【20mSv/年の即時撤回を】放射能から子どもを守りたい~霞ヶ関で声をあげた母たちの願い | 民の声新聞

【20mSv/年の即時撤回を】放射能から子どもを守りたい~霞ヶ関で声をあげた母たちの願い

誰もが涙を流さずにはいられなかった。子どもを守りたい。命を大切にしたい。「いのちを守るお母さん全国ネットワーク」の活動に賛同する母親たちが3日、霞が関で声を上げた。経産省や厚労省、文科省を直接回り、要望書を届けたのは約20人のお母さんたち。エプロンをつけ、ひまわり花を手に応対した職員に訴えた。「子どもを守って!」


【6項目の実行を求める】
 要望点は主に以下の通り。
①高木義明文科大臣との面会
②学校の許容放射線量20msvの即時撤回
③国と電力会社の費用負担による集団学童疎開の実施
④自主避難した家庭への経済支援
⑤フィルター付エアコンの校舎への設置
⑥学校給食の食材産地に関する情報公開とお弁当との選択制の実施

 「今日は行政交渉ではないから回答はないし、文書を渡したからといって急に事態が動くわけではない」と、今回のアクションを準備してきた戸倉由紀枝さんは話す。戸倉さんは同ネットワークの中心人物だが、母親たちの想いが役所に届くよう現場が混乱して中止にならないよう腐心していた。
 その甲斐あってか、最後に訪れた文科省では六人の職員が応対して訴えに耳を傾けた。参加した母親たちも「私たちは微力だが無力ではない」「くじけそうになるが、活動をやめてしまったら良い方向への動きも止まってしまう」と力強く語った。



【わが子連れ福島から離れた親たち】
 被災地・福島県から参加したのは妊婦を含む5人。
 須賀川市に住むAさん(31)は、1歳5ヶ月の息子を連れて実家のある横浜に移住することに決めた。福島で機械系の仕事をしている夫(32)は、息子の安全を第一に考え退職を決意した。
 「移住はギャンブルのようなもので不安だらけ」というAさん。「我が子を守れるのは親しかいない。私たちが決断してあげなければ」。近く住まいを探すが、収入のあてはない。
 郡山市で子ども向けの英会話教室を開いていたBさんは、震災で廃業を余儀なくされ、3歳の息子、カナダ人の夫と共に都内の実家に身を寄せている。再就職もままならず、収入はゼロ。「でも、30年後に息子が癌になったら詫びのしようもない」とBさん。やはり郡山市から参加したCさん(30)は妊娠8ヶ月。悩んだ末、2歳の息子を連れ都内の実家に避難することにした。
 「夫の仕事の都合で移住はできない。この先、暮らしはどうなっていくのか不安でならない」
 いま、この瞬間にも降り注いでいる放射性物質への不安、将来への不安…。母親たちに共通するのはぬぐいされない不安だ。


【会見では「いくら欲しい?」の質問も】

 避難や移住には、関東の人間には分からないしがらみが立ちはだかるという。そして、避難できる人とできない人との間に格差が生じる。
 戸倉さんが解説する。「同じ家族内でも温度差があります。心配しすぎだと責められるお母さんは本当にツラい。東京での活動に参加するなんて難しい。ましてや移住なんて」。避難するなら、故郷を捨てたつもりで二度と戻ってくるな、と親に言われた人も。
 隣近所の目もある。避難できない人からは妬む声が届く。金銭的にも大変だ。文科省で開かれた記者会見では、記者から「経済的支援というが、いくら欲しいのか」と質問が出たが「お金の問題ではないんです。仕事があれば生活できる。雇用をお願いしたい」と母親の一人は訴えた。
 アクション後の交流会でも「避難したくてもできない人をどうするか」「避難できるのは金銭的にも余裕のある人だ」などの声が上がった。
「未来を生きる子どもたちのために。いま守るべきものは何なのか、社会全体で考えてほしい」
 この日は、女子大生で浜岡原発に反対する活動に取り組んでいる関口詩織さん(18)も参加。故郷・名古屋の母親たちのメッセージを代読した。
「私も将来、子どもを産みたいです」と涙を流した関口さん。「今の状況がどうしても受け入れられない。周りは決して関心が高くなく、もどかしい」と話す。

母親たちの闘いは始まったばかり。
文科大臣との面会を果たされるのか。
文科省の職員に、戸倉さんは力強く言った。
「日程の調整ができたら連絡くださいね。待ってますよ」

母親たちを束ねた戸倉さん

(了)