【現地リポート】100日後の福島は今~『防衛』 | 民の声新聞

【現地リポート】100日後の福島は今~『防衛』

福島市内。

信夫山の麓は夏のような暑さのような暑さ。

長袖のシャツでは、少し歩いただけで汗が噴き出して来る。

男性が自宅の外壁にホースで水をかけていた。

だが、決して涼をとるためにやっているのではない。

「除染ですよ。放射性物質で汚れた水は下水処理場に行ってしまうけど、仕方ない。俺なんかもういいけど、うちにも小学校1年生と3年生の孫がいるから」

この男性は最近、ウクライナ製の線量計を約8万円で自費購入。自宅周辺をまめに計っている。

「最近でこそ数値が発表されるようになったけど、最初のうちはただちに影響ないなんて言ってまったく数値を教えてもらえなかった。だから自分で計らないとね。山の中は20~25と値は高い。とても子どもを連れて歩ける状態じゃないよ」

地震直後は断水になり、給水の列に長時間並んだ。

雨も降った。だが、水はどうしても必要。小さな子どもも多数並んでいた。

「あの時、もう少し情報があったら並ばせなかったのに」と悔やむ。

二人の孫は、夏休みを利用して山形県内に疎開することが決まった。

既に行政の斡旋で住宅も確保できている。

「本当は転校したら良いんだろうけど、なかなか難しい」

近所の公園からも学校の校庭からも子どもの歓声は消えた。

安心して歩けなくなった街。

「俺は言いたい。政府は福島県民に被曝者手帳を交付するべきだ」
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自宅を「除染」する男性。2人の孫のためにできることはすべてやる



郡山市内の男性は、小学校に通う娘が肩を落として帰宅した姿に心を痛めていた。

「学校のプールがやっぱり駄目だって。楽しみにしてたんだ。水泳の授業は市の施設でできるようだけど、何だかかわいそうでね」

この小学校は体育館が倒壊してしまいったため、体育の授業は隣接する消防署の会議室を借りて行っている。もちろん、窓は閉めたまま。締め切りの会議室で走り回る様子はまるで拷問だ。

「これだけ蒸し暑いのに、放射能が怖くて窓も開けられない。体調を崩す子どもいると聞いた。いつまでこんな授業をつづけなければならないのか」

父親の心配は増すばかり。

娘の将来の結婚だ。

「仮に東京へ行ったとして、そこで彼氏ができても結婚を断られるんじゃないかと思うとね…」

いっそ、子どもが幼いうちに県外へ引っ越そうかとも考える日々。

「娘が堂々と郡山育ちと言える状況になっているのか、今のうちに引っ越すのが親のつとめなのか。でも、そうはいっても簡単にはいかないんだ」とうつむく。

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児童遊園とは名ばかりになってしまった公園。子どもの姿は無い


米穀店の経営者は、秋を心配する。

「たしかに、風評被害ではなく実害だ。今日も原子力発電所からは放射性物質が出ているんだから。でもこれだけは言わせて欲しい。今店頭に並んでいる米は昨秋収穫分なんだ。安心して食べていただきたい。問題は今秋収穫分なんだよ」

そもそも、田植えが遅れたために、収穫の遅れも当然予想される。

それに加えてどの程度の放射線量が検出されるか想像もつかない。

国の方針も定まっていない現状に「どうなるかまったく分からない。※不足になるかも知れないし、流通させられるのかも分からない。ただ、米は籾殻に覆われているし炊く時に熱処理するから心配無いとは思うんだけれど…」と表情を曇らせる。

同業者の中には福島県産の米を返品された店もあるというが、今のところ目だった損害は出ていないという。

「今の米は大丈夫なんです。それを分かってください」


子どもも稲穂も、大人が心配する中、放射能は降り注ぐ。

一国も早く放出を止めなければならない。