前回の続きです。


青森の重要な神社には 大体

桓武天皇の命で

坂上田村麻呂が建てた


というような話が書いてあります。



縄文や阿弖流為(アテルイ)や坂上田村麻呂が

無性に気になり出した数年前


その神社建立の話に

疑問や違和感がありました。



では それよりもずっと古くから住んでいた

縄文の民の聖地は

どこに行ってしまったのだろう?と。



数年前に

長野県の諏訪湖に行きたくて
(龍神様に会いに行きたくて)

訪れた時のこと。


(諏訪大社の御神木)


青森との共通点がたくさんあり

ビックリしました。


坂上田村麻呂の名が出てきたり

酋長の伝説があったり

至る所に庚申塔があったり…。


この似ている感じはなんだろう!?


そしてとても気になったのが

天竜川。

諏訪湖を源として

愛知県、静岡県を経て太平洋へと注ぐ川。



その後 調べて 自分なりに

腑に落ちたのですが


蝦夷(=日高見国  縄文の民の末裔!?)を

討伐して勢力を広げて行った朝廷側ですが

(それで ネイティブの民が東と南へ追われることになる)


最初に信濃辺りを討伐して

そこを足がかりにして

東の方へ(東北へも)

進んで行ったようなのです。


つまり

長野と東北は

どっちが先か後か の違いで

同じ流れで、同じ運命を辿って行った…。


道理で 共通点が多いはずです。


今も 青森にいて 

長野とつながっているように

感じる時があります。


無性に行きたくなったり

長野にいるような感じがしたり…。


宮古島もそうですが

距離は離れていても

繋がっている地があると感じています。


距離はあるようでなくて

非物質世界の エネルギー的な

各地のつながり…。


般若心経の 空の世界観🌈



そして その後 

朝廷が徐々に勢力を広げて

今の日本になっていったと思うのですが


唯一屈しなかった地があった と

近頃聞きました。


それが天竜川をもうちょっと

下流に下った地域だったと。


昨年 そちらの地から

まるで使者のように

青森を訪れた御家族がいて

ご縁がつながり お会い出来ました。


争いに巻き込まれ行った

日高見国の民族や坂上田村麻呂の

苦悩や混乱の歴史…。


それはまた後で書いていきますが


それを思うと

屈しなかった地のことを

思わずにいられません。


いつか その地を

訪れてみたいなぁと思っています。


(長野の最終日に 鳳凰が飛んでいた)


続きます。