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 【Symbolic of happinesS】

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 点滅を始める信号機。途中で変わってしまうことを覚悟しながら走って渡った。
 「無茶苦茶やな」
 「そう?平気よ、このくらい」
 何か気を急いているのか、道を歩く槙の足がゆるまらない。一日中この調子だ。
 「映画に始まり洋服、靴、鞄に雑貨屋、本屋に次はカラオケ?お前、物好きだよなぁ。こういうのって普通、女同士で行くもんだろ?何でよりにもよって俺等を誘うんだよ」
 「唯間がええ言うんやったらええんちゃう?俺は構わへんよ。あの映画、前から見たい思うてたし。あ、唯間、その信号は止まって」
 タフな奴。槙を止めようと肩を掴んだ一流の左手を見ながら、渚は思った。連日朝から夜までの部活が続き、昨日だって家に帰ってきたのは午後十時半。疲れていないはずがないのだ。
 それなのに、今日は今日で槙の誘いに乗って一日中街を飛びまわっている。疲れを癒したいなどとは思わないのだろうか。別に庇うわけではないが、折角のオフくらい休めばいいのにと思わずにはいられない。
 彼は信号待ちの間にアイスクリームを三つ買い、槙と渚に渡した。
 「こない暑いと、熱中症にでもなりそうやなぁ。唯間、気ぃつけてな」
 彼女の手に、高級アイスの代名詞、ハーゲンダッツが手渡される。渚には棒アイスだ。恐らく故意的だろう、というか故意としか思えない。
 「敢えて訊くぞ。」
 渚がアイスを握る指に力を入れる。
 「この差は何だ!」
 「ハーゲンダッツと六十円の棒アイスの差やろ。何言うてん」
 「見りゃ分かるっつうの!“アホか自分”みたいな顔すんな!俺が言いたいのは“what”じゃなくて“why”の方だ」
 ああ。whyな。建物の陰に槙を誘導し、渚に向かって戯笑を投げた。
 「唯間と俺の分買うたら、お前の分無くなってん」
 「言うと思った!」
 「それと、whatちゃうくてhow」
 「悪かったな、馬鹿で!」
 頬を伝う汗。照りつける日差しが六十四円のバニラアイスを溶かす。
 冷たいアイスを「冷たい」と笑いながらほうばった。

 青信号を横切り、たまたま目に入ったカラオケボックスに入る。夜料金で少し高いが、一流は「俺が出すから」と言い何食わぬ顔で入っていった。彼の中では完全なる無意識下で行われていることだが、一流のこういうところは渚も感心する程徹底されている。
 彼は自分の気前よさに特別なものを感じさせないのだ。冗談に乗じてアイスを奢るし、アイスを奢るのと同じ軽さでカラオケ料金を出す。
 彼のペースに翻弄され戸惑っている槙の手を、渚は苦笑しながら引いていった。
 「いつもああなんだよ。行事の打ち上げでもクラス全員分のアイス買ってきたりするし。イツがいるときは、大抵の奴があいつのペースに乗せられる」
 「でも、あたしが誘ったのに」
 「いいから乗せられとけよ。本人気にしちゃねえんだからさ」
 まだ槙はもごもごと何か呟いていたが、構わず一流の背を追った。どこかぎこちなく見える背中を。
 解ってる。
 渚は思わず笑い出しそうになった。彼は男子校育ちのくせに、なぜか女子の扱いに慣れている。それが今、槙を乗せきれないままこうして背を向けている一流。
 一流お前、今日は“槙の誘いだから”来たな。あいつだからこそ、月にたった二回しかない休日の貴重な一日を、好きでもない外出に費やしたんだろう?
 珍しく緊張している彼を見るのは、なかなか面白かった。エアコンの温度を低めに設定し、ドリンクとポテトを注文する。気持ち良い風が天井から出てきた。
 「槙が歌ってるとこなんか想像できねーな」
 普段生真面目に机ばかりと向き合っている印象がある彼女。カラオケに行こうと言いだすのは、予想外の展開だった。
 振り返る彼女が苦笑を浮かべる。
 「得意じゃないもの。数えるほどしか来たことない」
 「そうなん?中学んときミチと一緒に来たりせえへんかった?」
 「満流は仕事でいつも忙しかったからね。オフの日は一日寝倒すかお店手伝うかだったし」
 一流が尋ねると、苦笑は静かな笑みに変わった。そう言えば今日、彼女は満流を誘わなかったのだろうか。仕事もやめ、生活も落ち着いただろう。
 「そう言えば今日、満流は?」
 「誘ってない。今日は満流に頼まれたのものを買ってたの。結局モデルの仕事なんてしてなくても、あの子はいつも忙しい。身辺整理する暇もないくらいにね。満流のもの買うなら、出来れば“満流”を知ってる人とがいいと思って。一人でこんな大荷物を持って街中を歩き回るなんて、なんだか寂しいじゃない?
 まあ、映画は見たかっただけだけど」
 「春野は?」
 「馬が合わない」
 ナルホド。渚と一流の質問に対し、彼女は軽い調子でさらりと応えた。からっと乾いた笑いが飛ぶ。

 渚が歌いだした頃、一流と槙の間にいい感じの空気が漂い始めていた。暫くそのままにしといてやろうかとも思ったが、自分の周りばかりくっついていくのは正直あまり面白くない。わざとハイテンポで曲を終わらせ、マイクを一流に投げ渡した。
 彼が歌うのは、青い鳥を探す少年の歌。追いかけて、追いかけて、至る所を歩き回る。存在するかも分からない鳥を捜し求め、知らない土地を彷徨い続けるのだ。

 彼は、幸せになるだろうか。本当の意味で過去を乗り越え、自分なりの路を掴むことができるのだろうか。愛する者の隣で、彼らは幸せになっていくのだろうか。
 そうだといい。どんな形であれ、彼らには自らの手で“青い鳥”を見つけだして欲しいと渚は思った。幸せの象徴である青い鳥を、歌や童話のようなお伽の世界があるならば。

 「ねえ、渚?」
 一度放った鳥が帰ってくるなんて、ロマンチックで非現実的よね。槙の黒い瞳が、一流の歌詞を見つめる横顔を捉えている。
 「ああ」
 渚が応えた。
 「だから探さなきゃいけねえんだろ、ホントに必要ならさ。“探してます”のポスターみたいに。まぁ相手が鳥じゃ、望みは薄いな」
 「確率は限りなくゼロに近いわよね」
 「ドラマじゃあるまいし」
 「私が夢を語ったら笑う?」
 彼女の言葉に、歌っていた一流すらも口を止めた。冷房は目一杯きつくしているのに、背中を汗が伝った。
 「槙が?夢を?———笑うな。確実に俺は笑う。お前がドジョウすくいしてる夢を見たとき並に笑う」
 「………あんたサイテーね。今に始まったことじゃないけど」
 カラン。音を立てて溶ける氷。勝手に薄まっていくメロンソーダをストローでかき回しながら、背中の汗が何とか引くのを感じた。
 「俺は笑わへんよ」
 一流が笑顔でフォローを入れるが、彼女は笑って誤魔化した。


 遠い昔の記憶。
 彼らはまだ、その日失った面影を追い求めている。悲しいそれに囚われ、知らず知らずの内に空いた穴を埋めようとしているのだ。
 それが分かるからこそ、渚は彼らを止められないし、無責任に導くことも出来なかった。青い鳥は自分で見つけださなければ意味がない。
 彼らを救い出す路はあるだろうか。あるならばそれは何処に?

 『俺ヲ恨メ。俺ヲ、俺タチヲ……』
 微かに頭を掠めたのは、あの日の涙。一流の両親と渚の母親——彼らの死んだような目。
 恨んださ。強く深く恨んだ。善良な神なんていないと知ったし、容易に人を信じられなくもなった。運命を回避できないと知ったとき、俺たちはお前等を“赦す”と決めたんだ。
 お前等が“恨まれることで救われる”と判っていたから。
 恨んでいるからこそ、赦した。
 槙。お前が思ってるほど、俺たちはキレイじゃないんだ。お前が涙を浮かべて聞いてるその曲も俺たちにしてみれば“お気楽であり得ない夢物語”で、自分たちの未来を皮肉るもの。でももし、お前がそれを知っても動じないのなら、真実を知っても壊れないのなら、出来ることなら……————
 「いるのよ、青い鳥は」
 不意に、小さく彼女の小さな口が開く。
 私が夢を語ったら笑う?そう言った彼女の浅い夢。青い鳥は、いる。
 「はっ。お前、そんな夢見る少女キャラだっけ?」
 「信じてないでしょう、あんたたち」
 青い鳥はいるのよ。彼女はもう一度繰り返した。再び背筋が冷え、暑くもないのに冷たい汗がジワリと滲む。
 「ロマンチックで非現実的よね。放った鳥はほぼ百パーセント帰ってこないし見つからない。だけど、飽くまで“ほぼ”よ。確率はゼロじゃない」
 「百パーセントも同じだろ」
 「違います」
 「違うもんか。奇跡なんて起こらない。偶然の全てに理由があるし、奇跡体験なんてのは誰か人間が後ろで糸を引いてんだ」
 自分でも分かるほど、渚は頑なになっていた。青い鳥だなんて、あんなの所詮童話の世界だ。実在し得ない。
 お伽話と現実は違うんだ。
 「そうね」
 悲しげな笑みが浮かぶ。もうやめてくれ、渚がそう言いかけるのと彼女の一言が出るのとは、まさに紙一重の差だった。
 「確かに、現時点で私たちは“何者か”の支配下にあって、運命も未来も決定されてる。奇跡なんてないこと、あってもそれにはそれなりの理由がちゃんと存在することも否定しない。
 だけど幸せを探してるのはその“何者か”だけじゃなくて、私たちも同じでしょう。私たちの人生よ?本当に幸せを望むのなら、自分で道を選ぶことだって出来るはずじゃない」
 槙の強い眼差しが渚に突き刺さる。
 「笑いなさいよ。あんたに馬鹿にされたからって別に私のプライドは傷付かない、全く構わないわ。でもね、悪足掻きくらいさせてよ!」
 「槙っ—————…」
 手を伸ばしたときには遅い。彼女の顔が大きく歪み、瞳からは大粒の涙が溢れだした。
 「どうして?」
 「槙、落ち着け」
 「なんであんたはいつもそうなのよ」
 「唯間!」
 「何で知らないフリしてたの」
 核心に触れる。何かが崩れて行く音がした。
 グラスが倒れ、アイスも氷も既に溶け切ってしまったメロンソーダが零れる。
 「ごめん」
 足の上に滴れるドロドロの液体もそのままに、一流は小さく丸まった彼女を優しく包んだ。ごめん。何かを噛み締めるように彼が繰り返す。
 「知ってたわけちゃうねん。でも、“気付いた”。なぁ唯間。俺ら気にせえへんさかい、そない自分責めるんやめてくれ。俺、唯間が苦しんでるんは嫌や」
 一流の手が槙のやわらかい髪に触れると同じ頃、彼女の手が彼の服を皺になるほど握り締めていた。ごめんなさい。高橋くん、渚、ごめんなさい。彼女の小さな悲鳴が、渚と一流の胸中で震撼する。
 「大丈夫や、唯間。俺らは大丈夫やから」
 「違うの……」
 槙の声が小刻みに震える。
 「…が………こ……な…たの」
 「え…———?」
 「満流が…帰ってこれなくなったの」
 首筋に触れる冷気。室内の時が止まってしまった。

 ごめんなさい、私がカルトなばっかりに。

 右肩に刻印された負の称号を、彼女は冷たい布の上から押さえた。彼女から自由と幸せを奪った、強固な鎖。
 知ってるよ。俺たちの親が何者であるか。春野の生い立ちも、満流が生きてきた世界も。そして、いつかは自分たちもそこに行くことになってることも。
 全ては合宿最終日の深夜、自宅で黒服の集団によって証された。
 彼等は槙の名前を出さなかったが、満流の名前が挙がった時点で何らかの関係があるだろうということは十分理解出来た。そして、確信したのがつい数時間前。信号を渡りかける彼女の肩をつかんで引き止める時、不本意ながら目についてしまったのだ。
 彼女と組織との繋がりを示す“それ”に。

 ————もし、出来ることなら……一流をどうか受け容れてやってほしい。




 この先、彼らは選択を迫られることとなる。生か、死か。敵か味方か、正義か悪か。その差はいつだって紙一重で、ふとした瞬間簡単に裏返る。
 人生の選択に、正解はない。


 満流。どうして君が選ばれた?
 どうして君は、その役を断れなかった?
 俺達の未来と引き換えに、生け贄として闇に身を投じなければならない青い鳥の役を。