喘息だと分かった頃から医療費がいくら乳幼児医療が使えるからといってたまたま住んでいた市が、立て替えて後で清算という形だった。
そして、生活費も医療費に食われていくようになり、家庭の崩壊が始まった。
借りて生活しなければならない、惨めさと、どうにもならない焦りが私達の間に深い溝を作り始めた。
始終イライラしていた私が悪かったのだろうか?
何度となく繰り返されるいいあい、そして喧嘩。私の精神状態は非常に悪い状態になったのだろう。。
すべての記憶を失ってしまう事になるのです。
旦那の顔さえ分からない。
ただ分かるのは子供の顔のみ。
私の中では結婚しているにもかかわらず、離婚している事になってしまっていた。

知らない人が家に入ってくる。そんな恐怖と生活を供にしていたのだ。

そして、12月の誕生日の後の退院後私は実家へと帰った。

すでにここから別居生活の始まりでした。
後で知った事なのですが、私は病院へは行きませんでした。
代わりに母が行っていたのですが、健忘症のようなものだと言われたそうで。。

後に私はすべての記憶を取り戻す事になりましたが、今はその時のことは詳しくは覚えていないんです。。

怖くて実家へ身を潜めた。子供と自分自身を守りたかった。
ただそれだけ。

そして、ゴールデンウィークに千葉へ帰ることになりました。
この頃は子供は1歳5ヶ月。私も記憶を取り戻し、再び結婚生活へと戻ります。

仕事を始めたのは戻ってすぐの事でした。
医療費をせめて稼がなくては。。。

つづく。。。