私と芸術、私の友情 吉本ばなな
第3回 芸術が発散させてくれるもの。
私はなぜ、人間には、絵や小説が必要なのだろう、と、ときどき不思議に思うのですが。
🍌それはね、結局、人間って表に見えているところだけじゃないからです。
芸術は、人間の表に出ていないところで必要になるのでしょうか。
🍌広大な潜在意識というか無意識というか、そういう世界が、一人ひとりにあるわけです。表側のニーズは表側で満たせるけど、内側のニーズは満たせない。潜在意識は広大だから、そっち側に対して満たすものがないと人は生きていけないんじゃないでしょうか。
潜在的だから、満たされてないことに気づきにくいですよね。
🍌たぶん、気づかないまま、一生を終える人もたくさんいると思います。例えば地獄のイメージって、「本で見たから」だけじゃなく、みんな頭の中になんとなくあるじゃないですか。ふだんいっさい思い出さなくても、ある。
それが「ある」のに、「ある」ということに気がつかなければ、それなりに負担になってくるわけですよ。
🍌そういうのって、押し込めておいたら、何かの拍子に出てきちゃうんですよ。それは暴力として出るかもしれないし、破壊かもしれない、精神の不安定さにつながるのかもしれない。人のそういう部分を安定させるために、芸術は存在していると思います。
芸術がないと生きていけないと思うのは、自分のなかのそういう部分が、欲しているからなんですね。
🍌ようするに、ホラー映画も同じですよね。ホラー映画を嫌いな人は「なんであんなものが必要なんだ」と言うじゃないですか。でも、極端な話だけど、ああいうものがなければ、同じようなホラーが日常に入り込むかもしれない。
人間の心のいろんな部分を解消するために、ホラーは必要だと思うんです。
作家さんもおそらく、無意識から表現していて、だからこそ、見ている側の無意識にかかわってくる、という気がします。
🍌そうそう、やっぱりそうやって人に表に出してもらえば、救われるんですよ。押し込めておくと、何かよくない力になって、本人を侵すこともあるわけです。
私はキリコの絵に救われた気になったことがあると、いま、思い出しました。あれは、共感だったのでしょうか。
🍌共感というより、発散じゃないでしょうか。
🍌「自分のなかにも、こういうものがあったな」と思い出すからです。自分はほんとうは大きくて広いもので、いろいろな力を持っていて、それを閉じ込めたり出したりしているんだ、ということがわかって、呼吸できるようになるんじゃないでしょうか。
美術館や映画館から外に出て、いつも開放感があるのは、そのせいですね。
音楽にもそういうものを感じます。
🍌ああ、音楽もそうなんじゃないでしょうか。聴いたことによって、自分のなかにあるものが呼応して、呼吸できたり発散できたりする。
横尾忠則さんに寄せての対談のなかで とっても心に響いたところを書いてみました
横尾忠則さんといえば、天使の画集を昔、電車の網棚に乗せて降りてしまい、忘れ物として届けられていないかと尋ねたら、届けられていなくて、
これは、きっと、必要な人の手に渡ったのだろうと思ったことがありました。
網棚に乗せて忘れたもの いくつもあります(泣)
https://www.1101.com/yokoo2021/yoshimoto_banana/index.html