてて、それを見てたこと、母の愚痴を聞いてたことが、私は男に我慢させられる人生はまっぴらだという信念を持たせたのです。
このふたつが合わさって、なんで私がやらなきゃいけないの?家事は女の仕事だなんて押し付けるな!という抵抗感と、料理嫌いだもん作りたくないから食べないもんになったのかなと推測します。
結果として、やらなきゃならないときはまだしも、お前がやるのが当然と言われると、「そこらにあるもん勝手に食べとけ
」と思っちゃう(言っちゃう時もある…)。やって当然なんて言う傲慢な奴はまあだいたい夫ですけど。
仕事って基本的には喜びを見出だせるものじゃないですか?
辛いこと大変なこともいろいろあるけど、なにかしらの喜び、充実感が得られるから続けていけるんですよね。
特に、誰かの役にたったということや、「ありがとう」と喜んでもらえたことは大きなモチベーションアップになりますよね。
「あなたの仕事なんだからやって当たり前。」と人の手間や気持ちを無視して結果だけを持っていくのは、その人の大事なものを奪うのと同じだと思います。
ずっとそんなことをされていると、好きなことや愛情や才能がしぼんでしまう。
苦手だ嫌いだと思っていることは、もしかしたら「失われた財宝」なのかもしれません。
またまた思い出話ですが、私が勤めていたところは9割が男性の男社会だったのです。
お茶くみは新入社員か女性で、女性は出世しなければいつまでもお茶くみから卒業できないのです。
でも、お茶を入れて回ってるからこそコミュニケーションが取れたという楽しいこともいっぱいあって、「女ばっかり!」とガチガチでいる必要もないなとわかったところでもありました。
「よその課に行ってお茶飲んでお喋りして仲良くなって情報収集できてなんぼだよ。」と教えてくれた上司も思い出深いです。
社の支給品ではない美味しい狭山茶をわざわざ買ってきて、時々おやつを誰かが出してくれたり、3時のお茶は楽しかったな。
懐かしい。
一緒にお茶、一緒にご飯。
美味しいねと言い合う豊かさ。
私にもその豊かな時間を提供できる才能があるんだなと思い出しました。
