*~*~~*~*~*~~*~*
【The waY】
*~*~*~~*~*~~*~*
『世界的に騒がれている犯罪組織にお前も入るのだ』、『選択権はない』、唐突にそんなことを告げられて、果たして何人の人間が真に受けるだろうか。普通なら冗談と取るか、相手の精神状態を疑うかのどちらかだろう。
しかし、言われるがまま、なぜか疑うこともせず言葉を受け入れた。強いて理由を突き止めるとすれば、経験してきた不可解な偶然と境遇と言えばよいだろうか。もっと言えば直感——相手の背負う気配は常人の纏うそれとは明らかに違えた——としか言いようがない。
本当ならば、カルトという組織の存在を知るからには外の世界では自由に生かしてもらえないらしい。しかし聞くところに因ると一流は開祖の直系、つまりお偉い様の孫だか曾孫だかに当たり、彼をぞんざいに扱うことなど出来ないからということで、彼らは条件付きで自由を得た。今は監視をされているらしいが、素人の彼らはプロ———あの世界にプロもアマもないかもしれないが———の尾行など全く分からないし、何かを言われたりするわけでもないので大して気にならない。
頬をなでる温い風。雲で月明かりさえもが遮られる様な暗い夜、守は一人部屋を出て空を見上げながらぼうっとしていた。
「守くん…?」
玄関のドアを開けたのは、今一番辛いであろう一流だ。
「あぁ、イツ、起きてたのか」
「大介くんの寝言がうるさくて寝られへんわ」
「ティッシュでも口に詰めてみろ。一発で黙るぞ」
守が言うと、「息止まって死するんちゃいます?」と彼は笑った。
切れ掛けた外灯がチカチカと瞬き、ずっと見つめていると目がおかしくなりそうだ。時たま行き交う車、気だるそうに歩くサラリーマン、今にも倒れそうな酔っ払い。ありふれた風景画が目の前に広がっている。突然、守はそこに立っている自分の存在に違和感を覚えた。
「イツ……、満流、さ、今お前のじーさん家にいるんだっけか?」
なるべく聞き取りにくい小さな声で言う。一流ははじめ戸惑った様子を見せたが、やがて僅かに頷き、不安げな目をしていた。
「多分悪いようにはされてないと思うんすけど、イマイチ理解出来ないのは、何で満流は連れて行かれて、俺は平気なんやろうっていう。いっそ俺も連れてきゃ良かったのに、って思わずにはいらんないです………
ずっと離れてたのになに兄貴ぶってんだって思われるかも知んないけど、俺、満流が泣くかもって思うと気が気じゃない。大事なんです。大事なものが傷つくのも、いなくなるのも堪えられへん………なんて、偽善的っすよね」
一流は守の横に立ち、手すりに肘をついて顎を乗せた。緩やかな風に吹かれ揺れる彼の髪。青い瞳に、外灯の明かりが写って白い点を為した。
「分かってるよ。お前がちゃんと心配してて、ちゃんと苦しんでることくらいは分かってる」
お前、優しすぎるんだよ。守は彼の頭を軽く小突き、柔らかく笑った。
「言っとくけど、ヒトゴトじゃねえんだぞ。俺もお前も」
「そうなんっすよねえ。全く実感ないけど」
「今までとなぁんも変わんねえもんな」
「強いて言えば、満ち流と唯間と春野の姿を見いひんくなったくらいやし、夏休みやさかい当然と言えば当然やし」
本当に、なにも変わっていない。見えない事実が動いているだけで、日常には支障も影響もないのだ。この先自分に起こり得ることを予想することさえ出来ない、不思議な感覚だった。
「どうなるんだろうな、俺たち」
見えない未来に心を馳せる。どうかあの日が、あの日々が夢でありますようにと。流れ星は疎か、星一つ見えない空を仰ぐ。
守は密かに目論んでいた。
中二の夏、家族の前で誓ったのだ。いつかは、自分がみんなを守ると。来たのだ、その、“いつか”が。
厚い雲の隙間を縫い、ちらとだけ仄かな色を見せる星。少しも経たないうちに、新たな雲によって隠される。
重く閉められていたドアが、時々思いついた様に開いた。その都度、扉の向こう側の光が薄く差し込むが、もはや暗闇に慣れてしまった目にその光は明るすぎる。既に自分は闇に溶けてしまっているのだとジョーカーは悟った。
黄色い閃光が瞼を襲う。
「(今日も召し上がらなかったのですか).」
低く、柔らかい声。優しく問いかける彼の声がした。
「(食欲がないから。何か、飲むものだけが欲しい).」
「(そろそろ食べないと死んでしまいますよ).」
「(飲み物だけ持ってきてくれればいい。余計な世話を焼くな).」
「(…——畏まりました。すぐ準備して参ります。風呂の支度をするので、飲み物をお召しになった後身体を流してください).」
そう言うと青年は、手持ちの蝋燭をジョーカーの傍へ置き静かに部屋を去った。カチャリ、という音を最後にジョーカーはまた独りぼっちになる。
もし今、あの扉をこじ開けて脱出を謀ればどうなるだろう。手持ち無沙汰になったジョーカーは、部屋における唯一の光、蝋燭の灯りを用いて影絵遊びを始める。
暗い闇に残された、儚く哀れな光と哀れな人間。
今の私に似合いなシチュエーションじゃないか。
影は狼を象り、小指を動かす度に口を大きく開閉。
狼は、虚しく空気を食べていた。
「あの日も」
ジョーカーが嘆くように呟く。
「こんな色を見たな。明るいのに薄暗い、虚しくて、胸苦しい。」
不意に影狼は崩れ、空に浮いた影は頭を抱える。二つの茜色がジョーカーの脳裏を襲った———そう、あの日もこんな色が目の前にあった。すべてを知った日、そして、すべてが始まった日。苦しかったのに、涙も出なかった。
いつからあたしは泣けなくなったんだろう。
ジョーカーは戸惑い、迷い、そして言い聞かせる。自分がしっかりしなければ。と。
早く——一刻も早く終わらさなければ。自分の決意が揺らぐ前に。大丈夫だ。必要な知識や技術は付けたし、あとは、このふざけたゲームを終わらせるだけ。
もう、いつか見た穏やかな日差しを拝むことはないだろう。居心地のいい腕の中に包まれることも、ひんやりと愛しい手に触れることも、馬鹿をして笑うこともないだろう。優しい声をかけられることすら、あと少しで終わりになる。
お先真っ暗、と言えば十分この未来を形容出来るだろうが、それでも、彼女は後に引けなかった。
「あたしが…助けるからね」
愛しいが故、幼き日に交わした約束を違えることが出来ず、自らに寄せられる希望の目が拒めなかった。
生まれし日より与えられた運命により、知らぬ所から運命の子としての期待と注目を一身に浴びてきたジョーカー。見えもしない未来を勝手に運命付けるなど馬鹿らしい、とはいえ、彼らの思いを無にすることも出来なかった。そしてその結果がこの有様だ。暗い地下に拘禁され、部屋から出るには手枷と目隠しをして付き添いを伴わなければならない。監獄囚の様な扱いだ。
それでも、何もしないよりはずっとましだと思った———それが、彼女が堪え続ける理由。
外の気配を察し、ジョーカーは立ち上がる。
「(ありがとう。お風呂の準備はいい?すぐ入る。).」
「………」
「…——?」
いつものように手首を差し出し、部屋を出るとき用の手枷をつけるよう促すと、急に彼が黙った。「何か?」と尋ねても、彼は深刻気な色を見せるだけで黙って立ちつくしている。
「(早く)——」
「なぜ…」
冷たく柔らかい指が、そっとジョーカーの薄い手を包み込む。彼は拙い日本語を用い、訴えるような目で問いかけた。
「なぜ、あなただったのですか?なぜ、ワタシではなかったのですか?」
「……。」
「ほんとうは、ワタシがカルトにはいるはずでした。チチオヤはつよかったですが、死ぬときがちかづくたびに、ココロもカラダもよわくなった。
チチオヤはくるいました。ワタシたちといっしょに、死のうとしました。しかし、チチオヤはできませんでした。
ハハオヤとじぶんだけを殺して、ワタシとオトウトを殺しませんでした。
オトウトはおこりました。そして、チチオヤが甘いとせめました。カルトは、“りょうオヤ”をなくして悲しむワタシより、怒りをしめしたオトウトをナカマにしました。
ワタシは…メンバーの方たちがかわいそうです。カレらはくるしんでいる、ワタシはそんな気がします。ワタシはオトウトのちかくにいたかったですが、オトウトはイソガシイだったですから、なかなか会えませんでした。
そしてそのオトウトは昨日……ジョウシに刃向かって殺されました。
ワタシがジョーカーなら、もっと、カルトをちがうようにしました。
ジョーカーはカルトでイチバンつよいのでしょう?なぜ、あなたは何もしないですか?なぜ、くるしそうな顔をしながらカルトの“いいなり”になってるのですか?」
彼の痛切な想いがジョーカーの胸に突き刺さる。片言で何処か文法のおかしい日本語も、きっと“もしかしたら”の可能性に賭けたのだろう。もしかしたら、自分も使用人ではなく一員として働けるのではないかと。弟の近くに立てるのではないかと。
出来るだけゆっくり、聞き取りやすいように話す。
「残念だけど、“ジョーカー”は、一番ではないわ。“ジョーカー”は、丁度いい補足用の駒でしかない。他のカードに影響を与えることは出来ないの。
仮に“ジョーカー”にそんな権利があったとしても、カルトを解散したところで何の解決にもならない。彼…私達は、犯罪という闇に飲まれた怪物だから、散り散りになったってきっとそれぞれ過ちを繰り返すわ。上からの圧力から解放されて、その人がここで培った悪い心に拍車をかける可能性だってある。
弟さんのことは……なんとお詫びしたらいいか分からないけど———」
「ドウジョウはいりません」
「同情ではないわ。私が謝って済むものではないのは分かってる。だけど」
ジョーカーは一度言葉を切り、自分の手を包む一回り大きなそれを見つめた。
「何も言わないままでは気が晴れないの。あたしの、好きな人もまた、あなたと同じように両親を最悪の形で失った。ある人は妹を、ある人は父親を失ったわ。
傷つきながらも前進し続ける彼等を前に、あたしはいつも何も出来ないで、ただ呆然としてるの。彼らを傷つけてるのはあたしの両親なのに、止めることも励ますことも出来ないで、あたしは————」
歯痒いくらい、無力。ジョーカーが嘲笑する。
冷たかった彼の手がジョーカーの体温で温もり、甲に妙な温度と感覚を覚えた。ひんやりとした、あの手を思い出す。
きっと、彼の手は未だ冷たいままだ。
「あなたも…カナシイのですね」
彼は手を離し、胸のポケットから手枷と白い布を取り出した。
手首と瞼に、冷たいものが触れる。
「そんなことないわ。まだ、この程度で悲しむわけにはいかないから」
「…つよいです、あなたは」
「“切り札”だからね」
「キリフダ?」
彼の語尾が上がることを確認し、彼女は“にっ”と笑って歩き始めた。
「(早く連れて行きなさい。湯が冷めてしまう).」
jokerと綴られた肩。暗闇の中、何一つ見えないけれど、そこに確かな道があることを自らの足で感じる。
『他の何でもない“満流”が必要な奴、ちゃんと居るんやから』———そう、心の中で何度も反芻した。
まもる、あたし、頑張るよ。
【The waY】
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『世界的に騒がれている犯罪組織にお前も入るのだ』、『選択権はない』、唐突にそんなことを告げられて、果たして何人の人間が真に受けるだろうか。普通なら冗談と取るか、相手の精神状態を疑うかのどちらかだろう。
しかし、言われるがまま、なぜか疑うこともせず言葉を受け入れた。強いて理由を突き止めるとすれば、経験してきた不可解な偶然と境遇と言えばよいだろうか。もっと言えば直感——相手の背負う気配は常人の纏うそれとは明らかに違えた——としか言いようがない。
本当ならば、カルトという組織の存在を知るからには外の世界では自由に生かしてもらえないらしい。しかし聞くところに因ると一流は開祖の直系、つまりお偉い様の孫だか曾孫だかに当たり、彼をぞんざいに扱うことなど出来ないからということで、彼らは条件付きで自由を得た。今は監視をされているらしいが、素人の彼らはプロ———あの世界にプロもアマもないかもしれないが———の尾行など全く分からないし、何かを言われたりするわけでもないので大して気にならない。
頬をなでる温い風。雲で月明かりさえもが遮られる様な暗い夜、守は一人部屋を出て空を見上げながらぼうっとしていた。
「守くん…?」
玄関のドアを開けたのは、今一番辛いであろう一流だ。
「あぁ、イツ、起きてたのか」
「大介くんの寝言がうるさくて寝られへんわ」
「ティッシュでも口に詰めてみろ。一発で黙るぞ」
守が言うと、「息止まって死するんちゃいます?」と彼は笑った。
切れ掛けた外灯がチカチカと瞬き、ずっと見つめていると目がおかしくなりそうだ。時たま行き交う車、気だるそうに歩くサラリーマン、今にも倒れそうな酔っ払い。ありふれた風景画が目の前に広がっている。突然、守はそこに立っている自分の存在に違和感を覚えた。
「イツ……、満流、さ、今お前のじーさん家にいるんだっけか?」
なるべく聞き取りにくい小さな声で言う。一流ははじめ戸惑った様子を見せたが、やがて僅かに頷き、不安げな目をしていた。
「多分悪いようにはされてないと思うんすけど、イマイチ理解出来ないのは、何で満流は連れて行かれて、俺は平気なんやろうっていう。いっそ俺も連れてきゃ良かったのに、って思わずにはいらんないです………
ずっと離れてたのになに兄貴ぶってんだって思われるかも知んないけど、俺、満流が泣くかもって思うと気が気じゃない。大事なんです。大事なものが傷つくのも、いなくなるのも堪えられへん………なんて、偽善的っすよね」
一流は守の横に立ち、手すりに肘をついて顎を乗せた。緩やかな風に吹かれ揺れる彼の髪。青い瞳に、外灯の明かりが写って白い点を為した。
「分かってるよ。お前がちゃんと心配してて、ちゃんと苦しんでることくらいは分かってる」
お前、優しすぎるんだよ。守は彼の頭を軽く小突き、柔らかく笑った。
「言っとくけど、ヒトゴトじゃねえんだぞ。俺もお前も」
「そうなんっすよねえ。全く実感ないけど」
「今までとなぁんも変わんねえもんな」
「強いて言えば、満ち流と唯間と春野の姿を見いひんくなったくらいやし、夏休みやさかい当然と言えば当然やし」
本当に、なにも変わっていない。見えない事実が動いているだけで、日常には支障も影響もないのだ。この先自分に起こり得ることを予想することさえ出来ない、不思議な感覚だった。
「どうなるんだろうな、俺たち」
見えない未来に心を馳せる。どうかあの日が、あの日々が夢でありますようにと。流れ星は疎か、星一つ見えない空を仰ぐ。
守は密かに目論んでいた。
中二の夏、家族の前で誓ったのだ。いつかは、自分がみんなを守ると。来たのだ、その、“いつか”が。
厚い雲の隙間を縫い、ちらとだけ仄かな色を見せる星。少しも経たないうちに、新たな雲によって隠される。
重く閉められていたドアが、時々思いついた様に開いた。その都度、扉の向こう側の光が薄く差し込むが、もはや暗闇に慣れてしまった目にその光は明るすぎる。既に自分は闇に溶けてしまっているのだとジョーカーは悟った。
黄色い閃光が瞼を襲う。
「(今日も召し上がらなかったのですか).」
低く、柔らかい声。優しく問いかける彼の声がした。
「(食欲がないから。何か、飲むものだけが欲しい).」
「(そろそろ食べないと死んでしまいますよ).」
「(飲み物だけ持ってきてくれればいい。余計な世話を焼くな).」
「(…——畏まりました。すぐ準備して参ります。風呂の支度をするので、飲み物をお召しになった後身体を流してください).」
そう言うと青年は、手持ちの蝋燭をジョーカーの傍へ置き静かに部屋を去った。カチャリ、という音を最後にジョーカーはまた独りぼっちになる。
もし今、あの扉をこじ開けて脱出を謀ればどうなるだろう。手持ち無沙汰になったジョーカーは、部屋における唯一の光、蝋燭の灯りを用いて影絵遊びを始める。
暗い闇に残された、儚く哀れな光と哀れな人間。
今の私に似合いなシチュエーションじゃないか。
影は狼を象り、小指を動かす度に口を大きく開閉。
狼は、虚しく空気を食べていた。
「あの日も」
ジョーカーが嘆くように呟く。
「こんな色を見たな。明るいのに薄暗い、虚しくて、胸苦しい。」
不意に影狼は崩れ、空に浮いた影は頭を抱える。二つの茜色がジョーカーの脳裏を襲った———そう、あの日もこんな色が目の前にあった。すべてを知った日、そして、すべてが始まった日。苦しかったのに、涙も出なかった。
いつからあたしは泣けなくなったんだろう。
ジョーカーは戸惑い、迷い、そして言い聞かせる。自分がしっかりしなければ。と。
早く——一刻も早く終わらさなければ。自分の決意が揺らぐ前に。大丈夫だ。必要な知識や技術は付けたし、あとは、このふざけたゲームを終わらせるだけ。
もう、いつか見た穏やかな日差しを拝むことはないだろう。居心地のいい腕の中に包まれることも、ひんやりと愛しい手に触れることも、馬鹿をして笑うこともないだろう。優しい声をかけられることすら、あと少しで終わりになる。
お先真っ暗、と言えば十分この未来を形容出来るだろうが、それでも、彼女は後に引けなかった。
「あたしが…助けるからね」
愛しいが故、幼き日に交わした約束を違えることが出来ず、自らに寄せられる希望の目が拒めなかった。
生まれし日より与えられた運命により、知らぬ所から運命の子としての期待と注目を一身に浴びてきたジョーカー。見えもしない未来を勝手に運命付けるなど馬鹿らしい、とはいえ、彼らの思いを無にすることも出来なかった。そしてその結果がこの有様だ。暗い地下に拘禁され、部屋から出るには手枷と目隠しをして付き添いを伴わなければならない。監獄囚の様な扱いだ。
それでも、何もしないよりはずっとましだと思った———それが、彼女が堪え続ける理由。
外の気配を察し、ジョーカーは立ち上がる。
「(ありがとう。お風呂の準備はいい?すぐ入る。).」
「………」
「…——?」
いつものように手首を差し出し、部屋を出るとき用の手枷をつけるよう促すと、急に彼が黙った。「何か?」と尋ねても、彼は深刻気な色を見せるだけで黙って立ちつくしている。
「(早く)——」
「なぜ…」
冷たく柔らかい指が、そっとジョーカーの薄い手を包み込む。彼は拙い日本語を用い、訴えるような目で問いかけた。
「なぜ、あなただったのですか?なぜ、ワタシではなかったのですか?」
「……。」
「ほんとうは、ワタシがカルトにはいるはずでした。チチオヤはつよかったですが、死ぬときがちかづくたびに、ココロもカラダもよわくなった。
チチオヤはくるいました。ワタシたちといっしょに、死のうとしました。しかし、チチオヤはできませんでした。
ハハオヤとじぶんだけを殺して、ワタシとオトウトを殺しませんでした。
オトウトはおこりました。そして、チチオヤが甘いとせめました。カルトは、“りょうオヤ”をなくして悲しむワタシより、怒りをしめしたオトウトをナカマにしました。
ワタシは…メンバーの方たちがかわいそうです。カレらはくるしんでいる、ワタシはそんな気がします。ワタシはオトウトのちかくにいたかったですが、オトウトはイソガシイだったですから、なかなか会えませんでした。
そしてそのオトウトは昨日……ジョウシに刃向かって殺されました。
ワタシがジョーカーなら、もっと、カルトをちがうようにしました。
ジョーカーはカルトでイチバンつよいのでしょう?なぜ、あなたは何もしないですか?なぜ、くるしそうな顔をしながらカルトの“いいなり”になってるのですか?」
彼の痛切な想いがジョーカーの胸に突き刺さる。片言で何処か文法のおかしい日本語も、きっと“もしかしたら”の可能性に賭けたのだろう。もしかしたら、自分も使用人ではなく一員として働けるのではないかと。弟の近くに立てるのではないかと。
出来るだけゆっくり、聞き取りやすいように話す。
「残念だけど、“ジョーカー”は、一番ではないわ。“ジョーカー”は、丁度いい補足用の駒でしかない。他のカードに影響を与えることは出来ないの。
仮に“ジョーカー”にそんな権利があったとしても、カルトを解散したところで何の解決にもならない。彼…私達は、犯罪という闇に飲まれた怪物だから、散り散りになったってきっとそれぞれ過ちを繰り返すわ。上からの圧力から解放されて、その人がここで培った悪い心に拍車をかける可能性だってある。
弟さんのことは……なんとお詫びしたらいいか分からないけど———」
「ドウジョウはいりません」
「同情ではないわ。私が謝って済むものではないのは分かってる。だけど」
ジョーカーは一度言葉を切り、自分の手を包む一回り大きなそれを見つめた。
「何も言わないままでは気が晴れないの。あたしの、好きな人もまた、あなたと同じように両親を最悪の形で失った。ある人は妹を、ある人は父親を失ったわ。
傷つきながらも前進し続ける彼等を前に、あたしはいつも何も出来ないで、ただ呆然としてるの。彼らを傷つけてるのはあたしの両親なのに、止めることも励ますことも出来ないで、あたしは————」
歯痒いくらい、無力。ジョーカーが嘲笑する。
冷たかった彼の手がジョーカーの体温で温もり、甲に妙な温度と感覚を覚えた。ひんやりとした、あの手を思い出す。
きっと、彼の手は未だ冷たいままだ。
「あなたも…カナシイのですね」
彼は手を離し、胸のポケットから手枷と白い布を取り出した。
手首と瞼に、冷たいものが触れる。
「そんなことないわ。まだ、この程度で悲しむわけにはいかないから」
「…つよいです、あなたは」
「“切り札”だからね」
「キリフダ?」
彼の語尾が上がることを確認し、彼女は“にっ”と笑って歩き始めた。
「(早く連れて行きなさい。湯が冷めてしまう).」
jokerと綴られた肩。暗闇の中、何一つ見えないけれど、そこに確かな道があることを自らの足で感じる。
『他の何でもない“満流”が必要な奴、ちゃんと居るんやから』———そう、心の中で何度も反芻した。
まもる、あたし、頑張るよ。