いつまでも本を読もうと思った日 〜佐々木繁先生と日本エディタースクールの思い出〜 | 七色祐太の七色日日新聞

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怪奇、戦前文化、ジャズ。
今夜も楽しく現実逃避。
現代社会に疲れたあなた、どうぞ遊びにいらっしゃい。

つい先日、

文学フリマ出店のために上京した時のこと。

いつものように古本屋の棚を眺め、

いつものように「怪奇」「戦前」などの

見飽きた背表紙たちを斜め読みしていると。

ふと、ある1冊が目にとまりました。

 

岩波文庫の『マルテの手記』。

書いたのは詩人のリルケ。

その名を見た瞬間、ハッとします。

 

この本がどんな内容かは知らぬ。

しかし、リルケが書いた本なのだ。

 

迷わずレジに向かい、

たった220円のその本を、

とても大切な気持ちで

カバンにしまい込みました。

 

私はリルケという人に関して

多くを知っているわけではありません。

かと言って、

デリダとはダレダとか

筒井康隆ゲームを

やりたいわけでもありません。

ただ私には、

リルケという名を見るたびいつも思い出す、

ある人がいるのです。

 

特にやることのない夜、

数時間ダラダラとSNSを見て過ごし、

「タイタニックは

 衝突から沈没までの

 2時間40分で

 世紀のドラマを生み出したのに

 俺は一体何をしているんだ」

と激しい自責の念に駆られることがあります。

 

こんなことを考えるとき、

よく私の頭に浮かぶのは、

今でも決して

忘れることのできない

特別な2時間半。

大学で聴いた各々1350分の講義にも

覚えているものはほとんど無いのに、

そのたった150分、1回きりの講義は、

それから15年が経った今でも

少しも色褪せることなく、

深く深く自分の心に刻まれているのです。

 

 

~日本エディタースクール

 夜間講座~

 

2009年。

 

大学を卒業したのち

東京デザイナー学院を中退し、

そのまま高田純次のような

最終学歴になるところだった私は、

もともと本作りの勉強をしたかったこともあり、

上京後に初めてその存在を知った

日本エディタースクールなる

出版専門の学び舎に草鞋を脱ぐことを決め、

無職渡世ながら

日々勉学に励んでいました。

 

最初は校正の通信講座を受講していたものの、

さらなる向学心を抑えがたく、

夜間講座にも登録して

週2~3回の講義を受けるように。

 

それは本当に夢のような時間。

 

何たって教わる内容が大好きな

「本」に関することばかりなのですから、

どうして最初から

このエデンの園に来なかったのか、

猛烈に悔やんだものです。

 

今も本作りのたびに読み返す

エディタースクールの教科書たち

 

こうして、

私にとっての「世界一受けたい授業」は

日が沈んだ神田の古いビルの一室で

毎回10人ほどの生徒を相手に

ひっそり開講されておりました。

一番最初の授業にて、

全授業の日程と

講師のプロフィール一覧をまとめた

ファイルが配られたのですが、

私がそれを眺めて特に楽しみにしていたのは、

出版界の長老と言える

高齢講師たちの授業です。

何しろ歴史が古い専門学校

(1964年開校)なので、

開校当時からすでに出版界の

第一線で活躍していたような

古老たちの話を

格安の学費で拝聴できるという

おいしすぎる特典があったのです。

 

ここで、印象に残っている長老の方々を

少し紹介してみましょう。

 

 

井家上隆幸

(いけがみ・たかゆき) 

書評家・編集者

1934年生まれ 当時75歳

 

井家上氏は、

『ジョーズ』のヒットを

「右翼的だ」と批判した事実を

「映画秘宝」誌上で

町山智浩氏によって

数十年ぶりに掘り返され、

若き日には編集者として

竹中労や小沢昭一の本なども担当した方ですが、

モジャモジャの白髪にジャンパーとズボン姿で

足早く教室に入ってきた初登場シーンは、

確かにそういう傾向の人を

感じさせました。

また

「今日は授業に来る前に

 友達の経営者から

 存続か倒産かの相談を受けて

 潰せと答えた

とか、

「梶原一騎に

 インタビューしたことがあるけど

 汚すぎて書けませんよ

とか、

雑談の節々にも

そういう人らしいものが

キラキラ輝いていました。

しかし気難しそうな予想とは違って

とても気さくでよく笑う人であり、

授業後には生徒数人を引き連れて

飲み屋に繰り出し、

一言も喋らない人見知りの私も

勢いで参加したものです。

井家上氏の授業は本の模擬企画書作成や

著者への原稿依頼の手紙執筆練習でしたが、

私はジャズ評論家の瀬川昌久氏の生涯を

まとめたいとの模擬企画書を出し、

「一般的には、あの人はもう過去の人。

 高齢だから、聞き書きになるでしょうね。

 でね、あの人

 いい加減なんですよ。

 だから細かい事実関係なんかは、

 全部あなたがまとめてね。

 でもこれね、そうすれば、

 ちゃんと本になりますよ!!」

結局予想外に褒められ、

何より瀬川昌久という

一般的には「Who?」な老人に関して

日外アソシエーツの人名事典とは

一味違う生々しい情報が

瞬時に返ってきたことに

大変驚いたものです。

その場で初めて目にした生徒の企画書全てに

溢れんばかりの情熱と情報が詰まった

コメントを軽々と返してくる博学ぶりは、

本当に本が

好きで好きでたまらない

活字中毒者の理想形そのもので、

自分もいつかここまでになれたらと

大変羨ましく感じたものでした。

 

 

野村保惠

(のむら・やすえ)

図書印刷、丸善出版部などを経て

「あるふぁ企画」代表取締役

1928年生まれ 当時81歳

 

印刷屋の倅として生まれ、

活字をレゴブロック代わりに

育った野村氏は、

出版界の長老として

実務全般に精通していましたが、

とりわけ「美しい本作り」には

譲れない信念を持ち、

私も皇室や神社仏閣を

愛する守旧派として

大変尊敬していました。

著書も幅広いテーマのものがありますが、

校正関係のものとして、

誤記や誤字の実例を自ら数十年にわたって

丹念に収集した集大成である

『誤記ブリぞろぞろ』は傑作で、

氏がそれまでの全人生で身につけた博学と

古典的教養主義の香りが絶妙にブレンドされた

80年物の極上な味わいに

うっとり酔いしれたものです。

また、私が卒業して後には、

『本の品格』なる

タイトルからして

中身が想像される1冊も

上梓されているらしく、

本作りに関する古き良き伝統の

最後の継承者といった感じの人でした。

ただ、

そうした性質から想像される

物静かな人物ではなく、

ハゲ頭に老人メガネ、

印象的な白眉毛の下には

眼光鋭く鷹のような目が光り、

いかにも江戸っ子らしく

歯に衣着せぬ物言いをする方で、

特に「デザイナー」

なるものに関しては

蛇蝎の如く嫌っておいででしたが、

不思議と生徒に対して怒ったことは

一度も無かったのを覚えています。

また

「仕事で家に電子メールが送られてきて、

 画像が貼ってあるとアウトなんですよ。

 読み込みに1時間かかっちゃう」

と笑う姿は、豪快ながらも

さすがに「昭和一桁」を

感じさせたものの、

頭の切れ具合は

とても80過ぎの老人とは思えず、

竹を割ったような

カラリとした性格と相まって、

粋で爽やかなカッコよさが

全身から漂っていたものです。

 

なお、井家上氏はその後2018年に

亡くなっておられますが、

野村氏の現況については

不明であり、

案外96歳になった今でも、

当時と変わらず水道橋の駅前を

あのグレーの背広でひょいひょいと

歩き回っているような気もします。

 

 

~横綱登場~

 

こうした個性的な長老たちと

過ごす楽しい時間は、

いつもあっという間に

過ぎていきました。

 

そんな中、私は例の

講師プロフィール一覧を眺めては、

ある人物の授業を受けるのを

ひそかに待ち焦がれていたのです。

 

佐々木繁(ささき・しげし)

元日本書籍出版協会専務理事

1923年生まれ 当時86歳

 

並み居る高齢講師たちの中でも

最長老、唯一の大正生まれ。

著作権の専門家であるらしく、

出版と著作権に関するテーマで

授業をしてくださるとのこと。

 

私はこの佐々木氏と

出会えるのをそれはそれは

首を長くして待っていましたが、

3月初めの寒い夜、

ついにその日はやって来ました。

 

そしてここからが

今回の話の中心。

 

その夜の佐々木先生との時間は、

その後の私にとって

生涯の思い出となったのです。

 

 

~伝説の一夜、開幕~

 

席に座りドキドキと待っている私の前に、

その人はゆっくりと姿を現しました。

 

スマートな体型を濃い色の背広に包んで

昔懐かしい形の眼鏡をかけた老人が

教室後方から姿を現し、

かなり矍鑠とした歩みで

教壇に進んでいきます。

そして皆に向かってニコッと微笑み

 

「佐々木でございます……」

 

ついに佐々木先生と

出会えた!!

 

この日のために講師プロフィールを

予習しまくっていた私と違い、

多くの生徒は

突如目の前に現れた

かなりの高齢男性に

意表を突かれたらしく、

慌ててプロフィールファイルを

開き直す女性の姿も見えます。

 

「僕、まだ仕事をしてるから、

 けっこう見た目が若いでしょう。

 70ですと言っても、

 違和感なく見られるんですよ」

 

と微笑む佐々木先生の姿は、

どう見ても86歳に見えました。

 

いよいよここから、

この出版界の最長老との

伝説の一夜が

幕を開けることになるのです。

 

 

〜大物中の大物〜

 

佐々木先生の授業は著作権がテーマなので、

その種類の解説から始まって、

どういう場合にその侵害が問題となるかなど、

具体例を挙げながら話してくれましたが、

他の長老講師たちの例に漏れず、

専門的な部分より、

その合間合間に挟まれた

雑談の内容の凄さが

強く印象に残っています。

 

「まだ三島(由紀夫)が

 新人の頃に、

 知り合いの編集者から相談を受けてね。

 三島が本の最初に

 自分の顔写真を

 入れろと言ってきて

 困ってるっていうんだ。

 だから僕は三島に、

 そんなこと言う奴は

   死んじまえ

 って言って大喧嘩したんだ」

 

「三島の奥さんの

 瑤子ちゃんとも

 ずっと仲が良かったんですよ。

 この前三島に関する本が出たけど、

 身内の誰かが許可を出したのかな。

 分かりません。

 僕には話が

 ありませんでしたから」

 

「丹波(哲郎)の書いた

 『〇〇』って本だけど……

 まあ、あれ実は、

 丹波が書いてないんだ。

 だから僕は、

 丹波に言ってやったんだ」

 

こうした博物館級のエピソードを

いともさりげない感じで

静かに語り続ける佐々木先生の姿に、

私は例の井家上氏の陽性な豪傑ぶりとは

また違う凄まじさを

感じたものです。

それはあらゆる分野の

長老たちが共通に感じさせる、

もはや深すぎて何も見えない井戸の底から

時たま何かがチラリと顔を覗かせる瞬間の、

ある種の恐怖とも言って

いいものだったのかもしれません。

 

また、

日本エディタースクールに関しては

 

「まあこれ、

 僕らが作った

 学校なんですけどね……」

 

とても一講師の身分に

置いてはおけないような

事実を発言され、

私はあまりの不敬ぶりに

何も関係ない自分が

腹を切ろうかと

思ったものでした。

 

半世紀以上にわたって

出版界の裏表で生き続けてきた

1人の大先輩の姿を眺めながら、

私はただ、

言いようのない感動を

覚えていました。

 

 

~佐々木先生

 最後のメッセージ~

 

夜間講座の授業は

毎回2時間でしたが、

楽しかった佐々木先生の時間も

終わりに近づき、

そろそろ解散かと思われた時。

 

突然、

予想もしなかった展開が

起こったのです。

 

「さて、それでは。

 授業はこれで終わりなので、

 帰りたい方は帰っても大丈夫です。

 ただ、最後に僕から

 みなさんに

 伝えたいことがあります。

 これまで話してきた著作権の話は

 全部忘れてもいいです。

 でも、

 これから話すことだけは

 決して忘れないで下さい」

 

先生の声と笑顔は

何も変わりませんが、

教室の空気は

はっきりと揺らぎました。

 

実は授業が始まってから

先生自ら仰ったことですが、

その日は偶然にも、

高齢の佐々木先生の最後の授業、

正真正銘の最終講義だったのです。

 

こんな大先輩の話を

普通に聞けるだけでも嬉しいのに、

事もあろうに

その人生最後の講義の場に

居合わせることになろうとは……。

私は何とも

不思議な縁を感じていました。

 

その最終講義の、

本当に最後の時間が

これから始まる。

 

果たして、

佐々木先生が

決して忘れてほしくない

こととは何なのか。

 

私は緊張していました。

 

そして待ち受ける皆の前に、

佐々木先生の口から出てきた

第一声は……

 

 

「戦争という愚かな行為は

 絶対にしてはならない」

 

 

私も含めて、

教室にいた全員が驚きました。

1人の人間のモードが

さっきまでと

はっきり変わったのを

感じたのです。

 

そして先生は、

自らの体験を語り始めました。

 

若き日に召集されて軍隊に入った際、

佐々木先生が荷物の中で

大切に隠し持っていた1冊の本……。

 

それこそが、リルケの

詩集だったそうなのです。

 

ある時それが上官に見つかり、

破られるか捨てられるかした上に

思いっきりビンタされ、

そのせいで今でも耳鳴りがするのだと

仰っていましたが、その話をする時の

本当に悲しそうな

様子は今でも忘れられません。

 

そして亡くなった戦友のことを

いまだに思い出すのだと涙声で語ります。

 

自分自身について考えるための

読書をする時間もないままに、

青春を全て台無しにされた。

 

そして、

それから60年以上が経ったけど、

今はまた、この年になっても

いろんな仕事が回ってくる。

頼まれるとなかなか断ることもできない。

本当は自分の時間を過ごしたいのだけど、

90歳に手が届こうとする今でも

自由な毎日を送れない。

 

 

「僕はずっと、

 人のためにばかり生きて自分の

 時間が持てなかった。

 みなさんは僕と違って、

 自分自身の人生を歩んでほしい。

 そしてそのためにも、

 読書を通して『本物の教養』を

 身につけてほしい」

 

 

これが佐々木先生が、

一番最後に私たちに

伝えたかったことなのでした。

 

 

その「本物の教養」というのは、

単なる知識や技術の類とは別次元の、

生きることそのものと一体化した

何かとてつもなく凄まじい力を

意味していることが、

目の前の老人の

全身から伝わってきました。

そしてその強烈な力は、

「読書」によって得ることが

できるというのです。

 

メッセージの内容もさることながら、

私は自らの全人生を材料として

それを切実に語り続ける

佐々木先生の痛々しい姿に

凄まじい衝撃を受けました。

1人の人間の授業によって

あれほど心を揺さぶられたことは

それまで無かったし、その後もありません。

 

私が驚いたのは、

授業本編が終わって先生が

最後の話を始めた途端、

席を立って帰った人が

何人かいたことでした。

それはおそらく戦争云々の話が原因ではなく、

生徒の大半が社会人であるため

早く家に帰りたかっただけで、

実際もう帰ってもいいとも言われていましたが、

それにしても、

90近くの老人が

あえて最後のメッセージだと前置きして

懸命に語りかける姿を目の前にして、

よく平気で帰れるものだと

思ったものです。

 

一方、私も含めて

非常に感銘を受けた生徒も大勢おり、

先生がそんな私たちに

ぜひ読んで欲しいと薦めてくれた本は、

次の2冊だったのを覚えています。

 

『敗北を抱きしめて』

 ジョン・ダワー著

 岩波書店・2001年(増補版2004年)

 原著・1999年

『おじいちゃん

 戦争のことを教えて』

 中條高德著

 致知出版社・1998年 小学館・2002年

 

ただ、

私は佐々木先生のことを思い出すたび、

この2冊以上に

いつもリルケのことが

頭に浮かびます。

1人の青年が戦場で

命をかけて読み耽った1冊の詩集。

それこそ、人生の一時期において、

まさしく佐々木繁そのもので

あった本のように思うからです。

 

佐々木先生が

自分の思いを語り終えた時、

夜7時前から始まった授業は

予定の2時間をはるかに超え、

時刻は9時半になっていました。

あの、

私の人生で最も忘れがたい濃密な時間は、

偶然にもタイタニックの

世紀のドラマと

ほぼ同じ長さだったのです。

 

先生は立ち上がると

「もう雪になっちゃったのかな」

と笑いながら

教室の出口に向かいましたが、

私を含めて皆、

今体験したあまりの出来事に、

どう接すればいいのか

分かりませんでした。

ただ「とにかくこの人を守らねば」

という気持ちだけは全員同じだったようで、

高齢の先生は

私たち全員に囲まれるように

ゆっくりと階段を降りていきました。

私はよほど何か言葉を

交わそうかと思いましたが、

結局そのまま一言も話せないまま

別れてしまったのが

今でも悔やまれてなりません。

その後一度も

お見かけする機会もないまま、

佐々木先生はその数年後に

亡くなられたそうです。

 

外に出ると

夕方の雨は確かに雪になっており、

私はそのまま電車で市川まで揺られて、

その夜はずっと

佐々木先生のことばかり

考えていました。

ほんの数時間前まで

この夜が自分にとって

一生忘れられないものになろうとは

思ってもいなかったし、

86歳の大先輩ですら

まだあれほど頑張っているのに、

自分は仕事もせずに

何をしているのかと

本当に申し訳なく思ったものです。

 

あの夜先生が言われたように、

私は著作権の授業の内容は

すっかり忘れていますし、

当時の教室での裏話や雑談を

自身の記憶のみで再構成して

全世界に公開しているこの文章自体が、

著作権以外にも

山ほどの法令違反を

犯しているような気もしますが、

「決して忘れないでほしい」と

言われた部分は

今でもほぼ全てを

はっきり覚えています。

 

私は大学も出ましたが、

自分の母校は間違いなく

あの日本エディタースクール

だと思います。

たった2時間半の出会いでしたが、

私の大好きな「本」というものの底力を

最後に全身全霊をもって示してくれた

佐々木先生は、

自分の学歴の総仕上げにして

最大の恩師だったようにも

思うのです。

 

読むことは生きること。

 

あの日、

先生の話を聞きながら、

自分はこれから先も、

いつまでもいつまでも

本を読み続けよう

と心の底から思ったものでした。

 

 

〜我が家の本棚を眺めて〜

 

私には子供の頃から

「今読んでいる本」というのが

常に何かしらあって、

それが途切れたことがありません。

だから家の本棚を眺めると、

その本の内容よりも、

それを読んでいた頃の

生活や気持ちをいっそうよく思い出し、

本棚の中がそのまま

自分の個人史になっています。

 

はるか昔に破り捨てられた

リルケの本を思い出すとき、

佐々木先生も同じ感覚

だったのではないでしょうか。

 

古い本を読んで

過去の書き手と友達になることを

中国で「尚友」というそうですが、

私は著者だけでなく、

その本を心から愛した人とも

友達になれるように思います。

リルケの本を開くとき、

私は若い日の佐々木先生そのものと

話しているように感じて、

たった2時間半しか

同じ場を共有できなかった

あの人の心の内が、

いっそうデリケートな部分まで

伝わってくるようで嬉しくなります。

 

そんなことを思いつつ、

自分の本棚を見てみれば……。

 

それ自体が自分の人生の

ある時期そのものである1冊。

それ無しでは決してその時期を

生き延びることができなかった1冊。

どれも私が、

どうにかここまで死なずに

来れる力を与えてくれました。

私の場合、

積極的な元気を得るための読書より、

マイナスの心に

マイナスの内容を掛けて

力ずくでプラスに転換するような

切羽詰まった読書が多いのですが、

それらの読書を通じて、

確かに生きる力を得てきたのです。

 

それが佐々木先生の言われた

「本物の教養」なのかどうかは

まだ分かりません。

しかし、

自分が生きていくためには

どれも絶対に必要な本だったの

は間違いないことです。

 

私はそんな1冊を

もっともっと増やしていくため、

いつまでも本を

読み続けるだろうと思うし、

読まないと死んでしまうのです。

 

 

もし自分が、

あの時の佐々木先生と

同じ年まで生きることができたなら、

長かった人生で一番の思い出として、

どの1冊を思い出すのでしょうか……。

 

 

少なくとも、

もはや老齢で

動けなくなった布団で

自作の『限界集落人物伝』を

延々読み返すという、

晩年の稲垣足穂のような

ことにだけはならないよう

今から祈っておる次第です。

 

 

 

追記

 

佐々木先生は、私の調べた限り意外にも単著を執筆しておられないようで、各種雑誌に発表された文章も公人としての立場から書かれた内容のものが大半ですが、国会図書館デジタルコレクションで検索したところ、1980年代半ばの「コピライト」誌に「戦中派のつぶやき」と題するコラムを全6回で連載しているのを見つけました。自身の出征体験や亡くなった同世代の若者たちへの思いなど、個人的な事柄が綴られた興味深い内容です。

先生はその中で、毎年夏が来るたびに戦没学徒の手記を何冊も読み返すのが自分の年中行事だと述べていますが、著作権の専門家としても、彼らが残した文章の保護期間が近く終了してしまうことを非常に心配しておられます。私は専門外なのでこの問題のその後については分かりませんが、その文章を書いてから30年以上後、若い世代に話せる最後の機会にやはり「戦争」の話を選ばれたことを思うと、あの日の「自分自身の人生を」との言葉は、自らが一生悩まされ続けた本当に切実な問題であったのだと、あらためて思います。

私は恥ずかしながら、あの日先生が薦めてくださった2冊をまだ読んでいなかったため、今回このブログを書くにあたって『おじいちゃん戦争のことを教えて』を読んでみました。アメリカのマスターズ・スクールに通う孫娘の質問状に答えて1人の老人(といってもアサヒビールの名誉顧問を務めたほどの人)が自身の戦前・戦中・戦後の思い出を記したこの本は、意外にも、私が予想したような、戦争の悲惨さだけを延々と訴えかけるような内容ではありませんでした。リルケの本のようなムードとは全く別種のものだったのです。また、著者自身は陸軍士官学校時代に終戦を迎えているため戦場には行っておらず、内容的には、それまで信じていた価値観を全否定された1人の少年の戦後史や、その思いに比重が置かれています。もう1冊の『敗北を抱きしめて』も終戦直後の日本人がテーマになっていることを思うと、佐々木先生が読み取って欲しかった「何か」は、戦時中そのものより、どうも戦後(特に終戦直後)の方にあるらしく、あれから15年を経て、私は先生の心のいっそう深い部分に初めて気づけそうな気もして、ワクワクしています。これから『敗北を抱きしめて』も読み始めるつもりですが、百戦錬磨の佐々木先生と心を通じて「尚友」になれる日は、果たして来るのでしょうか。