子宮頸癌ネタが続きましたが・・・


子宮頸癌の件で11、12月とバタバタしてましたが、

その間に新しく建つ家の着工などがありました。

まず、着工が10月下旬、そして12月上旬に建て前。


病気のことと平行して家の方でもバタバタしてた。

実際、大工さんが入って家の事が進んで行くと、誰も待っていてくれない。

電気配線を決めたり、クロスを決めたり、照明器具を決めたりなどなど。

本当に忙しかった。


☆2008年1月☆

新しい年の幕開け。

元旦から旦那の応援で群馬へ。

術後だけど母は、妻は、休んでられない!


そして、新居の方もとにかくどんどん決めなければいけない。

毎晩夜中までカタログやパソコンと奮闘。

適当にはしたくないから、自分で何でも調べなきゃいけない。

そして知識を得ておかなきゃいけない。

こういうとき、マメな旦那がいたらなぁ・・・って思った。

結局、何でもやらなきゃいけないのは私だから。


☆2008年2月☆

ついに我が家が完成!そして引渡し。

と、同時に今までの実家を取り壊すための準備。

今度は引越し準備。


私の実家は私が5歳の時に引っ越したから、かれこれ築26年。

その間に溜まった荷物は本当に山のよう!

これを片付けるのは至難の業だった・・・。

ま、こっちはうちの両親も居たからわりと良かったけど。


・・・


それから数ヶ月は引越しの荷解きやら、諸々の手続きなど。

あと、家が終わったと思ったら外溝を決めなきゃならなくてそっちが忙しくなった。


そして2008年7月。

外溝も業者に頼んだ分は完成したし、あとはウッドデッキや植物、

その他のデコレーションをするのみ。


ま、こんな感じの1年でした。

と言うわけで、なかなか更新出来ずにいました。

☆2007年12月下旬☆

円錐切除術の結果を聞きに行った。

結果・・・


高度異形成(III b)で、切り口に異形細胞は見つからず。


と言うわけで、癌細胞も無く、追加手術などの必要もないとのこと。


本当に安心した。

腹を決めてはいたものの、やっぱりこういう結果は嬉しい。

今後は3ヶ月毎の細胞診で、半年間異形細胞が見つからなければ

その後は半年ごとの検診になるとのこと。



そしてお正月を迎えた。


それから・・・

☆2007年11月中旬☆

細胞診の結果が出た次の日、紹介状を持って大きな大学病院へ行ってきた。

予約制だけど、初診なので予約はせず直接行った。

案の定、1時間くらい待たされたけどまあ、いい方かな?


呼ばれて診察室へ行くと若めの男性医師だった。

優しそうな雰囲気の先生で安心できた。

少しお話をした後に内診台へ。

細胞診と組織診をした。

組織診は爪切りの様な物で子宮頸部を3箇所くらい切り取った。

これが痛いっていう人もいるみたいだけど、私は全然平気だった。

さほど、神経は通ってないようなので。

ちょっと引っ張られるような、まさに「子宮頸部を爪切りで切り取られてる感じ。

止血のため、ガーゼを詰めてくれた。この日はこのまま帰り、翌日取ってもらいに行った。


☆2007年11月下旬☆

先日の細胞診、組織診の結果が出た。

細胞診の結果は何だったけな~、覚えてないシラー

組織診の結果、class III b(高度異形成)との事だった。

とりあえず、『上皮内癌』っていう言葉は消えたけど、class III bっていうのは

放っておくといずれ癌になるであろう状態。III aならIIになってIになる可能性も高いけど、

III bは放っておくと癌になる可能性の方が高いみたいだった。

先生からは「検査を兼ねた円錐切除術」を勧められた。


それからはネットで色々調べたり、旦那とも切るのか切らないのか話した。

円錐切除でよく調べた結果、もっと最悪な事態になることだってあり得る。

私は第3子希望の最中に突然こういう事になったから、子供が産めなくなるとか考えるのは本当に辛かった。

でも、詳しく調べてみないと何があるかわからないから、覚悟だけは決めて。


☆2007年12月☆

それまでの懸案事項とかを手帳に書きとめ、全てを先生にぶつけた。

うちの旦那が「先進医療」みたいので聞いたら「まだ子どもを望むなら絶対に切らない方がいいです!」

とかって言われたという話もしたし、とにかく頭にあったのは子供のこと。

でも、病院の先生は「円錐切除術は検査も兼ねてるんですよ。」っていうことで、

やっぱり切って調べないと始まらないかな・・・っていうのが私もあったので手術をお願いする事に。


そして12月中旬、1泊2日入院で手術を受ける事になった。


☆手術前日☆

今まで私はベベさんが産まれてから一度もベベさんと離れて夜寝たことが無い。

1年3ヶ月と数日・・・ず~っとず~っとず~っと。

幸い?10月に断乳を済ませてたから、預ける事に対しての気負いは減ってたけど、

でもまだまだ夜中に泣いたりしてたから、少し心配だった。

入院が1泊だけで本当に良かったな~と思った。


午前11時くらいに病院に着き、そこからはずっと独り。

ベベさん居ないのが本当に変だった。それに上の子も小学校高学年とはいえまだまだ子ども。

私の事をきっとものすご~く心配してるだろうっていうのが気になった。


でも、たまの独りも悪くないな~なんてちょっぴり満喫もした。


☆手術当日☆

朝早く起床。病院って朝の始まりが早いよね。

確か、8時半くらいには手術室に向かってたかな。

で、すぐに麻酔をかけられてコテン。

次に気が付いたときは手術室から病室へ運ばれてる時で、

執刀医の若い女医さんが一生懸命何かを説明してくれてた。

でも、麻酔が完全に抜けてないから全然覚えてない~。


ご存知の通り、うちの旦那は単身赴任。

普通のご夫婦ならこういう時は帰って来てもらうんだと思うけど、

大した手術ではないし、旦那も大事な時期だったし、私には幸運にも頼れる兄や両親が近くに居るから、

旦那には「帰ってこなくていいよ」と言って、付き添いは兄にお願いした。


で、この兄に後から女医さんの説明をゆっくり教えてもらった。


余談だけど、この兄は不思議な人で、なぜか上の子の出産時もギリギリまで陣痛室に居た。

大事な時にはこの兄がそばにいるのである。


その後、2時間位は寝たかな?

で、お昼くらいには普通に退院して帰った。


ごめんなさい。また長いので続きます・・・


続きです・・・。


☆2007年11月☆

それから2週間後、病院へ行く予定だったのですが生理が来てしまい(産後初生理!)

とりあえず病院に電話してみた。

そしたら「内診するかもしれないから、生理が終わってから来てください」って。

その1週間後、生理も終わり病院に行こうとしてたら突然病院から電話が。


看護師さん「10月下旬におりものと癌検査してまだ結果を聞きに来てないですよね?」

私 「あ、はい。生理が来てしまって電話したら、生理が終わってから来てくださいとのことなので・・・」

看護師さん 「あら~、結果を聞くだけなら構わなかったのに・・・。いつ来れますか?」

私「今日、行く予定でした。」

看護師さん「じゃあ、今日来てくださいね。」


電話を切ってからの私はドキドキしてた。

え?何でわざわざ病院から電話が来るの?何かあったの?まさか!

色んな思いが過ぎったけど、あんまり悪い方に考えないようにした。


その後、病院に到着して、取った番号は5番。その後6番の人も入ってきた。その人が最後。

ところが、私の番を抜かして6番の人が先に呼ばれて入っていった。

「え?何で?何かあるから最後にされたの?まさか!まさか!?」

かなり不安な気持ちになったけど、とりあえず話を聞いてみないとわからない。


それから私も呼ばれて中に入った。

先生の机の向かいに座らされ、見ると机の上に何か紙が置いてある。

検査結果だった。

先生がわりと淡々と結果を説明し始める。

「おりもの検査は異常無しでした。雑菌などは心配ありません。

でも、癌検査でこういう結果が出たんですよ。」


私は頭が真っ白になりそうだったけど、自分を落ち着かせた。そして話を聞いた。


「class IVと言って、上皮内癌の疑いが出てます。この病院では詳しい検査が出来ないので、

紹介状を書くので大きい病院へ行って精密検査を受けてください。」


が・が・がん?ガン?癌?私が?31歳になったばっかりで?ガン?

ガーンガーン!!ですよ。

まさか自分がガンになるなんてこれっぽっちも思った事が無かった。

ガンは遺伝が多いって言うし、確かに私の母は乳がんと胃がんを患った。

でも、私は体質的に母には全然似ていなく、父にそっくり。父家系は長寿でガンは居ない。

だから余計、何で私が、ガン?と思った。


それからは色々考えてしまったりもしたけど、精密検査をしてみないとわからないし、

ネットで色々調べたら、上皮内癌はガンと言っても浸潤ガンではないから、きれいに取れれば大丈夫な事、

子宮頸癌(私がやった癌検査は子宮頸癌です)は、若くても全然なる病気だし、むしろ最近は若い子が沢山なっているという事を知った。子宮頸癌はヒトパピローマウイルスというイボを作るのと同じウイルスが原因で、

「いわゆる癌家系」がなる腺癌とはタイプが違うこと。

また、子宮頸癌は性行為をしたことのある人なら誰でもなり得る可能性があることなど。

知識を得たらだいぶ元気になった。

でも、精密検査の結果、もっとひどくなってたりして、子宮を取らないといけないかも・・・っていう覚悟も決めた。


その後、紹介状を持って直ぐに新しい病院へ行った。

精密検査を受けた。



また長くなったので続きへ・・・


本当に久しぶりのブログ。

ず~っと、ずっと本当に忙しかったから。

どこから始めよう・・・。まず、去年、引越しをしたところから。


☆2007年4月☆

旦那さんの単身赴任に伴い、引越しをすることに。

といっても、旦那は東海地区へ、私と息子達は私の実家(住んでたマンションから電車で1時間位の所)へ。

チビさんはまだ7ヶ月。このチビさんを抱えての引越し作業は本当に大変だった。

とりあえず4月から上の子だけ転校させて、実家から通わせ、

私はチビさん連れてマンションへ通いせっせと引っ越しの荷造り。

この時期は本当に辛かったな~。

母も一緒に来てくれて、子守をしてくれたけど、それでもやっぱり体力的にきつかった。

まだまだ母乳で、夜も何度も起こされてたからね~。


☆2007年5月☆

とにかく毎日忙しかった!

週に何度も車でマンションに通い引越し作業。

途中疲れがピークに達して何度か原因不明の体調不良に襲われたり。

でも頑張った甲斐があり、やっとやっと5月下旬に引越しを終え、マンションも引渡した。

と、同時にこの辺りから家を新築するための打ち合わせ等々が始まった。


☆2007年夏~秋☆

夏はずっと新築する家の設計などを考えなきゃいけなかった。

うちはハウスメーカーとかに頼んだわけではないので、設計のベース、外壁などの仕様、

内装の仕様などなどを決めるのにこちらが足を運ばなければならなかったから大変。

しかも高い買い物だから簡単に決まらない。

旦那も基本的に不在だから何でも私が調べておかなければならないし。

納得できない家は建てたくないから、すご~く沢山調べた。

この作業で日々寝不足に。でも期限があるからどんどん決めなきゃだし・・・。


☆2007年9月☆

バタバタと過ぎた夏。

そして9月になってベベさんが1歳を迎えた。

どんどん男らしくなってくベベさんでした。


私は相変わらず家のことで忙しかった・・・。

うちの場合、前々から色々計画してたわけではなく、

まあ、区画整理地内だから、いずれ建て直すことは決まってたけど、まだ2、3年先って言われてた。

ところが2007年の春くらいになって、今年度の予算で・・・って突然言われたもんだから大変!

たまたま旦那の単身赴任も決まったから、こんな風に色々な事がいっぺんにやってきて、

しかも主として私一人に降りかかってしまった。


☆2007年10月☆

家の事が少し落ち着いてきた頃、そろそろ次のベビーが欲しいなって思ってたのもあり、

断乳を決意!確か、1歳1ヶ月で断乳できたと思う。ベベさんも頑張った!

それから10月下旬、排卵してるかとか生理がいつ頃来るかな?とか知りたかったので婦人科へ。

この頃下腹部に少し痛みを感じてたので、それも気になってたしね。

内診の結果、『排卵はまだする気配もないし、内膜も厚くなってないから生理もまだだね。』と言われ、

『初診だから、おりもの検査と癌検査もしておきましょう。』って。

私は内心、「え~!癌検査は病院だと高いからいいのに~。やるなら市のやつに申し込みするのに・・・』

なんて思ってたし、実際、帰ってから母にもそう言ってた。


後から思えばこの時の下腹部痛は排卵痛だったんだよね。

丁度断乳して2週間くらい経ってて、で、病院行った時はちょうど排卵後でああいう内診結果。


それから検査の結果を聞きに2週間後来てくださいと言われた。



長くなるので続きはまたパー