いわゆる「勉強ができない子」をたくさん見てきた。





ペタをいただく方以外で、このブログを読んくだってる方が


どういう方々なのかわからない。





少なくともブログを書こう、あるいは読もうという方々であるから


「勉強できない」のここでの意味を誤解なさるかもしれない。





ひとつの例として・・・





30年も前の某都立高校。





彼は、高校3年生ではあっても、


アルファベットの「b」と「d」との区別がつけられない・・・


だから、簡単な単語も読めないし書けない。





うん、それは・・・図形だか文字だかを認知するある部分に


なにか問題があるのかもしれない。





でもモンダイはそういう「名前をつける」ことで


片付くわけじゃないんだな。





【book】という綴りを見ても読めないから


「『ブック』ってさぁ、よく使うじゃん、ほらなんだっけ?」


と水を向けても


「えー、聞いたことないワ」と真顔で返ってくる。


ふざけてくれてんなら、まだ嬉しいけど


そんなんじゃないんだ~。





その子は180はゆうにあるだろうガタイで


改造学ラン着て、マユ剃ってソリコミ、スリッパという


笑えるくらい絵にかいたような「不良」スタイル。


番長だったけど、裏番には「切れ者」がいたから


まぁ、「看板」だろう。





わるさも一通りやらかして、謹慎も何回かやって


警察の世話にもなってるから


学校でも、もて余されてはいたんだが、


面倒見の良い副担任のN先生が、


このままじゃ卒業もできないからと


週に何度か職員室に呼んでマンツーマンで勉強教えてた。


「雑談」の方が多かったけどね。


それはそれで意味があるのよ。


勉強教えるふりして心で話してたんだろうから。





私はそのN先生の隣の席だったから、


二人の話も聞こえたのだ。





私はその年その学年には出てなかった。


本来なら顔合わせることもないはずなんだけど、


昼休みの校門の立ち番とか


休み時間の見回りとか


廊下でも職員室でも声かけてくるので


(職員室はいつも生徒だらけだったね)


お互いに知っていた。





ソリコミ番長は、家庭に恵まれてなかった。


判で押したようにそういうことだ。





オヤジは殴る蹴るが常態で、母親は家を飛び出して


蒸発したまま・・・


子どもを置いて出るなんて!と言う人は


申し訳ないけど、わかっちゃいない。





それだけ、すさまじくひどい仕打ちだということを


想像だけでもしてもらいたい。





番長は、小さいころからベンキョーどころじゃなかったんだろう。


居場所すらなかったに違いない。





デカイ図体でケンカもよくしていたし


ワルなかまでは、統率力もあった。





職員室に来るたび、


「センセイ、俺とデートして」と。


「結婚してるの?」


「俺に弁当作って!」





笑っていろいろかわしていたけど


ある時思ったのだ。





番長は弁当なんて作ってもらったことがない。


昼食は購買か登校途中のパン屋で買うものしか


食べてなかった。(コンビニはない時代)





何十編とリクエストされる「弁当作ってよ!」に


ある日、「一度だけならイイよ」と。





「嫌いなものはなに?」と聞くと


「ホントに?何でも食べるよ、センセイ作ってくれるんなら」


と案外素直なお答え。





折詰めに、鶏の竜田揚げ、たまご焼き、かぼちゃの煮つけ


しゃけや梅干しのおにぎり・・・


そんな定番だったと思う。





新聞紙に包んで目立たなくしたのを渡したら


「ありがと!センセイ!!」と教室へもどった。





皆に見せびらかして食べたのだという。


私が作ったことは内緒にしておいてと言ったけど


仲間には言ったものとみえ、


あとで、「アレ、先生が作ったんだって?」


とワル連中に突っ込まれた。





放課後、赤い顔して番長はやってきた。


「おいしかったよ、センセー、ありがとうございました」


とかわいく頭を下げた。





ずっと後になって、生活指導部のS先生に


「○○に弁当作ってやったんだって?!」


とたずねられた。


特定の生徒にそんなことしてはいけないと


新米教師の私は怒られるのかと思った。





「あいつ本当に喜んで××先生が作ってくれた弁当だぞ


とみんなに自慢してたらしいよ。なかなかやるねぇ。





S先生はどうしようもない「不良」たちを相手に


ケンカを仲裁したり、自宅でご飯食べさせたり、


女子生徒のバックについてる893とスナックで飲みながら


手を切るよう話しをつけてきたり(ウリとクスリの餌食にされてる)


わけあって家出した子どもらを泊らせて


家族と一緒に生活させて学校に戻したりしていた。





口だけじゃない身体を張って生徒に向かってる先生だった。


生活指導部長がこのS先生じゃなかったら


あの学校崩壊してただろうというくらいのひと。





ここには書けないこともいっぱいある。





卒業の時、番長も裏番も、鼻水でぐちゃぐちゃになって


しゃくりあげて泣いていた・・・


クラスは三分の二に減るのがその学校の常だったから。





私と番長は5歳しか違わなかった。


番長も今頃はいいオジサンだろう。


全部ソリコミはいってたりして…ムフフ


孫もいるかもしれない。





とうとうアルファベットは読めないままだった。


でも幸せでいてくれたらそんなことどうでもいことだね。





勉強ができないことの中味を分析しないと


押しつけても無理なんだろうね。


そしてね、


「やればできる」で押し切るのは強者だからだよ。





学校は親は、「できるようになること」を重視するけど


それを「成長」というけど、


そして事実それはそうなんだけど


でもさ~、なんか例外みたいなのあるんじゃないかって。


そのまま受け容れることも、ときには・・・。


そこから、別の面でのゆっくりした成長もあるじゃない。





アルファベットが読めるより大切なこと


たくさんあるよ。





そして、つけ加えておこう。


「番長」は字がきれいだった☆





さらに言うと、「裏番」は


簿記1級を持って卒業し、専門学校に進み


在学中から請われて、ある有名専門学校の先生に。





在学中は、4階の教室からイス・机全部投げ飛ばして


ガラス割ってたんだけどね。(笑)












【今日のにゃんこ】


バナナ抱き枕に甘えるの図

《心に響く美しいものを集めて♪》




















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