時々考えること、こんなに社会に犯罪があるけれど、人とすれ違う時こそ犯罪のチャンスなのに、ほとんどの人は犯罪に会うことなく、犯罪を起こすことなく、そしてすれ違う人を疑うこともなく過ごしていけるのは、何故か?と。
松本清張のミステリーで飽き足らず、怖い横溝正史のミステリー本をよく読んだ青春時代があり。
シャーロックホームズを読んだ小学生時代、SFものを読んだ中学生時代。
星新一を読んだOL時代。
横溝正史の「八つ墓村」が実話に基づくものということを割と最近知った。
戦前のことなので、今の時代と比較できるの
のは人の心の部分。成績優秀な若者のちの犯人は、貧しく教育を満足に受けられず、やがて失恋などを経て、村八分になり 関係者を多数惨殺してしまう。
正常でない精神状態だからこそなせることで、最近よく、殺人事件などで心神喪失であった、ということがあるけれど、そうだからこそ起こしてしまう事件だと私は思っている。正常な心理状態では起こせないと。
JW宗教ではサタンが入ったということもあるけれど。
秋葉原無差別事件は25歳やはり成績優秀な若者で、東北から静岡に出て自動車関連のフリーターだったようだが、他の事件なども20代半ば前の男子であることに、同年代の自分の息子をダブらせてしまう。
こういう人生を送ってしまうのはなぜだろう、と、どこにでもいるような普通の若者なのに、犯罪を聞くたびしきりに考える。
八つ墓村の
実録では、犯人の男子は、多数の人を殺める合間にも、偶然の出会い頭の親しい老女には
日頃自分に害を与えてないということで、挨拶を交わしただけで、次の犯罪に足を向けている。残虐な若者が、、見逃していることに驚き。冷静な人の心理としてはそうなるでしょうとは思うけれど、激情の合間に途切れる怒りの感情。
私は精神分析のプロでもないし、人の心の深層は、誰にもわからないことではあるけれど、
そこに信頼関係があれば、また違った結果になったに違いないと思う。
信頼という目に見えないものが、SNS上のネットワークを破壊せずに保っているのではないかと。
自分の書き言葉振り返ってこの言葉、傷つけるつもりはないけれど、結果どう思われたか?と心配せずにやり取りできる文章や言葉には、その言葉には無意識に、セットで'信頼してます'、という言葉を乗せて送っている。
親しい家族ラインの文章に時折本当に時折、あーこの言葉傷ついたわ、と思っても、少し時間を置くと、ポジティブに捉える自分がいて、何事もなかったかのように心の波が静まる。親しいほど苛立ちもするけれど、無言の信頼も深いというもの。
信頼という不思議な目に見えないもの。このおかげで、自分の些細な過ちを全体像と捉えられることなくふさわしい距離や親しい関係が平和のうちに保たれているのかと。
善悪を盾のように、それが自分を守るかのように第一に前面に出すことなく、親しくいられるのは、信頼があってのこと、と。この目に見えない空間を、人と人との間に張り巡らされた信頼の糸のおかげで、人ごみの渋谷交差点も心配なく歩けるのかと。刺されてしまうかも、スリに会うかもなどと考える必要もなく。
信頼を、初めて会う人にも、用心しながらでも、同時に名刺がわりにするなら、
相手も感じ取り、決して、うまく利用してしまえ、とはほとんどの人間は思わず
心は静かにそこにいると思う。
目に見えない信頼の糸は太くもなり、プツンと切れることもあり、
目に見えない信頼の糸は、行動がその糸を繋ぎ、信頼を裏付けるものとなる。いくら口で言っても行動に現れ、信頼できる人かどうか隠せない。
そういえば、信者長年どっぷり過ごしてきて、あまりにも人を信じすぎていて、
家族の交際相手の詳細をほとんど知らずは、さすがにこれまずいでしょと思うこの頃。
信頼の元に交際を始めて続いているのならいいのだけれど、あまりに無防備な自分に、世間を相手に浦島太郎状態を取り戻すべく真剣に奮闘せねば。
つくづく、理屈っぽく納得しないと、という面がある自分の個性とも思えるものを、仕方ない!と自分を許しつつ前に進んでいます。
🌹銀座線でスリが横行していたそう、犯人は30代男子。口の空いたバッグは注意
家人は本日元気に出かけました。心臓が動いていて、呼吸していれば命は保てる、と、死と背中合わせを経験すると腹が座るものです。意外と男子は女子の支えが必要なよう。
