【浪江町ルポ2013(下)】復興への願いと、汚染ですべてが止まったままの町
高濃度汚染が解消されないまま、3度目の盆休みを迎えた浪江町。乳牛の牧場は再開のめどが立たず、町中心部の道路拡幅工事もストップしたまま。先の見えない「復興」。町内は、伸び放題の雑草と警ら中のパトカーばかりが目立っていた。
【高濃度汚染地帯に避難誘導された町民】
「復興祈願」
赤い字で書かれたのぼりが、何本も風になびいていた。
浪江町津島の津島稲荷神社の参道。
手元の線量計は2μSVを軽く超える。一時帰宅した氏子の住民が設置したのだろうか。本来であれば、夏休み中の子どもたちの姿もあるはずだが、誰もいない。通過するのも警ら中のパトカーばかり。除染すらままならない津島地区。復興への道のりは遠く、険しい。
「あの日を思い出すよ」
取材に協力してくれた男性(59)がつぶやく。未曽有の巨大地震の後に襲いかかった放射能汚染。町民が津島地区に殺到した。国道114号は大渋滞した。実は、町民が誘導された津島地区こそ、町内で最も汚染の酷かった地域だと、町民は後になって知ることになる。
「そういうことも含めて、何事もなかったかのように住民を戻させる。酷い話だよ」
昼曽根地区から南相馬市へ抜ける県道49号の「原浪トンネル」は封鎖されている。2000年に完成したばかりの新しいトンネルだが、南相馬市との行き来は叶わない。手元の線量計は10μSVを超した。単純換算で年80mSVに達するほどの汚染が、原発事故から2年5カ月経っても、浪江町では続いている。
(上)(中)「復興祈願」と赤くかかれたんぼりの立つ
津島稲荷神社。放射線量は2.3μSVを超した
(下)南相馬市へ抜ける「原浪トンネル」は封鎖され
たまま。放射線量は10μSVを超した
【地表真上で60μSV超す牧場】
放射能汚染の直撃を受けた酪農業。
乳牛の姿のなくなった酪農牧場は、立派な看板とサイロが目を引いた。車を降り、敷地内に入ると手元の線量計は5μSVを超す。警ら中のパトカーが減速し、こちらの様子をうかがっている。立派な牛舎。しかし、家畜特有の香りはない。
地表に線量計を下して行くと、地表真上で60μSVを軽く上回った。前回も訪れた「津島集乳所」では、雨どい直下で90μSVを超した。これほどの汚染を、除染によって「安全な」数値にまで低減させることなどできるのだろうか。
牛乳を生産していた「門馬牧場」。敷地内の放射
線量は5μSV超。地表真上では60μSVを上回った
【中断した道路拡幅と再開した常磐道建設】
伝統工芸「相馬大堀焼」の工房の一つに立ち寄った。工芸教室などが行われてきたであろう小屋は激しい揺れで内部が損壊したまま。いくつもの器が割れて散っていた。
放射線量は1-3μSV。二本松市内で製作を再開している職人もいるが、断念した人もいるという。町内には、あちらこちらに立てられた看板だけが残った。
常磐線の線路を超えると、これまでと景色は一変して商店街が広がる。常磐道の開通をにらみ、道路の拡幅工事が行われている最中の大震災。完成間近で工事はストップし、立ち退きに伴って新たに建てられた店舗は、真新しい外観が哀しい。
地元経済界の関係者が、二本松市内で開かれたイベント会場で言っていた。
「常磐道のインターチェンジが出来れば、観光客が多少なりとも町に立ち寄るだろうと。そうすれば観光の目玉が必要になる。そこで、なみえ焼きそばに力を入れたんです」
町内では、常磐道の建設工事が再開した。まずは除染からだが、被曝の心配なく高速道路を利用できるとは到底、思えない。
(上)(中)汚された「相馬大堀焼」のふる里。二本松
市に拠点を移して再開した人もいる
(下)常磐道の開通をにらみ、道路拡幅工事が行わ
れていた町中心部。拡幅工事は完成寸前で中止。
新築されたばかりの店舗にお客さんが戻る日は何
年後か…
(了)