スピリチュアルとサイキック、これは厳密にはまったく異なります。日本人の大半がスピリチュアルと呼ぶものは、ほとんどがサイキックになります。
靈的(※スピリチュアル)とは靈性を高めるための道。
心靈(※サイキック)とは靈能力を使い、奉仕する道。
両者は似ているようで異なります。心靈能力は誰しも何かしらは備えており、それを世閒では超能力とか天才とか比喩します。
サイキック能力は、その能力を使用し地球や人類に奉仕し貢献するために授けられました。能力の程度は、靈性とは比例せず、人閒性が未熟でも心靈的能力を携えてる方は非常に多くいます。
そして、わたしは人々が靈的な方向への關心ではく、大半の人々が單なる心靈現象にしか興味がなく、肝心なる靈性を高めることを怠っていることを指摘します。
わたし自身、多少のサイキック能力(※直感力、創造力など)はありますが、その能力を如何に正しく行使するかが重要であり、それを惡用し詐欺を働かないように自制する理性が必要になります。
スピリチュアル運動の本質は、如何に地球や人類、どうぶつ逹を物心共に救い、靈的氣付きを与え、宇宙の法則と一致した方向に導くかにあります。
少なくとも、魂心身を救うのは自分自身でしか行えません。それらをサポートをする存在がサイキック能力を持ち合わせた存在逹のはずが、選民意識というエゴのエネルギーにより逆に靈性を墜落させている人が多いのです。
わたし自身、多少のサイキック能力を備えていると説明はしましたが、それはあくまで人の病を救い、靈的氣付きを与えるために必要だからあるのであり、高次元から選ばれている訳でもなく、その役割だから能力があるだけなのです。
また、サイキック能力を備えていようが、肝心の靈性を高める、成長させる、進化させるということを怠っていれば、それは本末転倒です。あくまで、靈性を高めることが本來の生き方だからです。
では、靈性を高める、靈性を成長させる、靈性を進化させるとは具體的にどういうことなのでしょうか?ここの定義が漠然としていて、その本質に氣付けないでいる方が多いのではないかと思うのです。
靈性を高めるとは具體的には神意(あい)、思いやり、慈しみを育み、人にもどうぶつ逹にも地球にも、生きとし生ける生命すべてを大切にし、それを言葉だけでなく行動して實踐し、繼續していくことです。
幾らサイキック能力があろうが、どうぶつ逹が虐待されるのを無視したり、見過ごしたり、地球が破壊されているのを他人事のように感じていたり、人々の不幸で利益を得るような人閒は靈性が非常に未熟であるのは否めません。
本当に靈性が高ければ、人々の苦しみを自分自身の苦しみと受け止めます。どうぶつ逹の苦しみや地球の苦しみを自分自身の苦しみと受け止めます。
そして、それらを自分に出來る限りの力で救いたいと願います。ただ、天命、使命、役割でないことは出來ません。それらを苦しいながらも他人に任せる勇氣も必要な場合があります。
どのような能力があろうと、その能力以上のことは人は出來ないのです。ただただ手にした能力を奉仕に使い、地球の人々に貢献し、それらを自分自身の喜びとするために成長していかなければなりません。
