復興
4年前の3月11日に私はバンコクで日本行きのチケットを購入したところでした。
チケットを購入後、バンコクの街中を歩いていると、人の群がる小さなテレビ。
ミーハーな私はその人だかりに紛れてテレビを見ると、
そこにはハリウッド映画のような光景がニュースと
“Worst quake in Japan”の表記が流れていました。
はっとして、日本の家族に電話をかけても全く繋がらず、
タイに住んでいる友達から、日本で大地震があり電話回線がパンクしていることを知り
いつも電話やメールで会話をしていたから距離を感じなかった家族が
とても遠くに感じたのを覚えています。
東日本大震災から4年が経った今。
メディアに幾度となく現状のアップデートが取り上げられるも
遠くから復興を祈るばかりのもどかしい気持ちがずーっとあって
家族の協力でやっと被災地に行くことができました。
降り立ったのは、宮城県南三陸町。
津波によっての町の被災率は61.1%と町の半分以上が崩壊されてしまい、
メディアにも大きく取り上げられていました。
南三陸さんさん商店街には

天皇皇后両陛下も訪問され、
農漁業の盛んな町なので、たくさんの海の幸が販売されていて

海の幸たっぷりのきらきら丼はすーぱー美味しかったです

おなかがいっぱいになり、町の中へ行ってみると
低地部への盛土工事を行っていました。

将来津波が来たときに備えての盛土工事とのことですが
地元にかたのお話では、町のカタチになるには、あと3年くらいかかるとのことで
少しずつ、強い町づくりが行われていました。
町には、まだ津波の爪痕が残っていました。
以前は栄えていた駅のロータリーや

卒業式の前日だった学校も

時計も

地震が来た時間で時が止まっていました。
そして、メディアでもっとも取り上げられていた防災庁舎。

悔しさを肌で感じました。
丘の上の小さな神社では、たくさんの子供達が津波の寒さから身を守るために
小さな社殿で過ごしたそうです

また、この神社には

同じ被害を繰り返さないために
未来の人々へのメッセージが刻まれていました。
今回お手伝いさせて頂いたいたのは菊農園。

若い人が町離れをしているとのことで、
ボランティアに来てくれるとうれしいと
菊農園のおじさんが仰っていました。
おじさんはどのくらい農家をやっているのですかと尋ねると、
津波がくるまでは漁師さんだったそうで
船がのまれてしまったので、農業に転職されたそうです。
『だから、農家のことあんまりわからないんだよ~』
って、とっても気さくにお話くださった元漁師さん、
やっぱり海が好きなんだと胸のうちを語ってくれました。
少しずつ町が再建されているものの、
まだまだ避難生活をされてい方々がたくさんいる現状。
自分の欲求を押さえて、
子供達の未来のためにと復興に頑張る町の人たちの思いを
直接受け止められたこの旅は、本当に貴重な経験でした。
そして、まだまだぼくたちができることがあるし、
みんなのちからを必要としている人たちがいることを

リマインダーしたかったのです。
チケットを購入後、バンコクの街中を歩いていると、人の群がる小さなテレビ。
ミーハーな私はその人だかりに紛れてテレビを見ると、
そこにはハリウッド映画のような光景がニュースと
“Worst quake in Japan”の表記が流れていました。
はっとして、日本の家族に電話をかけても全く繋がらず、
タイに住んでいる友達から、日本で大地震があり電話回線がパンクしていることを知り
いつも電話やメールで会話をしていたから距離を感じなかった家族が
とても遠くに感じたのを覚えています。
東日本大震災から4年が経った今。
メディアに幾度となく現状のアップデートが取り上げられるも
遠くから復興を祈るばかりのもどかしい気持ちがずーっとあって
家族の協力でやっと被災地に行くことができました。
降り立ったのは、宮城県南三陸町。
津波によっての町の被災率は61.1%と町の半分以上が崩壊されてしまい、
メディアにも大きく取り上げられていました。
南三陸さんさん商店街には

天皇皇后両陛下も訪問され、
農漁業の盛んな町なので、たくさんの海の幸が販売されていて

海の幸たっぷりのきらきら丼はすーぱー美味しかったです

おなかがいっぱいになり、町の中へ行ってみると
低地部への盛土工事を行っていました。

将来津波が来たときに備えての盛土工事とのことですが
地元にかたのお話では、町のカタチになるには、あと3年くらいかかるとのことで
少しずつ、強い町づくりが行われていました。
町には、まだ津波の爪痕が残っていました。
以前は栄えていた駅のロータリーや

卒業式の前日だった学校も

時計も

地震が来た時間で時が止まっていました。
そして、メディアでもっとも取り上げられていた防災庁舎。

悔しさを肌で感じました。
丘の上の小さな神社では、たくさんの子供達が津波の寒さから身を守るために
小さな社殿で過ごしたそうです

また、この神社には

同じ被害を繰り返さないために
未来の人々へのメッセージが刻まれていました。
今回お手伝いさせて頂いたいたのは菊農園。

若い人が町離れをしているとのことで、
ボランティアに来てくれるとうれしいと
菊農園のおじさんが仰っていました。
おじさんはどのくらい農家をやっているのですかと尋ねると、
津波がくるまでは漁師さんだったそうで
船がのまれてしまったので、農業に転職されたそうです。
『だから、農家のことあんまりわからないんだよ~』
って、とっても気さくにお話くださった元漁師さん、
やっぱり海が好きなんだと胸のうちを語ってくれました。
少しずつ町が再建されているものの、
まだまだ避難生活をされてい方々がたくさんいる現状。
自分の欲求を押さえて、
子供達の未来のためにと復興に頑張る町の人たちの思いを
直接受け止められたこの旅は、本当に貴重な経験でした。
そして、まだまだぼくたちができることがあるし、
みんなのちからを必要としている人たちがいることを

リマインダーしたかったのです。
