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 Time tablE

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 寝息をたてる少年。
 それを横でじっと見つめる少女。

 二人はもう、彼此十分くらいそうしていた。
 「ジョーカー」
 春野が声をかける。
 「他に仕事もありますし、そろそろ起こしませんか」
 「うーん。そうだね、確かに時間無い。でも疲れてるみたいだから、あたしの仕事が終わるまで寝かせて上げよう。誰か暇な人もいるよね?一人見張り付けて」
 「終わるまでって、深夜になりますが」
 手元の紙束を確認した春野の顔が引きつった。この後にまだ仕事を増やす気か、そう言いたげな目だ。
 文句がある?満流が訊ね、慌てて頭を下げる。

 その光景と会話は、カメラを通して更に別の場所から監視出来る。
 葉流と流が暇潰しにパソコンでそれを見ていた。
 「まだまだ甘いなぁ」
 「どうも情が入るみたいね。努力する気もないな、ありゃ。まぁ、今回は別に困らへんけど」
 「困ることない言うてもな、番に使えるヤツ探さなあかんやん。さすがにあいつに暴れられたら三、四番の力じゃ抑えられへんで。因みにうちのグループは出払ってるし、俺もあと一時間で仕事」
 流が大きく落ちるような溜め息を吐く。今日の任務も体力を使うことになる。三十代半ばの身体に労りのない、ハードな仕事の連続。慣れているとはいえ、度重なれば精神的にも疲れる。
 情を捨てずに、かつまともに任務を遂行するのは難しい。“普通”の感覚の持ち主に勤まるような内容が回ってくることは殆どない。
 一国の大統領が、国家機関が、首脳が汚い依頼をカルトへ高額で持ち掛けるのだ。いつの間にかあらゆる物のブローカーとしての役割、密輸、密売も戦争の火付け役も、他国の主要人物暗殺すらもがカルトの仕事になっていたくらいだ。
 成員の中に感情的な人物がいるのは、あまり好ましい話ではない。
 「お前今日は?」
 「お生憎様。うちには“睡眠”という大事なお仕事が残ってるの。頼まれたってイヤよ、ジョーカー待ってたら四時になるやん?もはや朝やん?五時からミーティングやん?やってられるか!」
 流の頬をつねる。
 葉流は力も判断力もそこそこ——少なくとも流よりは——あるし、知り合いが傍にいる方が少年の精神的にも落ち着くだろうから出来れば彼女に任せたいと考えたのだが、どうやら彼女には譲る気配がまるで無い。昔は権力に従いちょっとした頼み事でもよく聞いたものだが、年を取るにつれ図太くなった。これが所謂、“何処其処のおばちゃん”の前兆なのか、ふと流はそう思って笑った。
 「まぁそう言うなって。まだまだ“若い”やろ。おっちゃんのお願い。頼むわほんま、な、オネエチャン」
 「嫌味か!あんたが言うと腹立つわ」
 「今日のお前、べっぴんさん」
 流が耳に顔を近付け、小声でふざけるように言うと、「しゃあないないなぁ」と了承する辺りが、彼女の素直で良いところだ。
 単純だと笑うと「そないなこと言うてたらやらへんぞ」などと言い放つが、彼女はもはや本気で断ってなどないし、寧ろこれは積極的にやりたがっている口だと、長年の付き合いから判断できる。こんなのは、お馴染みの会話だ。
 「かわええなぁ、葉流は———とか言うてたら満流たち居なくなってるやん。あいつら、マジでほったらかしか」
 パソコンの液晶に目を戻す。
 日向の畳で横になり、ぴくりともしない少年だけがそこに残り、あとにはただ静かな空間が広がるばかりだ。平たくのびる影。寝転んでいるくせに、やたら姿を大きく見せた。
 “仕事用”の表情をした葉流が高級造りの椅子から立ち上がる。右手を軽く挙げると、何も言わず、引き摺るような足音を立てながら去っていく。扉はバタンと、やや荒々しく閉める。
 気怠い胸騒ぎが押し寄せた。

 ぽつぽつと鳴く、小さな雨の音。樋を伝う雨水はリズミカルに耳へと天候を知らせ、湿気の混ざらない涼しげな匂いは夕暮れ時を想わせた。
 カサ、パラ
 紙同士が摩擦を起こす音と、捲る軽い音とが樋を打つ雨音に参入して少年は気付く。いつの間にか寝ていた様だ、と。
 「あら、起きた」
 寝過ぎとコンタクト不在により視界がぼやけて相手の顔が見え辛い少年が目を擦っていると、声の主が少年の顔に眼鏡を押し遣った。焦点が合い、漸くそれが知り合いだと知る。
 「葉流さん」
 自称有名財閥のお嬢様、一流の母親。今日はどうやら年齢不詳のノーメイクだ。真っ黒な目玉が眼鏡のレンズ越しに見つめる。
 「よう寝たなぁ。昨日の夜から振られず約一日丸々やぞ。どないな身体してんねん」
 呆れたと言わんばかりに苦笑する目はいつもより少しキツい。一瞬だが、守は彼女との間に一線を感じた。
 機嫌を害ねて面倒を起こさない様、出来るだけ当たり障りのない会話を進める。
 「最近部活がハードで、ちょっと体力酷使し過ぎたのかも」
 「若者が何言うてるの。誰かさんのおかげで、こっちは三十二にもなって完徹コースや」
 「す、すんません」
 「ええけどな、別に」
 葉流は本に栞を馳せると、それをそっと閉じて下に置く。
 「あんたが“ヤツ”の息子なん忘れてたわ。思い立ったが吉日即行動、どこまでもマイペース——あんたのそういう所霜月そっくりやわ。流石に、満流に会うためだけにこないな無茶するとは思わへんかった」
 強うなったな、守。固かった彼女の表情に複雑な笑顔が浮かんだ。
 お陰さまで。その場に居直り、小さく頭を下げて答える。

 父親が他界して五年。暫くは何も手に付かず、また次に来る暫くはこれでもかと言うほど荒んだ。誰も、それを止めはしなかった。テストを白紙で出そうが、学校で問題を起こそうが夜中に出歩いて遊び惚けて補導されようが、周りは何も言わなかったのだ。
 学校は守の問題行動の多くを黙認したし、保護者呼び出しに至っても葉流や明が代わりに赴き笑って尻を叩くだけで終り。友人は腫れ物を扱うかの如く優しく、世間は哀れんだり蔑んだりしながら守と距離をとった。
 そんな毎日を変えたのが、あの“風雲児杯”だったのだ。
 どんな悪事を許しても喫煙とサッカーの挫折だけは許さなかった周りの大人達がこぞって薦め、半強制的に出場させられた陸上競技大会。そこで見つけた退屈そうに空を見つめる瞳が、黒いフィルターを通して世界を見つめているのが、何となく分かった。黒と思われた瞳もやはりよく見れば一流と同じ色で、綺麗な立ち姿からは空虚な心境が漏れだす様に見える。
 守から見る小桜満流は、まるで雨に濡れた犬だった。
 そんな貧弱気な彼女、しかも空腹状態の人間に負けたことは死ぬほど悔しかった————最後の最後、別れ際に彼女の声を聞くまでは————。
 『あの人たちは、優しいでしょう。だけど助けてはくれない…違う?』
 自分で這い上がるしかないよ。勝ち誇った笑みはいつまでも脳裏に焼き付き、虚無感を感じるたびに何度でも蘇った。
 何を何処まで分かって言った言葉なのかは今の守も知らない。
 だが、守は自分と彼女との差が如何なるものなのかを知る。家族との別れを乗り越え、這い上がった末の強さがあれなのだ。皆の優しさを甘んじて受け、ただ夜の暗がりに閉じこもっていた守とは、明らかに違う。身体技術以前に、まず精神的に負けていたのだ。
 その日から、守は目覚ましい変幻を遂げた。

 「全てを知った上で、ココへ来ることが何を意味するか、今なら解るな?」
 静かで、低い声が通る。
 覚悟はあるのか?訊ねられ顔を上げた先に、五年前と同じ優しい笑顔は待っていなかった。何者をも虐げるような、冷たい表情。冷笑さえも浮かべない。
 「霜月…お前の父ちゃんはな、仕事の苛酷さと迎える辛苦に狂うてああなったんや。我が娘が自分の跡を継いで血で汚れるくらいなら言うて、ちょっとずつズレてった。夫婦で家族心中なんか謀りよって、ほんま、情けない最期やったけど、この世界じゃあんまり珍しいことでもないねん」
 「葉流さん」
 「誰も守ってはくれへん」
 「ちゃうんです葉流さん」
 「権力と能力がものを言う」
 「おれは——」
 「敵か味方か、生きるか死ぬかや」
 「みちるを——」
 「で、」
 守が立ち上がるのと、彼女が構えるのと、どちらが先だっただろうか。彼女の右手は震えることなく真っ直ぐ標的を狙い、黒く丸い穴は彼の瞳を捉える。情のない軽い音を立て、緊張感を呼び寄せた。
 「謀反人は敵や。大介死なせたないなら、黙って従え」
 「…————」
 しん、とした沈黙。守はゆっくり腰を下ろし、入れ代わりに葉流が座を上げる。
 「今のあんたに選択肢はない。罰則免除になっただけでも奇跡や。明の寛大さとうちらの権力に感謝しい」
 守が静かに頷くと、葉流は守の目の前にしゃがみ声を落として続けた。
 風呂上がり間もないのだろうか。普段香水をつけている彼女には珍しく、髪の毛からは仄かにシャンプーの匂いがする。懐かしい家庭の匂い。満流の髪の毛からも似たような香りがしたと、その時初めて気付く。どこでその匂いに出会ったのだろうか、気付いてみればそう、あの子は香水を付けてない。
 そうか。
 守は気付く。あの子は“そう”なのだ。
 「ジョーカーにはちゃんと会わせたるさかい、あんまり勝手なことはせんといて頂戴。会うても問題発言はご法度。あんたを殺すなんて、霜月に合わず顔が無い——」
 「泣かないって言うから、どんな奴なんだろうって思ってました」
 葉流の言葉を遮り、目は逸らしたまま続ける。あの瞳を見たら、きっと何も言えなくなる。守はそんな気がしていた。
 「学校でもメグムを知らない奴なんてほとんど居なくて、有名なんすよ、『演技以外じゃ泣かない』って。自分で言い触らしてんだって。なんやそれ思うて見てたら、時々すげぇ苦しそうにして、唾を飲み込んだらまた笑って。強いってああいうんを言うんやって思った。
 でも、ちゃいますね。
 ガキっぽい喋り方も、嘘臭い作り笑いも、慣れたからそれが普通になっただけや。
 崖に向かってでたらめに走ってる満流を見たとき、何でか親父の姿に被った。目の前が見えないくらい、懸命になりすぎてる。真っすぐやろうとしすぎて、結局曲がって、曲がって曲がって、曲がりすぎた末の、一つの粘土塊みたいな性格。泣けへんのちゃう。泣きたくないから『自分は強い』って言い聞かしてるだけ」
 上方に視線を上げると、旧家に相応しい振り子時計。ゆっくりと揺れる。
 「何であいつがジョーカーなんですか」
 「——それ…は」
 投げ掛けられた守の疑問に対し、葉流は間を空けたのち応える。
 消え入るような、小さな声だった。
 「選んだんは満流やさかい、何とも言われへんわ」
 「——————満流が?」

 時刻を知らせる音が鳴る。ぼーん、と、静まり返った空気に染み込んでいった。