今日は3月11日金曜日



忘れもしません

11年前も金曜日でした



今日も

あの日と同じ曇り空



空模様や気温、空気感は

記憶を増幅させます



私の住む街は内陸なので

津波による被害は免れましたが



家の中の落下物による散乱はあたりまえ

建物倒壊、道路の隆起陥没ひび割れ

10日間にも及ぶライフラインの停止

ガソリンは高騰 1ℓ200円に長蛇の列

買い物に行っても店内はスカスカ

正に食料難民でした

そのほか大変なことはたくさんあったけど

書けばキリがありませんね



ちょっと前置きが長くなりましたが



あの日の夜

当時住んでいた周辺

ガス漏れによる爆発の危険性がある

とのことで市から避難指示が出て

公民館に避難させられたんです



大きな余震がバンバン続いてましたしね



激震だったけど

ライフライン、明日には復旧するだろう

みんなそう思っていました



1日目の夜は

みんなで余震に怯えながら朝を待ちました



朝になり

電話なんてどこにも繋がらないから

仕事は勝手に休みました

どうせ事務所も仕事できる状態じゃないから

避難所で食事の支度や片付けやってましたね

夫は水運びとか



2日目の夜のことです



夕食時

急に70歳くらいのご夫婦が現れました



ライフラインの復旧見通し立たず

夫婦2人きりでいるのが不安だったらしく

指示も出ていない自主避難



夕食の片付けが終わり

みんなが自由に過ごしていると

旦那さんがハーモニカを吹き出しました

曲名は忘れたけど誰でも知ってる童謡



すると奥さんが

さあ、みんなで歌いましょう

さん、はい!

って指揮を振り出しました無気力



誰もが驚いて固まってました



その奥さんだけ歌い出し

はい、みなさんもご一緒に!

もっと大きな声で!

って無気力



身内と連絡取れてない人もいるのに

(うちは揺れた直後固定電話が一瞬だけ繋がって夫が私の両親と義母の安否を確認してくれたが娘だけ不明)



あなたたち何しに来たの???



こういう時

つられて歌い出す人っているんですよね。



私と夫は歌いませんでしたが



何曲か合唱したあと



奥さんが

演奏してくれた夫に拍手〜

ってみんなに拍手を強要無気力



私の横にいる夫の顔を見ると

普段温厚な夫の顔つきが…



これはヤバいハッ



タバコを持って

部屋から出て行きました



なんなの⁉︎あの人たち!

避難所ごっこしてんの?

俺はもう無理‼︎



今すぐにでも出て行く勢い



義母がいる自宅へ向かうと言う



私も無理だけど汗



信号消えてるし

真っ暗で道路が見えない

道路もどうなっているかわからない



危ないから

日の出を待って出発することにしました



最初からそっちに避難してれば

嫌な思いしないで済んだんだけど

すぐにライフライン復旧して

月曜日から出勤できると思ってたから



あの夫婦が

いつまでいたかわかりませんが

最後まで一緒だった人は苦痛だっただろう



もうあんな思いはしたくありません



あのときは夫がいたから

支え合うことができたけど



ひとりで避難所にいるなんて

私にはハードルが高すぎます



だから

避難するような災害が起こらないよう

ただひたすら祈るだけです