神さまにあって、自由に生きられますように
うつが出て来て昨日の午後から今日の午前中は、寝たきりに近い状態だった。
今回は、死にたくないのに衝動的にそちらへ向かいそうな感じがするほどひどかった。
何もかもいやになって、叫びたくなった。カラオケにでも行けば良いのだろうが、そんな元気はなかったので、独りで「あーーーーー」とまるで合唱団か劇団の発声練習のように声を発していた。苦しみは出来るだけ外に出したほうが軽減されるという科学的研究結果もあるらしいし。
何もかもいやになって、このブログもひと思いに閉じてしまおうかとさえ思った。
でも、宣伝もランキングもやっていないのに、同病者の方やクリスチャンの方も訪問してくださっているようなので、もったいないなとも思った。
わたしは、結局、真面目なのだと思う。もっと不真面目でいい加減であれば、「病気なんだから思いっきりのんびりしよう・・・病人の特権、特権♪」ぐらいに思えるのだろう。
でも、自分は、「なぜ普通に生活出来ないのか?」「いったいこんなこといつまで続くのか?」
「もう疲れた」・・・
さらに、被害者意識が出て来て、「思えば、わたしはいつも人の犠牲になって来た」とか、「人間なんて・・・」とか思い始めてしまう。
そして、ついに、「神さま、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?」などという
「深刻」な問いが頭の中をぐるぐる回る。
それに、皮肉にも、日曜日に具合が悪いこと多し。カトリック信者にとって、ミサは感謝の祭儀であり、祝福されたお祭りのはずだが、その日に、もっとも体調が悪くなったり、イライラしたり、悲しくなったりするのは、困ったものだ。でも、まあ、みんながお祭りに行っているのに、自分だけ行けないと思ったらつらいのも無理からぬことだとも思う。
もうこういうのはやめよう、やめたいと思えばこそ・・・今ここに生きる練習をしているのだけれど、具合が悪いとなかなか難しい。
正直に言おう。わたしは傷ついて悲しんで怒っているようだ。
そんなとき、これまた重い話かもしれないけれど・・・ジャンヌダルクのことを思っていた。
19歳で火刑にされた可哀想なフランスの少女。
詳しく書くのは大変なので、ご興味のある方は、ご自分で調べて頂ければと思う。
投獄されてから殺されるまで、約1年ぐらいの期間があった。殺される直前に、ゆるしの秘跡と聖体拝領をしたが、それまでの約1年、当然のことながら、ミサにも行けず、聖体拝領も出来なかった。女の身で、男の囚人と同じ牢獄に入れられ、鎖に繋がれ、常に厳しい尋問をされ、脅され、暴力を受け・・・筆舌に尽くしがたい苦しみを味わったことだろう。
それでも、もしも、一番つらいときに、ミサに行けて聖体拝領出来たら、勇気づけられ、苦難に耐える力ももちやすかったかもしれない。一番つらいときに、教会から遠くなる・・・しかも、異端として、教会が自分を否定して殺したいと思っているという状況だった。
他にも、日本の殉教者達も、ミサにも行けず聖体拝領も出来ないまま、殺されていった。鎖国によって何百年も司祭なしで信仰を保たなくてはならなかった。
最もつらいときに、一番の支えになるはずのミサや聖体から離されてしまうというのは、自分だけではなかったのだなと初めて思った。
ずっと疑問に思っていたのだ。イエス様はあれほど病人や貧者や罪人として軽蔑されていたような人とばかり交わったのに、どうして、現代では、病気や高齢になったらあっという間に教会から孤立して聖体拝領も出来なくなってしまうのだろうって。教会って何だろうと。
そりゃあ、教会に行けなくても、心を共同体に向けて、ともに祈ろうとか出来るだろう。でもね、病気に苦しみながら、孤独の中、そういうことを続けるのはかなり深く強い信仰がないと難しいよ。
もう、そういうこと、これまでさんざんして来たけれど疲れたなって思うことがある。
そんなときに、もっとそうしろと言われるのは辛い。
とにかく、そういう疑問を持っていた。でも、ジャンヌダルクを始め、聖人や殉教者達も、最も教会の支えが欲しいときに、それを取り去られていたのだなと思った。
そのことが、自分に勇気と慰めをくれた。
神だけを見なさいと言われているのかもしれない。
まあ、何も殉教者と自分を一緒にしなくても良いのだろうけれど・・・深刻で真面目なことを考えてしまう自分だ。
思えば、多くの人が夢にも思わないようなことで自分は悩んでいる。
日本には1000人に2人とかいう双極性障害という病気もそうだし、100人に1人に満たないクリスチャンとしてもそうだ。
思えば不思議な気がする。通りですれ違ったあの人もこの人も、こんなことでは悩んでいない。
四時になった。
今日も読んでくれてありがとう。
神さまの御国は、今、ここ、このとき。