【熊本ルポ】生命を守るために私は西を目指した~移住者は語る(上)
ある母親は、関東に暮らし続けていては子育てができないと思った。ある夫は、日に日に体調を崩していく妻の姿に腹をくくった。人生の大きな決断の背景には、大事な家族のために、原発事故で奪われた「健康で文化的な生活」を取り戻そうという揺るがない決意があった─。福島原発の事故による被曝を回避しようと、西日本へ移住する動きが加速している。安住の地を求めて西へ。仕事を辞め、自宅を売り、長年親しんだ友人とも別れての移住。金銭的にも精神的にも負担が伴う。周囲は温かい視線ばかりではない。それでもなお、涙をこらえて生命を優先させる移住者たち。熊本で話を聴いた6組(一時避難を含む)は皆、移住までの葛藤を振り返りながら最後は口を揃えて言った。「熊本に来て本当に良かった」
【東電社員が九州に避難、で決意】
「葉山にいては子どもを守れない。移住しよう」
異変を感じたのは3/15早朝のことだった。
庭仕事をしていると、初春の心地よい風を直接受けていた顔の半分側だけが、みるみるうちに赤くなっていった。小学4年生の娘が心配するほどの赤み。前日には、福島第一原発3号機で大爆発を起きていた。放射性物質の飛来を直感した。慌ててシャワーを浴びて洗い流すと急速に元の色に戻った。登校の準備をしていた娘に声を掛けた。「今日は学校を休みなさい」。3/11以来、ずっと抱いていた不安が確信に変わった瞬間だった。
ウインドサーフィンと海を愛する杉葉山さん(42、仮名=南阿蘇)は妻と娘、小学1年生の息子、そして2月に生まれたばかりの娘の5人暮らし。5年ほど前,
神奈川県葉山町に転居。湘南の海を満喫していた。
「東日本一帯の海が汚される」。サーファーによる環境保護団体「サーフライダー・ファウンデーション・ジャパン」(http://www.surfrider.jp/ )を通じて、以前から青森県六ケ所村での再処理工場稼働に反対する活動に参加していた。
だから当初、国が会見で盛んに「ただちに影響はない」と安全性を強調しても、信用できなかった。「国が本当のことを言うにしても数年後だろう。嘘をついていると確信していた」
妻の説得には難渋した。
生後1カ月の乳児を抱えては無理もない。放射能に対する危機意識も差があった。「逃げるならあなただけ逃げればいい」。小学校入学を目前に控えた息子のことも移住を躊躇させた。
とりあえず爆発事故から4日後の3/19、阿蘇に一週間の予定で一時避難した。周囲には同じように逃げてきた人が少なくなかった。そして、滞在中に知人から耳にした言葉が、妻を説き伏せてでも移住をしようと決心させる決め手となった。
「その知人の親戚に東電社員がいたんですが、会社の指示で九州に避難してくると言うんです。これはヤバいと思いました。原因者である東電自身が社員を九州に逃がそうとしているということは、相当事態が深刻なのだろうと。あの顔の赤みはやはり、被曝だったんだなと思いました」
実際に移住した女性に妻を説得してもらうなど、移住実現までには2カ月を要した。父親の熱意が伝わったのか、娘は「私だけ一人で避難しても良いよ」と笑った。家族が阿蘇で落ち着いた生活を始めたとき、原発事故から3カ月が経とうとしていた。
住み慣れた葉山の自宅は売りに出しているが、買い手がつく確証はない。収入は退職金と失業保険。電気工事士の職業訓練を受けており、いずれはその資格を生かしてさらなる移住も視野に入れている。決して楽な道のりではないが、子育ての不安は無くなった。自身の体調も安定している。
当初、退社手続きなどで何度か葉山に戻ると、決まって体調が悪くなった。喉や目、首の痛み、倦怠感…。それらは阿蘇に帰ると治った。往復しながら体調の変化を実感するとともに、子どものために葉山を離れて良かったと心から思った。
「後悔しなかったと言えばうそになるが、決断して良かったと思う」
熊本城の天守閣。東からの移住者を見守っているかのようだ
【子どもの命には代えられない】
雨に濡れると肌がヒリヒリした。
身体がだるくなった。
原発事故以来、体調の悪い日が多くなった。放射性物質が飛来しているんだと直感した。
「息子を環境の良いところに移してあげたい」
気付いたら母親の住む熊本行きの飛行機に乗っていた。
千葉県市川市から7月に熊本市内に移住したAさん(40)は、母親、小学6年生と3人暮らし。慣れない土地での生活も、少しずつだが落ち着いてきた。
関東各地で高い放射線量が測定されるようになり、東日本の食物からセシウムなど放射性物質が検出されるニュースが次々と報じられた。元々放射能に詳しいわけではなかったが、息子の被曝を回避するためインターネットなどで勉強をしていくうちに、西への移住を強く考えるようになったという。
福島から遠く離れる熊本でも、空間線量は低くはない。毎時0.1μSVを上回ることも珍しくない。だが、「放射性物質による九州の土壌汚染は、関東と比べ物にならないくらい低い。ほとんどゼロに等しい」という専門家の話もある。
「ここにいれば安全な食べ物が手に入る。食物を通した内部被曝の心配が要らないから安心です」
だから、放射性物質を帯びた可能性のある震災がれきの受け入れには断固として反対している。九州の土地までが放射性物質で汚染されてしまったら、自分たちはもとより、福島の子どもたちに安全な食材を送り届けることができなくなってしまうという思いがあるからだ。がれき受け入れ拒否の先には、福島で被曝し続けている子どもたちの未来があるのだ。
「移住をしたことで、友達も仕事も全部捨ててきた。旅行ではないのだから。生活のために働かなければならないし、収入面での不安は大きい。それでも子どもの命には代えられないんです」
涙ながらに話したAさんは、体調も落ち着き職業訓練に通い始めた。
「私が頑張らないと、ね」
【同じ苦労をするなら人として生きたい】
東京都文京区千駄木から6月に移住したBさん(35)は、移住後にマッサージ師の資格を取得した。「自分だけが安全な土地に逃げて良いのだろうか」という心苦しさがあったというBさん。移住に際して、様々な人の支援を受けた経験から、今度は避難してくる母親を手助けしたいのだという。
「母親は、子育てだけでも大変なストレスを抱えています。その上、放射能に対する不安を抱きながら見知らぬ地での生活では心身ともに疲れるでしょう。そういうお母さんたちをマッサージしてあげたいんです」
原発事故直後から、東京では子育てできないのではないかという思いが募っていた。自分自身も喉が痛む。息子の体調も芳しくない。
息子の通う保育園では、放射線量測定を拒否された。
「国が安全と言っているのに、それを否定するようなことはできない」
そこで、元から別の活動をしていたグループでお金を出し合いガイガーカウンターを購入。5月中旬にはマンションの雨どい直下で毎時2.39μSVを計測するに至って、東京を離れることを決意した。
「外遊びをしないとか、様々な制約の中で子育てなんかできません。子どもも親もかわいそう。どうせ同じ苦労をするなら、人として生きたいと考えたのです」
試しに一週間、熊本を訪れてみると、息子の体調が良くなった。すぐに所属していた劇団を辞めた。雇用促進住宅に入居できたのは幸いだった。
移住後は、被災地からの避難者と関東からの移住者に対する行政の対応に差があることに気付いたという。
「東京は安全な場所だと思っているんでしょう。そもそも、そこから何で逃げてきたんだという思いがあるようです。もちろん、それは行政だけで住んでる方々には大変良くしてもらっていますよ」
笑顔が素敵なBさんの周りを、息子が笑顔で走り回っている。
「半年後、一年後の見通しは完全に不透明、漠然とした不安はもちろんあります。でもね、何が何でも家族を養うんだ、という思いがあれば大丈夫です」
(了)