*~*~~*~*~*~~*~*
【There are chanceS】
*~*~*~~*~*~~*~*
何かが始まるとき、胸が高鳴るのはなぜだろうか。
誰かに出会う時、何か新しくスポーツを始める時、試合が始まる時———いつもとは朝の空気が少し違って、何処となく緊張が走る。春の桜が淡く見えたり、夏の空が透き通って見えたり、秋の紅葉は鮮やかで、冬の降雪は儚く見えるように。
これは、渚の始まりの話。彼が小学三年生だった秋のことだ。
『イツゥ。お前今日もサッカーしに行くんか?』
鞄を持って慌ただしく家を飛び出してきた一流に、渚は玄関先から口を尖らせて言った。
季節は秋。季節の変わり目で寒くなったり暑くなったりと着替えに忙しい中、彼はクラブサッカーで着用している半袖と短パンという軽装備だ。
『渚も入ればええやん。楽しいで。コーチもセンパイもちぃとばかし怖いけど』
『アホ言え。なにがちぃとばかし、や。お前毎回何かしら怒鳴られてるやん。好きなことやるのに怒られるのなんか、俺はごめんやで』
渚は自分の横をにっこり素通りする一流の背中をむっとした表情で送る。彼はそれに気付いたのか、吹き出しそうになった口を抑えた。
『毎回ちゃうわ。たまに誉められるもん。まぁお前には運動神経っちゅうモンがないさかい、無理か!』
『そうそう——て、はぁぁん!?俺かて運動くらい出来るわ!体育じゃ“よくできる”以外とったことないんやからな!』
『どーだか』
一流はコンクリートを蹴り、学校までの道を駆けだした。時々振り返り、挑発するように白い歯を見せる。
細い路地裏に響いた地面をはじく軽い音。切ると冷たい風が頬を刺す。挑発されるがままにその音を追いかけた。
『サッカー、楽しいかぁ?』
『楽しいって、言うてるやん!お前もやってみいって』
『行くだけやからな!俺はやらへんぞ。このくそ寒い中、半袖になんかなってたまるかぃ!』
息を切らしながら一流の後を追う。彼はこの一年ちょっとの間に随分体力を付けた。昔は大して変わらなかった持久力も、いつの間にか犬と馬並の差が付いてしまった。
『いつる!』
校門が見えたところで一流の足がさらに速まる。
『まもるくんっ!』
『コーチ、もう来てるで。急げ!』
『まっじっかっ!渚、たぶんその辺に、“だいすけ”居てるから、遊んでもらっとけ』
『どぉーゆう扱いやねん!』
渚の足が止まった。
『つぅか、誰やねん“だいすけ”』
『かわいそーなヤツだなー、オマエ』
息が上がりしゃがみ込んでいるとおちゃらけた調子で声をかけられ、苦しくても我慢して立っておけばよかったと思った。奴はケラケラ笑って言った。
『体力ない男はモテへんぞ』
転回の少ないボールの蹴り合いは、延々と続けられた。のぼり棒のてっぺん、目の前で展開されるそれを眺め、渚は鼻を啜る。秋が深まったということか、日が落ちるにつれ肌寒くなる。
長袖の袖をたくし上げ、“だいすけ”は棒の下側で茶色いボールをついている。
『ハハっ。一流のヤツ、また怒られてる』
サッカーのルールもセオリーもよく知らないが、渚の素人目には一流の前のパスが悪かったように見えた。
『イツがミスしたようには見えへんかったけど、俺には』
パスを出された場所が前すぎた。あれを取ろうとすると、あと二歩分は先を走っていなければならなかっただろう。自分の事でなくても、一方的に責められるのはおもしろくない。
“だいすけ”は笑った。
『そうか?俺、サッカーなんかにキョーミあらへんけど、相手が走るとこより前にパス出しするんは当たり前やと思うで。取る側が“追い付くように走る”、そういうもんや』
黒髪の旋毛が憎い。ひと風冷気が頬をかすめていき、薄着の渚は身を震わせた。
『まぁ俺はサッカーに限らずルールが分からへんからな』
『勿体ないなぁ。バスケやるか?バスケ。オモシロいし、モテるでぇ~』
独り言のつもりで言った言葉に“だいすけ”が答える。風が出ていた。手を袖の中におさめ、次にニヤニヤ笑いながら見上げている“だいすけ”を見て言う。
『お前、さっきからそればっかりやな』
核心をついてみた。お前、モテりゃ何でもいいんじゃねえの?
にやにやしていた“だいすけ”の目が、暮れかかったオレンジ色に向けられる。渚から目が離れる瞬間、見ている方がドキリとするほど切ない目だった。『まあな』と答える。
『俺は守より、親父よりモテたいだけや。確かに種目は何でもよかった』
『オヤジ?』
渚が首を傾げる。なぜそこで親が出てくる?と。
『俺の親父、元エヌ、ビー、エーの選手やねん』
『エヌビーエー?…て?』
『まぁ、要はプロ。めちゃめちゃモテんねん。なんか、悔しいやん?』
『はぁ……?』
意味が分からない。後から説明を付ければ『親ばかりがモテて相手にされない自分が寂しかった』などと言った言い訳はいくらでも付けられたのだろうが、幼い渚には何一つ理解できなかった。
しかし理解は出来ないが、リズムよく刻む音も、吸い付くように彼の掌にボールが戻っていく様子も、確かにかっこいい。
『バスケは屋内やさかいこない寒くはないわな』
苦笑いしながら渚は言う。
『まー…外ほどではないやろな』
『インターバルまでの時間、サッカーほど長くはないよな?』
『せやな』
『なら…やってみてもええで』
いい加減にこじつけた理由。しかし“だいすけ”は再び顔を上げ、にやにや笑って自分のボールを渚に投げ渡した。
傷つき、裂け、使い込まれたボール。理由はともかく、彼が本気であることを示すに十分な証拠だ。
『ゴメン…——』
渚聞こえるか否かの大きさで呟いた。“大介”の目が細くなり、彼の泣き黒子が愛嬌を示して動く。
大介の実力を知るところとなるまでに、そう間はなかった。投げ渡されたボールに見合う、長年積み上げたような安定感あるボール運びは、地元の中、高生と並んでも劣らない。クラブ内では明らかに群を抜いており、他を寄せ付けない強さだ。
そして、彼が渚より一学年上級生であることも、練習に参加して初めて知った。
『俺ね、去年の冬にこっち来たばっかりやねん。トモダチ、守だけ』
『はぁ!?守くんだけって、ちょ、一年も経ってるやん。何してたんや自分。』
去年の冬。丁度、満流のことを知らないくらいか。渚想いながらボールを大介に投げる。周りに比べると力無いへなちょこなパスだ。彼は苦笑してそれ受け取り、『ヘタクソ』と言った。
『このガッコ、アイドルは一人しか認めへんのなー。守がいてるやん?あいつめちゃめちゃモテんねん。それに比べて俺は他から来た方言もまともに喋れへんよそモンやし、守やら一流みたいな華やかさもない』
『あー、ナルホドな。確かに華やかなアタマしてるわ』
彼らの頭髪を思い浮かべ、大介の言葉に納得する。
一流は外国人の血を色濃く引いていて生まれつき金髪だし、やたら緩い親を持った守も小四にして明るい茶色の頭をしている。男子である渚にはよく分からない感覚だが、女子から見てみれば騒ぎ立てるに相応しい容姿をしているかも知れない。それで守くんよりモテたいのか、と面白いほど納得した。
『結局…目立ちたがりか、自分。そりゃ難儀やったなぁ。ココじゃ目立つんは無理やろ』
渚は苦笑いして言った。
『いや、やったるで!俺はやる!諦めへんかったら、何でも叶うもんや。諦めたら何もかんも終いやろ』
『なんやカッコいいこと言うてるみたいなのに、内容しょーもないなぁ』
『渚がバスケで俺を抜く可能性に比べりゃ確率は高いもんや』
『失礼なヤツやな!つうか、話を聞け!』
大介が投げ返したボールをダメ元でリングへ向けて放ってみる。
『見とけ、すぐ抜いたるわ』
ぱす、と何かが擦れる音がした。
止まる時間
不意に聞こえなくなった周囲の音
ゆっくり落ちていくボール
バン、という床の鳴き声を合図に世界は元に戻る。
『奇跡やな』
『じ、実力や、あほ』
『お?ひょっとしてオマエ、シュート入れたん初めてか?』
にやけ顔の大介が渚に駆け寄り、肩に腕を回してからかう。『ウルサい』と答えると、彼は優しく笑った。
前進に鳥肌が立っているのは、こいつがいきなり微笑んだりするからだ、そう思おうとして、赤くなるほど腕をさする。
『早く追って来いよ、渚』
渚から目を離した大介は、至って真剣な目で小さくそう耳打ちした。
俺の相手が出来るくらいに、俺の実力を周りに見せつけるのに丁度いいくらいに強く——真っ直ぐで真剣な大介の目が、クラブチームのコーチを勤める彼の父親を捕らえていた。不本意ながらカッコいいと想ってしまう渚。照れ隠しに俯いて言った。
『抜かせ。大介くんの見せ場なんかないくらい強うなったるわ』
『バカ、俺よりは強くなんな!』
二十人前後の生徒が走り回る体育館は、外よりずっと暖かかった、と言うより寧ろ、汗が流れるほど暑かったのだ。夏は地獄かも知れない。汗を拭う渚は、密かにそんなことを考えていた。
それから七年。彼らの距離は少しずつ縮まった。と言っても、まだまだ渚が翻弄される側であることに変わりはないが。
「くたばれバケモノ!」
「おーおー。退治できるもんならしてみろ」
「くっそお~!」
鋭く激しいボールの争奪戦が繰り広がる。
体育館の二階。外はすっかり暗くなったというのに一向にやめる気配のない二人を、一流と守は欠伸をしながら眺めていた。
「化けモンやな、どっちも。ね、守くんも思いません?」
「今じゃ大介もすっかり本気だもんな。さすがにもう、俺はあいつの本気にゃ付いてけねぇな」
守が眠い目をこすって言う。一流は笑い、楽しそうにボールを目で追った。
「渚が始めてからですもんね。大介くんが守くんに勝負挑みにまとわりついて来なくなったの」
「丁度いい“オモチャ”見つけたんだろ。楽しそうで何よりだよ」
「まぁ、そうっすね」
「俺らも今度、たまには敵同士になってやってみるか」
ずっと茶色い塊を追っていた守の瞳が、不意に一流の瞳に飛び込む。一流は「え?」と、間の抜けた声を出してしまった。
「強ぇやつと戦う方が、楽しいかんな」
じゃれつく子供のような顔。
「手加減してくださいよ」
「アホか。する訳ないやろ。全力で点を穫りに来い。無理なことなんかねえから」
俺は万能じゃねぇんだ。実際、走りで満流に負けてるしな。彼は苦笑して言った。
人間は、万能じゃねぇんだ。
守の口が動くのと、渚の雄叫びが体育館中に響いて倒れ込むのとはほぼ同時だった。
「ヒトのミスで勝ってそない喜ぶなアホ!」
大介の罵声が響く。
「あーあ。負けてやんの。オイ大介っ。罰ゲームだお前!今週の飯当番代わりがれ!」
「ああぁぁ!賭けてんの忘れてた!!渚、なんてことしてくれんだバカヤロウ」
無理なことなんか、ない。諦めたら、それで全てが終わりだろう?
【There are chanceS】
*~*~*~~*~*~~*~*
何かが始まるとき、胸が高鳴るのはなぜだろうか。
誰かに出会う時、何か新しくスポーツを始める時、試合が始まる時———いつもとは朝の空気が少し違って、何処となく緊張が走る。春の桜が淡く見えたり、夏の空が透き通って見えたり、秋の紅葉は鮮やかで、冬の降雪は儚く見えるように。
これは、渚の始まりの話。彼が小学三年生だった秋のことだ。
『イツゥ。お前今日もサッカーしに行くんか?』
鞄を持って慌ただしく家を飛び出してきた一流に、渚は玄関先から口を尖らせて言った。
季節は秋。季節の変わり目で寒くなったり暑くなったりと着替えに忙しい中、彼はクラブサッカーで着用している半袖と短パンという軽装備だ。
『渚も入ればええやん。楽しいで。コーチもセンパイもちぃとばかし怖いけど』
『アホ言え。なにがちぃとばかし、や。お前毎回何かしら怒鳴られてるやん。好きなことやるのに怒られるのなんか、俺はごめんやで』
渚は自分の横をにっこり素通りする一流の背中をむっとした表情で送る。彼はそれに気付いたのか、吹き出しそうになった口を抑えた。
『毎回ちゃうわ。たまに誉められるもん。まぁお前には運動神経っちゅうモンがないさかい、無理か!』
『そうそう——て、はぁぁん!?俺かて運動くらい出来るわ!体育じゃ“よくできる”以外とったことないんやからな!』
『どーだか』
一流はコンクリートを蹴り、学校までの道を駆けだした。時々振り返り、挑発するように白い歯を見せる。
細い路地裏に響いた地面をはじく軽い音。切ると冷たい風が頬を刺す。挑発されるがままにその音を追いかけた。
『サッカー、楽しいかぁ?』
『楽しいって、言うてるやん!お前もやってみいって』
『行くだけやからな!俺はやらへんぞ。このくそ寒い中、半袖になんかなってたまるかぃ!』
息を切らしながら一流の後を追う。彼はこの一年ちょっとの間に随分体力を付けた。昔は大して変わらなかった持久力も、いつの間にか犬と馬並の差が付いてしまった。
『いつる!』
校門が見えたところで一流の足がさらに速まる。
『まもるくんっ!』
『コーチ、もう来てるで。急げ!』
『まっじっかっ!渚、たぶんその辺に、“だいすけ”居てるから、遊んでもらっとけ』
『どぉーゆう扱いやねん!』
渚の足が止まった。
『つぅか、誰やねん“だいすけ”』
『かわいそーなヤツだなー、オマエ』
息が上がりしゃがみ込んでいるとおちゃらけた調子で声をかけられ、苦しくても我慢して立っておけばよかったと思った。奴はケラケラ笑って言った。
『体力ない男はモテへんぞ』
転回の少ないボールの蹴り合いは、延々と続けられた。のぼり棒のてっぺん、目の前で展開されるそれを眺め、渚は鼻を啜る。秋が深まったということか、日が落ちるにつれ肌寒くなる。
長袖の袖をたくし上げ、“だいすけ”は棒の下側で茶色いボールをついている。
『ハハっ。一流のヤツ、また怒られてる』
サッカーのルールもセオリーもよく知らないが、渚の素人目には一流の前のパスが悪かったように見えた。
『イツがミスしたようには見えへんかったけど、俺には』
パスを出された場所が前すぎた。あれを取ろうとすると、あと二歩分は先を走っていなければならなかっただろう。自分の事でなくても、一方的に責められるのはおもしろくない。
“だいすけ”は笑った。
『そうか?俺、サッカーなんかにキョーミあらへんけど、相手が走るとこより前にパス出しするんは当たり前やと思うで。取る側が“追い付くように走る”、そういうもんや』
黒髪の旋毛が憎い。ひと風冷気が頬をかすめていき、薄着の渚は身を震わせた。
『まぁ俺はサッカーに限らずルールが分からへんからな』
『勿体ないなぁ。バスケやるか?バスケ。オモシロいし、モテるでぇ~』
独り言のつもりで言った言葉に“だいすけ”が答える。風が出ていた。手を袖の中におさめ、次にニヤニヤ笑いながら見上げている“だいすけ”を見て言う。
『お前、さっきからそればっかりやな』
核心をついてみた。お前、モテりゃ何でもいいんじゃねえの?
にやにやしていた“だいすけ”の目が、暮れかかったオレンジ色に向けられる。渚から目が離れる瞬間、見ている方がドキリとするほど切ない目だった。『まあな』と答える。
『俺は守より、親父よりモテたいだけや。確かに種目は何でもよかった』
『オヤジ?』
渚が首を傾げる。なぜそこで親が出てくる?と。
『俺の親父、元エヌ、ビー、エーの選手やねん』
『エヌビーエー?…て?』
『まぁ、要はプロ。めちゃめちゃモテんねん。なんか、悔しいやん?』
『はぁ……?』
意味が分からない。後から説明を付ければ『親ばかりがモテて相手にされない自分が寂しかった』などと言った言い訳はいくらでも付けられたのだろうが、幼い渚には何一つ理解できなかった。
しかし理解は出来ないが、リズムよく刻む音も、吸い付くように彼の掌にボールが戻っていく様子も、確かにかっこいい。
『バスケは屋内やさかいこない寒くはないわな』
苦笑いしながら渚は言う。
『まー…外ほどではないやろな』
『インターバルまでの時間、サッカーほど長くはないよな?』
『せやな』
『なら…やってみてもええで』
いい加減にこじつけた理由。しかし“だいすけ”は再び顔を上げ、にやにや笑って自分のボールを渚に投げ渡した。
傷つき、裂け、使い込まれたボール。理由はともかく、彼が本気であることを示すに十分な証拠だ。
『ゴメン…——』
渚聞こえるか否かの大きさで呟いた。“大介”の目が細くなり、彼の泣き黒子が愛嬌を示して動く。
大介の実力を知るところとなるまでに、そう間はなかった。投げ渡されたボールに見合う、長年積み上げたような安定感あるボール運びは、地元の中、高生と並んでも劣らない。クラブ内では明らかに群を抜いており、他を寄せ付けない強さだ。
そして、彼が渚より一学年上級生であることも、練習に参加して初めて知った。
『俺ね、去年の冬にこっち来たばっかりやねん。トモダチ、守だけ』
『はぁ!?守くんだけって、ちょ、一年も経ってるやん。何してたんや自分。』
去年の冬。丁度、満流のことを知らないくらいか。渚想いながらボールを大介に投げる。周りに比べると力無いへなちょこなパスだ。彼は苦笑してそれ受け取り、『ヘタクソ』と言った。
『このガッコ、アイドルは一人しか認めへんのなー。守がいてるやん?あいつめちゃめちゃモテんねん。それに比べて俺は他から来た方言もまともに喋れへんよそモンやし、守やら一流みたいな華やかさもない』
『あー、ナルホドな。確かに華やかなアタマしてるわ』
彼らの頭髪を思い浮かべ、大介の言葉に納得する。
一流は外国人の血を色濃く引いていて生まれつき金髪だし、やたら緩い親を持った守も小四にして明るい茶色の頭をしている。男子である渚にはよく分からない感覚だが、女子から見てみれば騒ぎ立てるに相応しい容姿をしているかも知れない。それで守くんよりモテたいのか、と面白いほど納得した。
『結局…目立ちたがりか、自分。そりゃ難儀やったなぁ。ココじゃ目立つんは無理やろ』
渚は苦笑いして言った。
『いや、やったるで!俺はやる!諦めへんかったら、何でも叶うもんや。諦めたら何もかんも終いやろ』
『なんやカッコいいこと言うてるみたいなのに、内容しょーもないなぁ』
『渚がバスケで俺を抜く可能性に比べりゃ確率は高いもんや』
『失礼なヤツやな!つうか、話を聞け!』
大介が投げ返したボールをダメ元でリングへ向けて放ってみる。
『見とけ、すぐ抜いたるわ』
ぱす、と何かが擦れる音がした。
止まる時間
不意に聞こえなくなった周囲の音
ゆっくり落ちていくボール
バン、という床の鳴き声を合図に世界は元に戻る。
『奇跡やな』
『じ、実力や、あほ』
『お?ひょっとしてオマエ、シュート入れたん初めてか?』
にやけ顔の大介が渚に駆け寄り、肩に腕を回してからかう。『ウルサい』と答えると、彼は優しく笑った。
前進に鳥肌が立っているのは、こいつがいきなり微笑んだりするからだ、そう思おうとして、赤くなるほど腕をさする。
『早く追って来いよ、渚』
渚から目を離した大介は、至って真剣な目で小さくそう耳打ちした。
俺の相手が出来るくらいに、俺の実力を周りに見せつけるのに丁度いいくらいに強く——真っ直ぐで真剣な大介の目が、クラブチームのコーチを勤める彼の父親を捕らえていた。不本意ながらカッコいいと想ってしまう渚。照れ隠しに俯いて言った。
『抜かせ。大介くんの見せ場なんかないくらい強うなったるわ』
『バカ、俺よりは強くなんな!』
二十人前後の生徒が走り回る体育館は、外よりずっと暖かかった、と言うより寧ろ、汗が流れるほど暑かったのだ。夏は地獄かも知れない。汗を拭う渚は、密かにそんなことを考えていた。
それから七年。彼らの距離は少しずつ縮まった。と言っても、まだまだ渚が翻弄される側であることに変わりはないが。
「くたばれバケモノ!」
「おーおー。退治できるもんならしてみろ」
「くっそお~!」
鋭く激しいボールの争奪戦が繰り広がる。
体育館の二階。外はすっかり暗くなったというのに一向にやめる気配のない二人を、一流と守は欠伸をしながら眺めていた。
「化けモンやな、どっちも。ね、守くんも思いません?」
「今じゃ大介もすっかり本気だもんな。さすがにもう、俺はあいつの本気にゃ付いてけねぇな」
守が眠い目をこすって言う。一流は笑い、楽しそうにボールを目で追った。
「渚が始めてからですもんね。大介くんが守くんに勝負挑みにまとわりついて来なくなったの」
「丁度いい“オモチャ”見つけたんだろ。楽しそうで何よりだよ」
「まぁ、そうっすね」
「俺らも今度、たまには敵同士になってやってみるか」
ずっと茶色い塊を追っていた守の瞳が、不意に一流の瞳に飛び込む。一流は「え?」と、間の抜けた声を出してしまった。
「強ぇやつと戦う方が、楽しいかんな」
じゃれつく子供のような顔。
「手加減してくださいよ」
「アホか。する訳ないやろ。全力で点を穫りに来い。無理なことなんかねえから」
俺は万能じゃねぇんだ。実際、走りで満流に負けてるしな。彼は苦笑して言った。
人間は、万能じゃねぇんだ。
守の口が動くのと、渚の雄叫びが体育館中に響いて倒れ込むのとはほぼ同時だった。
「ヒトのミスで勝ってそない喜ぶなアホ!」
大介の罵声が響く。
「あーあ。負けてやんの。オイ大介っ。罰ゲームだお前!今週の飯当番代わりがれ!」
「ああぁぁ!賭けてんの忘れてた!!渚、なんてことしてくれんだバカヤロウ」
無理なことなんか、ない。諦めたら、それで全てが終わりだろう?