少し前に仲良くなって、二人でも何回かランチをしたりお出かけしたりするようになった知人がいる。
友人と言いたい気持ちもあるが、多分友人と呼べるほどの信頼関係はない。
そしてあちらから見た私も同様だと思うので、「知人」がちょうど良さそう。
以前の私は、私のことなんてきっと友達とは思っていないだろう、というネガティブ感情があって遠慮して「知人」「知り合い」という言葉を使うことがあった。
その奥底には本当は友人と言いたい、相手にもそう言ってもらいたいけど、こちらが友人という言葉を使った瞬間、相手が一歩離れるのではないかという恐怖感があった。
ーあなたなんか友達じゃないー
作り笑顔でそう思っているのでは、と怖くなるのだ。
そんな私のネガティブ感情はともかく、その知人のこと。
その彼女、しばらく付き合っているうちに、コミュニケーションに違和感を感じるようになった。
すごく変であればこちらも警戒するようにするけれど、どうもよくわからない。
でもすごく違和感を感じるし、嫌な気持ちになることが多くなってきた。
変だな、変だな・・・という気持ちが確信に変わり、共通の知り合いに感じたことを話してみた。
すると実はこれまで多くの人が彼女に嫌な思いをしたことがあり、以前からいわゆる発達障害ではないかと言われている、と教えてくれた。
それを聞いた時、なぜかほっとした。
人に障害がある模様だ、という話を聞いて、なぜほっとするのだろう。
みんなそう思ってたんだ!という喜び。
自分が多数派に入っているという安堵感。
安堵というより、モヤモヤとした正体不明な違和感に説明がついたと感じてすっきりしただけだ。
しかも相手に対して障害というレッテルを張って、それで整理がついたとほっとしている自分。
それに気づいたら、また違うモヤモヤが襲ってきた。
みんなここにいていいよと、全てを乗せて回り続けている地球。
あんたのことは照らしたくない、などということはなく、誰にでもどこにでも差し込んでいく太陽の光。
それなのに私は、彼女のことを障害と決めつけて自分の世界から切り離し、距離を置いてこれで安心とほっとしている。
受け入れられない自分の小ささを強烈に感じる出来事だった。