アル・アダムソン・ホラーマラソン(前編) | 七色祐太の七色日日新聞

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怪奇、戦前文化、ジャズ。
今夜も楽しく現実逃避。
現代社会に疲れたあなた、どうぞ遊びにいらっしゃい。

こんばんは、
シネフィルです。


いつの間にやら盆も過ぎさりまして、
いよいよ秋の夜長の怪談話と洒落こめる
風流な季節が近づいてまいりましたが、
世間から隔絶した毎日を送る好事家の皆様は
いかがお過ごしでしょうか。

そんな2秒で思いついた
時候の挨拶はどうでもいいのですが、

今回は、
明けても暮れても
怪奇道に精進される皆様には
なんとも嬉しい内容の記事。
以前このブログでも報告した
深夜の一人百物語大会に引き続き、
またしてもアパートの一室の
薄暗い我が家で人知れず挙行された
ある大型怪奇イベントに関する
詳細報告をさせていただいます。


イベント自体は
はるか数カ月前、
今年の初夏に行われたのですが、
都知事選やらオリンピックやらで
何かとせわしない日々が続いたここ最近。
たまにはそっと胸に手を当てて立ち止まり、
怪奇に対する自らの溢れんばかりの愛情を
あらためて確認して頂くためにも、

決行からかなりの時間が流れた
中途半端なこの時期に
あえてこのレポートを
発表する決意をしたわけです。
決して、
当時書いた原稿の存在を
すっかり忘れて
出会い系の楽しみに
耽っていたわけではありません。



それではさっそく語りましょう。


一億総活躍社会の実現のため、
猫の手まで総動員して
皆がパソコンとにらめっこする慌ただしい毎日。
こんな状況下だからこそ、
あのカリフォルニアの空のごとき
カラリと晴れ渡った
頭カラッポのホラー映画を大量に鑑賞し、
心の余裕を全力でキープする必要のあることには、
みなさんも異論はないでしょう。
ではそんな、
一点の深みも湿り気もない、
カラッと陽気な大馬鹿ホラーとは何でしょうか。


言うまでもなく、
アル・アダムソンの
ホラー映画であります。



数カ月前のある日、
私は、
彼の残したホラー映画を一気に鑑賞する、
アル・アダムソン・ホラーマラソンなる、
あまりに突拍子もないイベントを
突如として思いつきました。
高卒初任給以下の月収で生活する毎日が、
それほどまでの非日常的ショックを体験することで
精神に喝を入れることを
無意識のうちに求めていたのでありましょう。

そしてそれを思いつくと同時に、
恐らく空前絶後であろう
あまりに大胆な企てを前にして、
胸が張り裂けんばかりの緊張に
居ても立ってもおれなくなった私は、
すっかり日課となった
ネット口座の残高確認もそこそこに、

早速ノートを開いて彼のホラー作品を
一覧表にまとめてみました。
結果は以下の通りです。


『PSYCHO A GO-GO』(65)
『ドラキュラの館』(69)
『HORROR OF THE BLOOD
 MONSTERS』(70)
『BRAIN OF BLOOD』(71)
『ドラキュラ対フランケンシュタイン』(71)
『BLOOD OF GHASTLY HORROR』(72)
『血塗られた殺人』(78)
『DOCTOR DRACULA』(81)

(注:ホラー以外の作品は
   数が多すぎるため今回のマラソンから除外)。


その数全部で8本。
本数的には大したことはありません。
しかし、
できあがった一覧表を一目見た瞬間、
私の全身を
言いようのない不安が襲いました。

そして当初のフルマラソン計画を即座に放棄、
全行程を2日間に分けて、
ハーフマラソン2回での
鑑賞を行うことに変更したのです。

8本全てを1日で鑑賞した場合、
後々精神に対して無視できない
後遺症が残る可能性があると
判断してのことでした。

この期に及んで何を恐れているのかと
思われるかもしれませんが、
私にもまだ自分を可愛がるだけの
最低限の精神的余裕はあったのです。


私が過去の研究でも述べている通り、
アダムソンのホラー映画は
『HORROR OF THE BLOOD MONSTERS』から
『BLOOD OF GHASTLY HORROR』に至る
中期の4本以外は
恐ろしく退屈な出来であり、

特に後期を飾る
『血塗られた殺人』
『DOCTOR DRACULA』の2本は
よほどの好事家でない限り
鑑賞の途中放棄は確実なほど

地味でキツい作りとなっております。
俗にマラソンでは
35キロ地点に
魔物が潜むと言われておりますが、

当初のフルマラソン計画を強引に実行した場合、
およそ35キロ地点に相当する
『DOCTOR DRACULA』
鑑賞開始時を臨界点として
限界を迎えた精神が
崩壊してしまう可能性があり、

そうした最悪の事態を避けながらも
全作品の鑑賞は確実に行う、
つまりは、
あえてリスクの分散を行った上で
壮大な最終目標の実現に全力を期すという
戦術的撤退の決行を決めたのでした。

無闇に突っ走って
無惨な屍を晒すのは
自らのプライドが許しません。


わしにもまだ
それくらいの矜持はある。



というわけで、
以上のごとき周到な計画立案を経て
遂に決行された
アル・アダムソン・ホラー
ダブルハーフマラソン


今回はまず前編として、
『PSYCHO A GO-GO』から
『BRAIN OF BLOOD』に
至るまでの4本を一気に鑑賞した
初日の模様を
お伝えいたしましょう。


近所で鍋釜の音が
喧しく響き始める午後6時。
そんな周囲の状況とは対照的に、
自らの心臓の鼓動さえ
聞こえてきそうなほどに静まりかえり、
剰えカーテンまで閉め切って
一筋の光も届かぬ
深海の如き状態と相成った

暗い我が家において、
ついに最初の1本が上映開始されました。


START!! 
RUN, RAINBOW, RUN!!

『PSYCHO A GO-GO』(65)





あるデパートで宝石強盗事件が発生。
しかし店員が非常ベルを押したため
当初の計画は途中で失敗、
盗まれた宝石はほんの偶然から
あるトラックの荷台に落ちてしまい、
そのまま行方不明に……。
強盗一味の1人である荒くれ男は、
トラックの持ち主を密かに調べあげると、
その家族につきまとい、
宝石奪還のために
様々な殺人を犯していくのですが……。


アル・アダムソン初の
ホラー映画として記念すべき本作。
にもかかわらず、
限りなく見所がないことは
今までにもあちこちで述べました。
殺人シーンは随所にありますが、
個性的な怪物が出るわけでもなく、
1人のイカれた荒くれ男を中心に話が進んでいく
スリラー的な構成で、
全体も破綻なくまとまってしまっています。
破綻のないアダムソン映画など
この世のどこに需要があるでしょうか。

ただ今回見直して、
ハッとした部分も何箇所かありました。

強盗一味の中には
口の聞けない中年男がいるのですが、
彼は実は心優しい人間で、
一味が誘拐した幼い女の子の子守り役をまかされ、
彼女と一緒に笑顔で井戸まで水を汲みにいったりします。
小学校の用務員として
給食の揚げパンとカレーライスを子供たちに
配って回る平和な人生もあったであろうに、
何が悲しくて強盗などしているのでしょう。
しかし、そんな優しい彼とは対照的に、
その顔面の凶悪なレイアウトからして
アウトロー以外の全可能性が生まれつき閉ざされている、
例の荒くれ男には、
ヒューマンな心の欠片さえ窺うことが出来ません。
そして物語も終盤を迎え、
極悪非道の荒くれが、
女の子の母親に対して
容赦のない暴力を振るおうとした瞬間……、
なんとあの優しき給食おじさんが
無言で荒くれの手を
摑んだではありませんか。
そして2人はそのまま
仲間割れの殺し合いへと突入していくのです。

この展開、
どこかで見た記憶がありませんか。

そう、
あの『ドラキュラ対フランケンシュタイン』で、
女に手を出そうとしたドラキュラを
突如フランケンが無言で戒めて、
そのまま両者の殺し合いが始まるシーン。

原型はすでにここにあったのですね。

また、
ラストで警官に撃たれて
崖から落下した荒くれ男が、
自らが追い求めた宝石の真横に
倒れて息を引き取る皮肉な場面。
これも見覚えがあるでしょう。
そう、同じく『ドラキュラ~』で
警官に撃たれて高所から落下した
ロン・チェイニー・ジュニアが
真横から可愛い子猫に見守られつつ
あの世へ旅立つ切ない場面です。
全く同じ演出でも、
たった6年で
見違えるほどに叙情性は増し、
恐るべき文学的昇華を遂げております。
あの脳天気なアダムソンにも
「詩人としての成長」が
確かにあったことが窺えて、
なかなか興味深いものがありますね。

これらに加えて、
後のアダムソン映画では
すっかりお馴染みとなる
長過ぎるカーチェイス場面もすでに存在し、
初めてのホラー作品にもかかわらず、
その後の代表作への萌芽を
すでにいくつも窺わせるこの作品。
マラソン序盤の肩ならしとしては
まずまず楽しめるといったところでしょうか。


5km地点
『ドラキュラの館』(69)
(原題:BLOOD OF
 DRACULA'S CASTLE)





水族館で楽しく
トドと遊ぶ主人公カップル。
先日亡くなった、彼氏のおじさんから
突然古城を相続することに。
早速城まで出かけてみると、
そこには大昔から住んでいる
吸血鬼の夫婦やその手下がいて、
あっけなく捕まってしまいます。


先ほどの犯罪スリラーとは打って変わり、
吸血鬼や狼男といった
正真正銘の超自然の怪物が
わんさか登場する本作こそ、
アダムソンの本格的ホラー映画第一作と
言っていいかもしれません。
しかし、登場する怪物たちは
下品な着ぐるみ等ではなく
みんな面白みのない普通の人間の姿をしており、
「私は300年生きている」とか
「俺は満月の夜はちょっとやばいよ」とか
勝手に自分で主張してるだけなので、
ビジュアル的には
ほとんど見るべきものがありません。
その上残酷描写も前作より少なく感じられ、
どうにものっぺりした不思議な空気が漂いますが、
それもそのはず。
実はこれ、
アダムソンの単独監督作ではなく、
もう1人、ジーン・ヒューイットという人も
共同監督として名を連ねているのですね。
1つでも多くの事件を詰め込んだ
ギトギトの闇鍋作品を提供することこそ
観客に対する最上のサービスと考える
アダムソンの映画哲学に反して、
全体が妙にほんわかしているのは
そのためではないでしょうか。
作品自体は確かにゴミとはいえ、
アダムソン本来の作風と比べると、
かなり異質な印象を受けます。

2人の共同作業が
具体的にどの程度行われたのか
詳しくは知りませんが、
狼男の刑務所からの脱走劇が異常に長く、
そこでは大して意味もない殺人が繰り返され、
後のアダムソン・ブランドでおなじみとなる
「崖からの車の落下」も
はっきりと見られますから、
このあたりはアダムソンの担当と考えていいでしょう。
それとは対照的に、
吸血鬼夫妻をロープに縛ったまま
夜明けまで放っておくと
そのままコウモリになってるだけの
脱力のクライマックスは、
どうも彼らしくありません。
彼の映画にはその全キャリアを通じて
明らかなアクション志向があり、
こんな寝ぼけたクライマックスを
本気で希望したとも考えにくく、
このあたりはヒューイットの影響が
強いのではないかと
勝手に想像しているのですが。

このように、
作中で次々と雰囲気が変わってしまう
どっち付かずの中途半端作品ではありますが、
個性の異なる2人の安物監督が
手を組んだ結果意図せず誕生してしまった、
貴重な珍品映画として鑑賞すれば
なかなか楽しめます。

ちなみに日本版のビデオでは、
狼男が実際に狼に変身する場面がないので、
凄まじく手抜きしたハッタリ作品のように見えますが、
海外版DVDを買うと、
彼が実際に狼に変身して
女を襲うシーンをちゃんと見ることができます。
なぜかそこだけ
妙にシリアスかつ暗い雰囲気で撮られており、
その場面の有無によって
映画全体の印象まで
変わってしまうほどですから、
純粋な脱力映画を好むのであれば、
ひたすら寝ぼけた
不完全版の日本版ビデオを
見た方が楽しめると思いますね。



↑世にも貴重な幻の狼男登場シーン


INTERMISSION

さて、
この2本目が終了した時点で
時刻は早くも午後9時前。
まだまだ初日も半分ですが、
ここで私は給水地点の意味も込めて、
元々短いハーフマラソンへ、
食事休憩のインターバルまでを
ちゃっかりサンドイッチすることに決めました。

なぜならば、
上記の『ドラキュラの館』の直後より、
アダムソンのホラー映画が
常軌を逸したかと思われるほど
滅茶苦茶な地点に向かって
本格的に突き進み始めることを知っているため、

生半可な体力で
それらの連続攻撃に立ち向かうことは
非常に由々しき事態を招いてしまう
可能性があると考えたからです。
南極を進む者は1日に
7000キロカロリーもの食料を
摂取せねばなりません。

さすがにアダムソン如きを相手に
そこまで備える必要はありませんが、
高尾山に挑む程度の準備は
行っておいても損はないでしょう。

山越えには、
熱量の詰まった鳥の肉が最適だと
読んだことがあります。
そこで私も早速
500グラムのぼんじりを鍋で煮込んで
余すことなくポン酢で平らげ、

万全の態勢を整えた上で、
いよいよ初日の後半に挑み始めました。


10km地点
『HORROR OF THE
 BLOOD MONSTERS』(70)





地球上に吸血鬼がはびこる近未来。
その原因が宇宙にあることが明らかになり、
数人の宇宙飛行士がある星に辿り着きますが、
その星では普通の種族と吸血族による
バトルロイヤルが日々行われており、
おまけに恐竜やら
大量のモンスターやらまで入り交じり、
永久に終わることのない
お祭り騒ぎが繰り広げられているのでした。


アダムソン・ホラーが
新たなステージに突入したことを告げる、
画期的な1本。
どんな最低監督の一生にも
神が降りる瞬間と言うものはあるようで、
ルチオ・フルチ監督のホラー黄金期が
『サンゲリア』~『墓地裏の家』までの
4本を撮った時期だと言われるのと同様、
アダムソンホラーの黄金時代も
この『BLOOD MONSTERS』~
『BLOOD OF GHASTLY HORROR』までの
4本を発表した時期と考えられます。
期間にするとたったの2年間ほど。
しかし彼はこの短期間に、
最低ホラー映画史に残る大傑作を
異常なるハイペースで世に送り出しました。

そんな黄金時代の
幕開けを告げるのが本作。
前作『ドラキュラの館』までとは
明らかにテンションが違います。

まず、
アダムソン・ホラーの十八番である
強引すぎるツギハギが、
初めて全面的にフィーチャーされました。
前作『ドラキュラの館』も
他人との共同監督作である関係上、
随所に無理な展開が見られましたが、
今作はそれの比ではありません。

この映画、もともとは、
2つの原始種族の争いを描いた
『TAGANI』というフィリピン製の
しょぼい白黒映画がベースになっており、
そんな地味作品に独自の手を加え、
最終的には壮大なる大宇宙SFホラーにまで
昇華させてしまったアダムソンの脳内は、
完全なる天然でありながらも
LSD常用者の発想をはるかに超える
凄まじいナチュラルハイを
実現していたといえるでしょう。

ストーリー紹介でも述べましたが、
どうやら吸血鬼の起源が
遠く離れた星にあるらしいと分かった結果、
災難の大元を絶つべく、
数人の宇宙隊員たちが
宇宙船で吸血星へと旅立ちます。
彼らが辿り着いた
恐怖の吸血星とは
果たしてどんな世界でしょうか……!?

もちろん、
『TAGANI』のフィルムを
そのまま流用した世界です。

画面へは常に
赤や緑のフィルターが貼られており、
剰え『紀元前百万年』の世界からやって来た
恐竜たちまで大手を振って闊歩しており、
ここは決して地球ではないということを
全力でアピールしようとしております。

この星で隊員たちを襲うのは、
吸血族はもちろん、
ザリガニ人間、コウモリ人間など、
ありとあらゆるチープな着ぐるみ怪物たち。
予告編には「SNAKE MAN」まで
登場するとありますが、
本編にはどこにも出てきません。
これらの怪物は
全部アダムソンが追加で撮り下ろしたものなのか、
いくらかは元映画の段階で存在していたものなのか、
『TAGANI』のオリジナルを見ていないため
何とも言えませんが、
合間に何度も挟み込まれる、
管制塔の男女の未来型セックスシーンは、
もちろんアダムソンが心を砕いた手作りです。

彼はこの作品を境にして、
大量の怪物、強引なアクション、
無意味なエロの組み合わせという
「理想の闇鍋ホラー映画哲学」を
完全に確立したように思われ、
今やその哲学を実現するだけの
高度なツギハギテクニックも
一通り身に付けましたから、
以後その個性を思うがままに発揮して
類まれなる黄金時代を築くことになったのも、
十分納得できるところです。
冒頭では自ら吸血鬼の役まで演じて
作品にかけるやる気を強く感じさせ、
ようやく自分の時代がやってきたことへの
抑え切れない嬉しさが
びんびんと伝わってきます。


15km地点
『BRAIN OF BLOOD』(71)





中東のある国で、
指導者のじじいが死にました。
しかしすでに、闇の科学者に話を持ちかけ、
じじいの脳を別人の健康な体に移植して、
復活させることになっているので安心です。
と思ったら、ここで予想通りのアクシデント。
その科学者は実は悪いやつで、
じじいの脳に細工をして
自らの支配下に置くことで、
自分自身が国を乗っ取ろうと企んでいるのでした。


さすがに4本目ともなると、
冒頭でしょっちゅう目にする
インディペンデント・インターナショナル・
ピクチャーズのロゴマークも、
MGMのライオンと同じくらい
日常感が漂ってきますね。

この作品は傑作です。
私が「傑作」と呼ぶ作品は、
世間一般の基準では大体
「下の上」程度であることが多いのですが、
この作品は一般の映画ファンにも、
立派に「中の下」くらいの面白さは
感じてもらえるはずだと思います。
アダムソンの全ホラー作品の中でも
かなりの良作と言って
いいのではないでしょうか。

自らの頭と腕を
何の考慮にも入れることなく、
相も変わらず壮大な物語に
チャレンジする姿勢に心から感心しますが、
この作品に関しては
ちゃんとラストで気の利いたオチもあり、
十分見れるレベルのドライブインホラーとして
立派に成立しています。
構成は得意のツギハギに頼らず正攻法で、
残酷描写、アクション度、
廃車の台数は彼の全ホラー映画の中でも
最高ランク。
特に残酷描写は力を入れており、
切り開いたじじいの頭からはちゃんと
タラの白子みたいな脳味噌がぼてっと出てくるし、
登場人物の中には
顔面がグチャグチャの大男が1人いるのですが、
作中でいきなり彼の回想シーンが挿入され、
実は若い頃にケンカ相手から
顔面にバッテリー液を垂れ流された結果
そんな恐ろしい顔になってしまったのだという
暗すぎる昔話が語られたり、
なかなか陰惨な作りとなっています。

全体通して
かなり頑張っている印象を受けますが、
それもそのはず。
実はこの作品、
エディ・ロメロの「BLOOD ISLAND」シリーズを
引き継ぐ目的で作られた、
アダムソン・ホラーの中でも
ちょっと特殊な位置づけの1本なのですね。
本来の好き勝手が
息を潜めているように見えるのも、
彼が映画作りに「真面目」に
取り組んだ証拠といえるでしょうか。

この子は実は、
すごい才能を持っていたのです。

しかしいくら努力しようとも、
いつもの適当さが随所に
意図せず顔を出しているのはご愛嬌。
頭を切り開く際の目印には
赤インキみたいなので
超適当に線が引かれるだけだし、
死んだじじいの体は
焼き芋みたいに
全身アルミホイルで包まれて
手術室に運び込まれ、
手術後は地下のゴミ捨て場に
平気でぶん投げてあるし、
科学者が人造人間を操る超音波装置に至っては
どう見てもハンディタイプの掃除機に
適当な飾りを付けただけの代物です。
緊張と弛緩の絶妙なハーモニー。
しかし、
まさかアダムソン・ブランドにおいて、
本作の如く緊張が弛緩を凌駕する
作品があろうなどとは
夢にも思っていなかった自分は、
この作品を初めて見た際、
非常に感心したものでした。

この作品によって、
ツギハギに頼らぬ正攻法の映画作りでも
人並みの仕事ができることを見事に証明し、
地力も一層蓄えたところで、
彼の映画作りはこの後
さらなる「高み」に向かって
突き進んでいくのですね。
いよいよ次には伝説の
あの作品が登場することになるわけです。


CONGRATULATION!!
YOU'RE ADAMSON MASTER!!



とりあえず初日の
ハーフマラソンはこれにて無事終了。

実際完走してみると、
意外に余裕の残っている自分に驚きました。
精神面はともかく、肉体的疲労に関しては、
耳をつんざく効果音に対する恐怖のあまり
最初から最後まで常に両耳を両手で塞いで
翌日猛烈な筋肉痛を起こした
池袋の血みどろオールナイトに比べると、

何ほどのものでもありません。

しかし人間、あせりは禁物。

「人生は4ビート」の哲学にも従って
初日の鑑賞はこれで終了とし、
残りの半分は当初の予定通り
翌日の部に持ち越すことと致しました。

(後編に続く)