続き。
前編/中編
僕は、
自分の声にコンプレックスがある。
その理由のひとつが
声変わりだと思う。
小学校の3年だか4年に
だんだん高い声で
歌うことが出来なくなっていった。
小さいころは
抜けるような通る声を持っていたから
今思えばそれが宝だったんだけど、
声変わりでそれを失ってからは
なんか自分じゃなくなったような気がしていた。
日常での
感情表現の不自由さ。
今までどおりに喋っても
こもってしまう音。
好きに歌えていた歌も
コントロールが効かなくなっていた。
無邪気で光輝かしい声。
それはもう手元にない。
でも
あの声を出せていた頃の感覚は
25歳になった今でもある。
今それをしようとしても
寂しい吐息しか出ないのだけど。
だからか、
僕は声の高い男性に憧れる。
またあの声を取り戻したいと
どこかで思っているからだろう。
ここからは
山下幼稚宴で成長した
自分の歌について書こうと思う。
高校を卒業してすぐ、
北村と作品を作ろうということになり
始まった「オバケな人生」という企画。
劇場なんか借りるお金がないから、
児童センターを安く使わせてもらっての
数日間の本番を試みた。
出演者もたった数名。
あらゆるものを手作りで賄い
どこまで行けるかな、
というような実験的な企画だった。
はじめ僕は無料でやろうと言い張ったが、
二人で話し合ううちに
500円の入場料を
徴収することに落ち着いた。
いろいろ整って、稽古が始まる。
僕はオバケ屋敷をつぶそうとする
チビ社長の役で、
みんなを脅かすポジションだった。
ある歌の中で、
叫ぶ演出が付いたのだが、
人生の中で叫んだことがなかった僕には
これはかなりセンセーショナルだった。
性格が根暗というか
温厚だったため
叫ぶような気性ではなかった。
そこらへんは
本当に舞台に向いていないと思う。
今思えば別に
大したことはないのだけれど、
当時は練習したいけど、
喉がつぶれるんじゃないか、
とか心配して
自分で大騒ぎしていた。
稽古を重ねるとだんだんと
慣れてきたのか
そんな杞憂も減ってきた。
実際に喉をつぶしたのは
その数年後。
「奇跡の夜に」という作品の
うさぎ役。
大声で叫びながら
かめと追いかけっこをするシーンで
思いっきりのどに負担をかけ
ソロもあったのに
つぶれた声で本番。
台詞は言えるんだけど、
歌えない。
これは辛かった。
さらに翌年の
「勝利の条件(再演)」。
かなり歌に重きを置く役だったのに
慣れてないロックの歌い方をしようとして
失敗。惨敗。
音源が残っているけど、
声がひっくり返ったりしてて
聴けたものじゃない。
ただ、この頃から
ハスキーに発声する感覚が
つかめてきていたのは事実で
それが今でも役に立ってきている。
息まじりに出せる声は
歌に質感を与えてくれる。
器楽的に言えば、
より情感豊かな表現が可能になる。
表現のためには、
酷使することも必要だと
思えた。
同年、
「夢と笑いの製作所」。
The・シャウト。
出番が少ないからと思って
真っ向勝負してみたが
そうそうあの手の歌手のマネなど
できるはずがなかった。
轟音のオケに
張り合おうとして
僕の声帯は
プッ・・・と逝きました。
この頃までは
僕は歌を舐めていたと思う。
2010年ブラッドタイプ。
前述したように
僕は幼少期も青春も
ミュージカルの歌を好んで生きてきた。
しかし、
栗原演出にて
僕の得意とするミュージカル的な歌い方は
「自分に酔っている」と
否定され続けてきた。
そのおかげで僕は
ポップスも聴いたり、歌ってみたり、
模索することになる。
それまでの
ポップスのイメージといったら
・旋律がどっかで聴いたことある
・歌、楽曲に情感が感じられない
・ありふれてる
・感動できない
・歌っても楽しくない
などいろいろあった。
ジャンルは問わず、
日本のメジャーアーティストシーンに
あらわれる曲はすべて
ポップスとくくって毛嫌いしていたのだ。
本当に興味がなかったし、
音楽を語らう友達もいなかった。
栗原は
僕が今まで興味もなかったCDを
色々貸してくれた。
「尾崎豊」
「DA PUMP」
「米米Club」
「山下達郎」
etc...
最初は気分が乗らなかったけど
こういう歌い方もあるんだ、
と感心したし、
聴いているうちに好きになっていった。
偏見を解いてみると、
視野を広げることが出来る。
いろいろ経験して真っさらになって
表現できたのが
ブラッドタイプのロック役だった。
CDも発売しているので
よかったら
歌声を聴いてみてほしい。
決してうまくはないけれど、
こだわりを捨てて
役に奉仕できた僕がそこにいる。
そこからは歌に前向きになれている。
少しづつ自信もついて、
新しい考え方も出てきた。
僕は舞台に立つ。
拍手が欲しいわけではない。
自分の歌で
人の心を動かせるとは思わない。
感動させたいとも思ってない。
ただ、僕は
ミュージカル作品が持つ
エネルギーや魔力を十分に知っている。
それらは芝居や音楽ライヴにはない
奇跡的体験。
それを伝える一部になりたい。
その力の一部になりたい。
声が出なくなったら
作曲としてでもいい。
それまでは役と一緒に、
育っていくんだ。
僕の歌は。
自分というちっぽけな人間には
限界があるけど、
信じあえる大切な人たちと作る
物語なら
起こせる奇跡に限界はないと思う。
夢は親孝行すること。
金じゃない。地位や名誉でもない。
創り続ける。
最高の舞台を。
これが今の僕にできる
たったひとつの道。
─共に育つ