何もできていない私が、偉そうなタイトルです。

JWオンラインホームページ利用させてもらいました。

ひとごとみたいな言い回しになってますが。

 

"義に過ぎる。"家族をやり込めてしまう義にすぎることが何度もありました。

なまじ義を学び過ぎました。

やり込めてしまうことは、圧力となり相手を黙らせてしまうだけで何も解決しません。

頭に染み付いていても、心に根を下ろしていないのです。

 

家族は結果黙ります。黙ることこそ賢い策で、当面収まりはします。

これが家族間ならまだしも修復可能です。毎日顔を合わせるので、元に戻りやすいですが

いざ他人にそのことしてしまっては、、、、修復までに相当の努力が。 

 

 その時を振り返ると、自分の心身のバランスに問題ありと、      

自分の異常ささえ感じます。   

 

人はそのようなことがあるにしろ、自分の性格からくるもの、何より義を振りかざすことが原因ではと思い返しました。自分の義は、正論なのだから、なぜわかってもらえないのかと。

後へは引けないということになってしまいます。自分が上だと思い上がっていることも気を大きくしてしまうことかと。じぶんで思い返し自分分析)    

 

でもそれは間違っていたと、改めて、今更ながら、やっと、ネット上の

個人間のやりとりを読み思いました。

 

自分が上との根底にある気持ちからくるもの、自分は親である、と。

自分は夫に言う権利のある立場である、との。

 

人への弱肉強食的な、動物的接触方法。

それは、双方、言い出したものも相手も良い結果を刈り取りません。

何より問題解決にも、まして相手を変えることなどできないという結果を、

思い知ることの繰り返しがあるだけです。

 

善良に接することの大切さ、人の心のそんな当たり前のことが、

いざとなると難しい場面に直面するのが残念ながら現実です。義を前面に出してしまうことの結果がどうなるのか

気付いたところからです、それしかありません。

 

聖書の言葉は、人生の三分の二の時間もの長い間接してきたので染み付いてるものがあります。

🍀……………………

義なる[人]のために死ぬ者はまずいません。もっとも,善良な[人]のためなら,あるいはだれかがあえて死ぬこともあるかもしれません。

 

義に過ぎる者となってはならない。また,自分を過度に賢い者としてはならない。どうして自分の身に荒廃をもたらしてよいであろうか。

………………………………🍀とありました。   

 

 

経験済みです。苦い実を刈り取ることも。 

義に過ぎる、誰一人聖人君子はいないのに、、、、振り返り、義に過ぎている時、聖人君子と思ってしまっているのでしょう、皆のものを正さねば!と。

 

その皆は、、、、引く! 、、、、、なのです。引く立場になる、下っ端を経験した時味わうことになりました。仕事で体を壊しては、の繰り返しで、新しいところで働いてはまた下っ端からのやり直しの中で、、、、、

もうすでに黄昏、この人生が終わらないうちに人格向上のため学べることは学び🌈

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好きな"チャップリンに愛を込めて"を最近よくiPodで聞いています。

      🎶世界中に愛を叫び 生きることに力あたえ

    夕日の道を 影をおとして 消えていったうしろ姿に
    人は誰も愛の涙 人は誰も愛の笑い
    人は誰も愛のはくしゅを 心をこめてあなたにおくる
    ※ミスターチャップリン 今もこの胸によみがえる
 チャップリン 忘れないあのほほえみ
 オー!ミスターチャップリン 時はいつのまにかすぎても
 チャップリン 愛は限りなく生きる

 

    平和を祈る雲の晴れまに あしたの虹が未来にかかる
    ひとりしずかに 思い出すのはあの日の言葉
゛The time is Great Author”
   やがていつか明るい朝を やがていつか楽しい夜を
   やがていつか大きな夢を 心に秘めてあなたに歌う 
    ※くり返し(2回)🎶

以上コピー📎

いまはYou Tubeアップされていたのが消えて見れません。