イタリアンマッマ

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日本に住む40歳に近いイタリア人の母のブログ

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日本に来てから何年経っただろうニコニコ

時々忘れてしまう。 日常の喧騒に追われていると、立ち止まって考える暇がないからかもしれない。

私はいつ出発したのだろう? それ以前はどんな生活をしていたのだろう? それからどう変わったのだろう?

 

初めて日本語の歌を聞いたのは6歳の時だったルンルン。 「さくらさくら」だった桜

他の言語の歌を聞いたり歌ったりしたことはあったが、日本語に出会ったのはそれが初めてだった。 メロディー、言葉の響き、発音......すべてが調和していて、聞いたことなく、優しくて。。。 美しかった! 「一目惚れ」だった!

当時、一般家庭にインターネットはなかった。 コンピューターも少なかった。 学校でも地元の図書館でも、日本に関する情報はほとんどなかった。 私はよく大人に、日本がどこにあるのか、どんな国なのか知っているかと尋ねた。??

「近いですか?」

「いや、遠いよ!」

「どのくらい遠いの? 車で行ける距離?」

「いいえ、地球の反対側です」

あんぐりハッ

答えが返ってくるたびに、好奇心は高まった。 答えが返ってこないたびに、好奇心はさらに高まった。炎

6歳で私の運命は決まったが、その夢を実現するまでに20年かかった。ランニング

 

私は独学で日本語を勉強し、その後、講座に通うことにした。 日本鉛筆

大学に入学し、3年間日本語を勉強した。卒業証書 卒業し、また勉強し、あと2回卒業し卒業証書卒業証書、働いた。

 そして27歳の時、家族、友人、故郷から離れて、日本へ飛び立った。飛行機富士山 

2017年10月1日だった。

あれから7年が経った!!

ある人にとっては数年に思えるだろうし、ある人にとっては長い年月に思えるだろう。 私が知っているのは、この7年間が私に社会的・経済的自立、職業、新しい友人、多くの思い出と経験、そして何よりも家族、つまり夫ハートと息子立ち上がる(もうすぐお兄ちゃんになるミルク)を与えてくれたということだけだ。ハート

 

初めて日本語の歌を聞いた6歳の少女が、このすべてを計画していたかどうかはわからない。 しかし、その出会いは、道をたどり、夢を描き、目標を設定するのに十分だった。 すべてはあの曲のおかげだ!ラブ桜音符