【現地リポート】100日後の福島は今~『爪痕』 | 民の声新聞

【現地リポート】100日後の福島は今~『爪痕』

東京を午前7時に発った東北新幹線が福島県内に入ると、ブルーシートで屋根を覆った住宅が目立つ。

郡山市出身の女性は「ブルーシートのお花畑」と自嘲気味に笑ったが、職人の手配が追いつかなくて屋根瓦の修繕が進まないのだという。昔ながらの民家に似つかわしくない青色が、「復興に向けて歩き出した」なんて表現の空虚さを感じさせた。


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郡山駅から磐越東線で1時間余、いわき市は放射線量の計測数値は高くは無いものの、未だにゆれの爪痕は色濃く残っている。

市役所入り口には大きな亀裂が入り、地面が隆起したのか建物とアスファルトの間に隙間が大きくできている。

行政に「危険」と判定された民家には「建物に傾斜している部分がある」「屋根瓦の落下に注意」などの言葉が並ぶが、主がいる様子はない。手付かずのまま避難しているようだ。

同市では、市内外から3000人が避難所生活を強いられていたが、ようやく1割の300人ほどにまで減った。だが梅雨の蒸し暑い時期を向かえ、真夏もすぐそこ。仮説住宅や行政の斡旋する集合住宅への入居の見通しがまったく立たない人たちを前に、「館長」と呼ばれる責任者は「いつまでもこの状態を続けるわけにいかない。早く自立してもらわなければ」。と表情を曇らせる。地震発生直後から臨時避難所になっている市施設は、未だに段ボール箱で仕切られたスペースで埋め尽くされている。「今でもここに残っている人は、さまざまな事情を抱えている。もう少し行政が親身に相談に乗ってあげても良いんじゃないか。やや杓子定規に対応している印象がある」と館長は話す。

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隆起し亀裂が入ったいわき市役所の入り口付近(上)。行政による応急危険度判定で「危険」と診断された家屋は手付かずのまま(下)


「古い家も新しい家も、みんなやられちゃった。屋根瓦が落ちたり壁が崩れたり…。ほら、あそこの家なんてそのままにしてどこかにひなんしちゃったんだから」

福島市内の住宅街も、ブルシートが目立つ。

「直さなければならない住宅があまりに多くて業者が追いつかない」と市の広報担当者。外見は被害がなくても給水設備や電気系統が完全にダウンしたマンションなど、被害は甚大なものになった。市役所から程近い福島競馬場は貴賓室などが損壊し、夏の開催が中止になった。


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郡山市内の酒店は、一瞬にして店内が酒で海のようになった。

「店の前の通りが砂煙で真っ白になったのよ。ビルの外壁が落ちたと分かったのは後になってから。とにかく長い揺れで怖かったし店の中は滅茶苦茶だし…」

あれから3ヶ月経ち、通りも店内も元通りきれいになった。

「また大きな地震が来たらいけないので」、と瓶を押さえるようにビニールテープが張られている店内。一見するとすっかり傷は癒えているようにも見える。

「でもね」と商店街の女性。

「店や道路は、費用はかかるけれどもお金で直すことはできる。でも、人の心はお金じゃ治せない。あのときの恐怖がまだまだ残っているし、今は放射能という別のストレスもあるから。特に小さいお子さんのいる家庭ではね」

復興はまだまだ緒についたばかり。

これから長い道のりが控えている。


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郡山駅からほど近い地区の地震発生直後の様子。被害は甚大。写真を提供してくれた住民は家屋の週算が終了するまで東京に一時避難している