日の入りがますます急ぎ足になる今日この頃、私たちの心まで明るく灯してくれるのが、夜を彩るホリデー・イルミネーション
です。
昔ヨーロッパからアメリカへ渡った多くの移民たちにより広まった、さまざまなホリデーが集中的に祝福されるこの時期、装飾用のライトで町中が、そして国中がきらびやかに輝いています。
ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、その他多くのヨーロッパの国々から受け継がれたセント・ニコラス・デー
北欧の国々からはセント・ルチア・デー
ユダヤ教のお祭りハヌカ
イエス・キリストの誕生を祝うクリスマス
などなど。
そのうえアメリカン・アフリカンのコミュニティーによる、過酷な歴史を切り抜けたご先祖さまたちに敬意を表するホリデー、クワンザも加わわるので、12月はホリデーシーズン真っ盛りです。
私の住んでいる住宅街も、ホリデー・デコレーションをあしらった沢山の家々が、おとぎ話に出てくるような世界を作りだしています。
犬の散歩ですれ違う人々も、”ハロー”、の代わりに、”ハッピー・ホリデー!”、と声をかけ合ったりします。
この、
”ハッピー•ホリデー!”
という言葉には、あなたと私が祝うホリデーは違うかもしれないけど、今ここにあなたと共にいるひとときを分かち合えて嬉しい、という思いやりが含まれているのです。
人々のハートが2倍3倍と大きくなっている12月、私の師匠である幼稚園生たちも、とてもご機嫌麗しい様子で学校にやって来られます。
親御さんたちにさよならを言うや否や、タタタッと私のところにやって来て、なんで自分がこんなに嬉しいのかを語ってくれるのです。
”聞いて!クリスマス・ツリーをお母さんと、お父さんと、お兄ちゃんと一緒に飾ったの。”
と言って、くるりと体を回転させる子。
”僕の話も聞いて!今日、おじいちゃんとおばあちゃんがうちに来るんだよ。ニューヨークから飛行機に乗ってくるんだ。そして一緒にハヌカをお祝いするんだよ。”
と言って、ぴょんぴょんうさぎのように跳ねる子。
そう!
私の師匠である幼稚園生たちは、家族と共に過ごす時間をこよなく愛しています!
よく週末に遠出までして、お子さんが好きそうなスケジュールを立てている親御さんたちがおられますが、実は子供がいちばん欲していることは、ただシンプルに家族と一緒にいられる時間であったりします。
特別なことをしなくても、一緒にピザを作ったり、一緒に洗濯物をたたんだり、一緒に映画を観ながらくつろいだり、
一緒に、日常的なことを嬉々としてやってくれるのが、幼稚園児たちの持つ素晴らしき特徴です。
家族と一緒にいる時間が少ないと、草木のように萎れてしまう師匠たちです。
ところで。
私が幼稚園教諭として働いている学校は、シアトルで共働きをされている親御さんたちをフルタイムでサポートすることを、ミッションのひとつとしています。
今では7校もある学校の、第1校が創立されたのは1976年。
当時アメリカは経済不況で、一度は家庭に入っていた女性たちが、外で働くことを決意した時代でありました。
以来時は流れ、今では幼い子供たちを信頼できるチャイルドケアに任せて、今まで通り仕事を続ける選択をする方々が多くなっています。
それぞれ社会の中で役割を全うしてくださっている親御さんたちを支えるためにも、幼稚園教諭は存在しているのです。
私は、個人個人が一番輝ける生き方を選択することで、世の中がうまく調和してゆくと考えています。
”君たちの親御さんたちも、いろんなかたちで世の中に貢献しているんだよ。彼らは君たちのお父さん、お母さんであると共に、コミュニティのなかでは別の顔を持っているんだね。”
”僕のお母さんはドクターだよ!病気した子供を診るんだよ。”
”私の両親はワインを作る仕事をしているの。今はホリデー・シーズンで忙しいんだって。”
子供たちが親御さんたちのことを話すときは、いつも誇らしげです。
”君たちの親御さんたちは、自分のやりたい生き方を探せたんだね。でもどうやって探せたと思う?”
しばし考える師匠たちです。
”君たちの親も、昔は君たちみたいに小さな子供だったんだよ。そして時間をかけていろんなことを学んでいくうちに、自分の好きなこと、興味あることが何なのかを、突き止めていったんだね。それは将来、君がどのようなかたちで世の中に貢献するのかの、ヒントとなるんだよ。”
だから学校にはちゃんと学ぶ目的を持ってやって来てね、と私は何かにつけて師匠たちに言います。
”国が、法律が、子供たちがちゃんと教育を受けられるように守ってくれているから、安心して学んでね。”
でもね、子供が学校に行くのが当たり前じゃなかった時代もあったんだよ、と私は続けます。
”中世のヨーロッパではわずかな人たち以外、ほとんどの人たちが貧しかったんだよ。だから子供たちも学校に行く代わりに奉公に出されたりしたの。親元を離れて、仕事場で寝泊まりしていた子供たちの気持ち、想像できる?”
”悲しいと思う。”
”泣くと思う。”
師匠たちはもし自分だったら、、、、と想像しておられます。
”仕事も大変なものが多かったんだよ。一日中畑に駆り出されたり、一日中機織り機で布を織ったり、子供たちに課せられた仕事は肉体的に辛かったものばかり。疲れ切った子供たちは、どんな想いで夜寝入ったんだろうね。”
”家族に逢いたかったと思う。”
”逃げ出したかったと思う。”
”誰かに抱きしめてもらいたかったと思う。”
そういう師匠たちは、思わず自分で自分を労わるように抱きしめています。
”こんな辛い生活を送っていた子供たちが、ヨーロッパ中に沢山いたんだよ。そんな絶望的な現実に、とあるキリスト教の聖職者がとても胸を痛めていたの。こんなことは間違っている、と思っていたんだよ。”
”このお方は、労働で疲れた子供たちが寝ているところにこっそり忍び込んで、そばに置いてある子供たちの靴の中に、果物やコインを入れたんだよ。あとで起きた子供たちの心がそれらを見て、少しでも暖かく感じるように。”
靴の中に押し込まれたプレゼントを発見し驚いている子供たちの様子を想像して、師匠たちもほくそ笑んでいます。
誰かが自分のことを気にかけてくれている、想ってくれているとわかっただけでも、人間の生命エネルギーはふつふつと湧いてくるものです。
このキリスト教の聖職者による寛大で思いやりのある行いは、口伝てにより時間をかけて、ヨーロッパ中に知れ渡るようになりました。
子供たちだけでなく、社会的に弱い立場に立たされた人々をも、生涯かけて支えたそのお方は、死後セント・ニコラスと呼ばれるようになり、今でも子供たちのパトロンとして敬愛されています。
セント・ニコラスはオランダ語では、サンタクロースという言い方になります。
12月6日、ヨーロッパで大々的にお祝いされるセント・ニコラスは、サンタクロースとしてイエス・キリストの誕生を祝う12月25日のクリスマスにも登場してきます。
セント・ニコラスとイエス・キリストの共通点はキリスト教ですが、クリスマスがキリスト教を信仰する人達以外にもお祝いされているのには、セント・ニコラスが分け隔てなく人々に愛情を注いだところにポイントがあるのではないでしょうか。
私のクラスの親御さんたちも、クリスマスはお祝いするけど宗教的な意味はなく、子供とクリスマスツリーを飾ったり、サンタさんに逢いにいったりするイベントとして楽しんでいる、と言った方々が実は多くおられます。
そう!
世界の子供たち、大人たちから必要とされている限り、サンタクロースは実在するのです!
特にまっすぐな子供たちからの想いがサンタクロースへ届く時、彼からの想いも愛の粒子となって地球上で具現化されてゆきます。
12月、人々の心がやさしく膨らむのは、きっとサンタさんが私たちの心を満たしてくれているからかも知れませんね。
皆さんも是非、かつて子供だった頃を思い出して、サンタさんへ想いを馳せてみてください。
あなたの願いはきっと届いていますよ。