「弁当販売続けて良いのかな…」〜いわき市の女性が抱えるジレンマと故郷・楢葉町への想い | 民の声新聞

「弁当販売続けて良いのかな…」〜いわき市の女性が抱えるジレンマと故郷・楢葉町への想い

「汚染は存在する風評ではありません」─。福島県楢葉町に生まれ育った女性(41)が、故郷へ想いや嫁ぎ先のいわき市での生活などを語ってくれた。変わり果てた故郷、母親として娘の内部被曝回避に努める自分、そして経営者として弁当店を切り盛りする中でのジレンマ…。原発事故させなければ抱えることのなかった苦悩がここにもあった。


【県外避難するも1カ月で自宅へ】

 弁当店を放り出すわけにはいかなかった。雇っているパート従業員たちの生活も考えなければならない。

 いわき市内の自宅を離れて1カ月。2011年4月には、身を寄せていた神奈川県内の親類宅からいわき市に戻った。以来、福島県外には出ていない。「娘の被曝の心配?もちろんありますよ。でもね…」。
 あの日、幼稚園児だった娘は、高台にある幼稚園の園庭で、他の園児と一緒に送迎バスの中にいた。職員らの判断でバスを走らせなかったことが幸いした。本来なら車で10分ほどで到着できるが、道路が大渋滞して2時間もかかった。ようやくたどり着いた園庭で、娘は母親の姿を見つけるとこう言った。「パパとママ、死んじゃったかと思った」。女性は娘を抱きしめて言った。「大丈夫。大丈夫だから。パパもババも」。

自身は義母と鮮魚店に立ち寄った際に激しい揺れに襲われた。とっさに義母の手を引いて店外に飛び出た。ほど無くして、店内の大きな水槽が音を立てて倒れた。気付けば道路にしゃがみ込んでいた。

 避難には、娘のストレス軽減も念頭にあった。原発事故で外遊びができない。ライフラインが寸断され、凍えるような寒さの中、入浴すらままならない。水道水は飲ませず、マスクを着用させた。店も営業どころではない。従業員を集め、とりあえず厨房に残っていた米などの食材を配った。信頼できる従業員に店舗のカギを預け、夫の弟が暮らす神奈川県に向かった。

 小学生になった娘は先日、3.11に前後して放送された震災特集番組を激しく嫌がったという。

 「チャンネル変えて!お腹痛い」

 心の傷も深い。

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(上)楢葉町前原地区で行われた除染作業。「この辺

りは津波被害に遭った家屋もあります」(2013年11月)

(下)女性の実家前の道路は、激しい揺れでアスファル

トが盛り上がった(2013年6月、いずれも女性が撮影)

【福島第一原発建設に参加した父】

 生まれ育った楢葉町。

 広野町と富岡町に挟まれ、福島第一原発から町役場までは約16kmだ。

 原発事故から5カ月後の2011年8月、いわき市内に避難した70代の両親に代わり、初めて自宅を訪れた。広野町で防護服に着替え、地区ごとにマイクロバスに分乗。黒いビニール袋を渡され、それに入れられる分だけ、持ち出しが許された。玄関は揺れの衝撃で歪み、やっとの思いで開けることができたという。

 「時間は2時間。通帳や年金手帳など、貴重品を持ち出すので精一杯でした」。両親からは写真の持ち出しも頼まれていた。10年も離れていると、どこに何があるのか分からない。たんすの引き出しをかき分けるように探した。出発前に渡されたトランシーバーから「あと30分ですよ」と急かす言葉が聞こえてくる。防護服の中を汗が伝う。あっという間の一時帰宅だった。

 思えば、原発との縁浅からぬ人生だった。

 父は福島第一原発の建設に作業員として加わった。「高給を求めて首都圏に働きに行っていた父に『地元で働けて給料も高い』と誘いの声がかかったようです。大熊町出身の母とは、現場で知り合った人を通じてお見合いをしたそうです」

 「原発様様ですよね」と振り返るほど町内の道路は交付金できれいに舗装され、過疎の町には似つかわしくないような立派なテニスコートをよく利用した。原発に関連する雇用で生活が成り立っているクラスメートも少なくなかった。
 そんな環境でも、原発を疑問視する教師がいたという。「中学生の時、美術の男性教師が反原発をテーマにしたポスターを書かせたのです。もちろん、私も書きました。どんなデザインだったかな…。考えてみれば、すごい授業だったですよね」。

 損傷と汚染で住めなくなってしまった実家は、取り壊しが既に決まっている。「もう帰れませんよね。あの頃の、記憶の中にある町ではなくなってしまった。原発建設にかかわった父はあまり多くは語りませんが、いつかこういう日が来ると感じていたのではないでしょうか」。
 避難生活が続く両親は、東電から支払われた賠償金には手を付けず、年金だけでつつましく暮らしているという。

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高台から勿来火力発電所を望む。海岸沿いの岩間町

は、多くの家屋が津波の直撃を受けた=いわき市

【汚染は現実。風評ではない】

 契約更新の年末を迎えるたびに、悩むことがある。経営する弁当店のフランチャイズ契約を継続するべきか。福島で弁当販売を続けていいものか。ジレンマがなくならないという。

 「食材は親会社が決めるので私は発注するだけ。西日本産という表記だって、疑い出したらきりがない。娘の食材は内部被曝しないよう気を付けて選んでいるのに、自分で選べない食材で作ったお弁当を販売してお金をいただいている。お前はそんなものを売っているのか、と自問自答が続いています」

 原発事故以降、娘には被曝回避のためにさまざまなことを言い続けてきた。8歳になった娘は「雨に濡れちゃいけないんだよね」「魚は食べちゃいけないんでしょ?」と口にするようになった。いわき市は福島県内でも比較的放射線量の低い土地とはいえ、どこまで安心して良いのか分からない。だからこそ徹底的に気を付けている自分が商売では…。答えは出ない。
 「だって、汚染は実際にあるわけですから。『風評』というのは、ありもしないことを言い立てることを指すんですよね」


(了)