原発におびえる民の叫びを読め! ~復刊された「住民の訴え」 | 民の声新聞

原発におびえる民の叫びを読め! ~復刊された「住民の訴え」




6年ぶりに復刊されたブックレットがある。

浜岡原発の危険! 住民の訴え

(一般社団法人アクティオ、840円)
電事連非公認 エネルギッシュ怒ーク!


もともとは2005年、「浜岡原発を考える会」代表の伊藤実さん(70)が中心となって刊行されたものだ。

当時の想いを、伊藤さんは「発刊にあたって」でこう綴っている。

 

…浜岡原発1号機が「絶対安全」という掛け声の下で運転を開始したのは、この歴史的事故(筆者注=米・スリーマイル島原発事故)以前の1976年のことである。そしてちょうどその年に、浜岡原発のあるこの地方に東海地震が発生するという学説(同=石橋克彦氏の学説)が発表された。にもかかわらず、大地震の震源域とされるわが町の海岸には5機もの原発が建設されてしまった…

…阪神大震災が勃発した1995年頃、浜岡では5号機増設が計画されていた。多くの住民が建設反対の声を上げ、私たちも「浜岡原発を考える会」を立ち上げ、原発の問題を自分たちと未来の世代のために考える活動を始めた。それでも5剛毅は建設され、私たちの訴えは届けられることはなかった…

…「原発は怖い」という思いは同じであるが、村社会の中ではこのブックレットに登場すること自体に勇気がいるということを、どうか御理解いただきたい…

…このブックレットが多くの人々に読まれ、浜岡原発の1日も早い停止の一助になれば、こんなに嬉しいことはない…


それから6年。

伊藤さんたちの懸念は、遠く東北の地で現実のものとなってしまう。

津波はおろか、地震の一撃でメルトダウンに至っていた原子炉からは、

今日も高濃度の放射線が漏れている。

その中、浜岡原発(静岡県御前崎市)に世界の注目が集まる。

広瀬隆氏は、4月下旬に都内で開かれた講演で「東海地震はいま、この瞬間に起きても不思議じゃない。間違いなく起きる。そのときは浜岡原発は終わり。そうなったら日本は終わりですよ、皆さん分かってますか。子供たちのために絶対に止めましょう。一人一人が動いて変えるしかないんですよ」と訴えている。

掛川市に住む戸倉由紀枝さんも、危機感を募らせた一人だった。

戸倉さんは電子署名サイト「STOP!浜岡原発」 の代表を務めるが、その活動の中で伊藤さんと知り合い、復刊を後押しした。

復刊本の中で、戸倉さんは浜岡原発に関する自身の危機感の高まりについて、こう記している。


…夫も私も3月15日まで、浜岡原発について深く考えたことなどありませんでした。3月11日に東日本大地震が発生し、3月12日に福島第一原発で水素爆発が起きても、浜岡原発のことは心配していませんでした。ところが、3月15日に静岡県東部でマグニチュート6.4の地震が発生し、私たち夫婦は、浜岡原発のことが心配になり始めたのです…

…掛川市で生まれた夫は、東海地震も浜岡原発のことも知っています。しかし、東海地震が起きると言われて30年、東海地震に対する意識は薄れていました。東日本大地震は、薄れていた東海地震と浜岡原発の存在を呼び起こしてくれたのです…

…これまで、原発の危険性を訴えている人たちのことを、「自分とは違う過激で大袈裟な人たち」という勝手なイメージを抱いていました。しかし、私が出会った人たちに、過激で暴力的な人はいませんでした。今私は長年原発の危険性を訴えられてきた方たちに対し、尊敬と感謝の念を抱いています…


かくして、戸倉さんたちの熱意が伊藤さんを動かし、6年ぶりの復刊は実現した。

表紙の絵は、画家で脱原発運動に力を入れている増山麗奈 さんが描いた。この絵は、電子署名サイトでも使われている。

ブックレットでは、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんが専門家の立場から浜岡原発の危険性を解説しているほか、伊藤さんら原発周辺に暮らす人々が、なぜ原発に反対するのか思い思いに綴っている。

その一人、嶋橋美智子さんは1991年、同原発で働き被爆した息子を29歳という若さで失っている。死因は白血病。「私は息子達被曝労働者の救済だけを訴えているのではありません。付近の住民、一般の住民も事故がおきれば同じことが起きるのです、と訴え続けていかなければならないのです」。母の願いは重い。


伊藤さんは、精力的に講演会に出向き「浜岡」の危険性を訴えている。

時の町長に「学生時代、ゲバ棒を振るっていた共産党員だった」とデマまで流布されたという伊藤さん。有形無形の圧力にも屈せず、中電の株主総会にも出席した。

「原子炉は20年もつと言う。それが30年、40年と延びていく。地元には嘘のつき通し」と憤る。

金で懐柔しようとする中電。

そこにタカル地元住民もいる。

「飲ます食わすは当たり前。旅行があると聞けば50~60万円の寄付を出す。タカって飲まされてモノを言えなくなる。原発反対で当選した議員ですら、2ヶ月もすれば推進派に変わってしまう」(伊藤さん)

ひとまず停止した浜岡。

「しかし、これで終わったわけではない」と、伊藤さんは「復刊にあたって」で書いている。

「完成まで2~3年かかる高さ15mの防潮堤を作らせてはならない。それが完成すればまた原発の再開が取りざたされる懸念が残るからだ」


目指すのは、ドイツのような、政府による「脱原発宣言」だ。


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(6/3文科省で母親たちと一緒に要望書を手渡した戸倉さん。

伊藤さんたちの活動に敬意を払う1人)


【参考】

全面停止 中電、5号機も完了(5/15 07:25)


 中部電力は14日、浜岡原発(御前崎市佐倉)5号機の原子炉を停止したと発表した。定期検査中の3号機と13日の4号機に続いて、運転可能な3基(合計出力約360万キロワット)全てが止まり、政府の要請を受けた異例の全面停止が完了した。1、2号機は廃止措置中。
 中電によると、5号機は14日午前1時20分から停止操作に入った。徐々に制御棒を挿入して出力を落とし、午前10時15分に発電を停止した。午後1時に全ての制御棒の挿入を終え、原子炉の核分裂反応を完全に止めた。
 原子炉の冷却水の温度が100度未満の「冷温停止」状態は発電停止から1日程度かかるため、5号機の冷温停止は15日午前の見通し。4号機は13日午後11時45分に冷温停止となった。
 中電は供給力全体の1割超を失う中、電力需要が高まる夏場に向けて、火力発電の増強や節電要請で乗り切る方針。浜岡原発については、2~3年をめどに防潮堤の設置など中長期の津波対策を完了した後、地元の理解を得て直ちに再開したい意向を示している。
 浜岡原発の全面停止は2010年11月以来。09年8月に発生した駿河湾を震源とした最大震度6弱の地震でも全面停止したが、今回のような長期を想定した全面停止は異例。中電は原子炉内の燃料を含めた保全計画について「原子炉施設保安規定に基づいて定期的に点検を実施していく。具体的な内容は調整中」(広報担当者)としている。
 浜岡原発をめぐっては菅直人首相が6日夜、中電に浜岡原発の全原子炉の停止を要請し、中電は9日に政府の要請受け入れを決めた。
(静岡新聞社)

電事連非公認 エネルギッシュ怒ーク!
(浜岡原発の全景~中部電力より)