●矢平山 2014年4月27日(日) 快晴
山梨県上野原市 矢平山(862m)
<参考コースタイム>
JR中央線四方津駅→(1時間50分)御座敷の松(道路出会)→(15分)新大地→(15分)旧大地→(20分)矢平山頂→(40分)寺下峠→(1時間)登山道入口→(25分)梁川駅
<参考歩行時間>4時間45分
矢平山は、中央線四方津(しおつ)駅と梁川(やながわ)駅の中間の南側に位置する低山(860m)。
西に秀麗富岳十二景の「倉岳山(990m」と、東に「高柄山(733m)」に挟まれ、富士山の展望地でもない地味な山だが、この季節、新緑に包まれた静かな山稜歩きを楽しむことにした。あわよくば名前の知らない山野草の一つでも覚えられたら、という期待もある。
山頂までは駅から直接徒歩で登れるが、バスで反対側(山の北側)に回って山頂を目指す方法もある。その場合は、上野原駅から無生野(むしょうの)行きバスで40分ほどかかるが、山行時間は大幅に短縮できるので、このコースを選ぶ登山者も多いようだ。
四方津駅の駅頭に降り立ったのは、午前8時半頃。登山姿のパーティは自分(単独行)を含めてわずか3組ほどか。地味な山とはいえ、連休前半の登山日和にしてはあまりに登山客が少ないのは拍子抜け。
駅前の指導標に沿って、緩やかな傾斜の舗道を歩いて行くと、いつにまにか川合集落 が眼下に見えてくる。
新緑包まれたこの里山の景色がいい。
集落で会った小さな女の子二人が、すれ違いざま「おはようございます」と丁寧に挨拶をして行った。
心豊かな土地柄なのだろう。村のはずれには、まだ新しい薬師堂もある。
要所要所に建てられた標識を見ながら、里山の景色に見とれて歩を進めていると、樹齢100年を超えていそうな立派な杉の大木がある神社に出た。傍らの農家の人に立派な神社ですねえ、と声をかけてみた。扁額には「正一位犬嶋大明神」と書いてある。
別れ際、念のために大地峠はこの道で良いのかと尋ねると、反対側の道を指さして、あの道だという。慌てて地図を拡げて見ると、いつの間にか分岐点を過ぎてしまったようだ。
因みに、「山と高原地図(」昭文社)には、「大嶋神社」と記しているが、正しくは「犬嶋神社」の間違い。
5分ほど後戻りして、しばらく行くと農道と別れ、いよいよ登山道になる。
ちょうどこの分岐に大きな三脚を据えたカメラマンが二人いて、眼下を走る中央線の列車を狙っている。いわゆる「撮り鉄」と呼ばれる鉄道ファンで、レンズの先には小さな赤い梁川の鉄橋が見えている。
今日は、メンバーの都合で単独行。
山道に差しかかると、さすがにクマが出る季節とあって、やはり不安な気持ちになる。案の状、標識に「この付近に熊出没 要注意」と書いてある。ここで、休みがてらザックを下ろして、熊除けにカウベルを付けた。
新緑の山には、カエデの木が多いようだ。秋にはこれらの樹木が紅葉して、さぞ山を彩ってくれるだろう。想像するだけでも楽しくなってくる。
足元には、スミレや黄色い可憐な花弁を付けたヘビイチゴ、ミヤマキケマン(深山黄華鬘)の小群落やキランソウも咲いている。
ミヤマキケマン キランソウ
ヘビイチゴの小群落
本日名前を一つ覚えたのが、淡い紫色の「イカリ草」。事前に予習をしてこの花の名前は知ってはいたが、実際見ても「錨⚓」の形にはどう見ても分からない。清楚な花の割に、いかつい名前で不釣り合いだ。
ヒトリシズカ ツクバネウツギ
今日初めて、山ツツジを見た。この花木はもう少し暖かくなってからだと思っていたが、高度を稼ぐに従って、山ツツジの数が増えてきた。
かなりの群落だが、まだ半分は蕾の状態だから、一斉に満開を迎えたら、山道は真っ赤に染まることだろう。
登山」道は、しっかりした踏み跡があり、切通しもあって”古道”の風格が漂っている。
それもそのはずで、この道はかつて甲州街道と道志秋山の集落をつなぐ生活道だったらしい。
川合の集落から、1時間ほど歩いたところに、ひっそりと馬頭観音像が佇んでいる。
観音像の傍らに「寛政6年」(1794年)と年号が彫ってある。いまからちょうど220年前になる。
馬頭観音からしばらく山道を上り詰めると、足元に桜の花びらが目につくようになった。
次第にその数が増え、やがて柔らかな風に乗って、ささやかな「桜吹雪」になった。
遠く見上げると、なんと高々とした梢には、山桜が満開の花をつけている。
まさか東京にほど近い低山で、この時期、満開の桜に出会えるとは予想もしない感動の景色!
景色といえば、途中、二人目の登山者に会った。登山者といっても麓で会ったカメラマンと同じで、数百ミリの望遠レンズをつけて麓に向けている。
はじめは野鳥の写真撮影かと思っていたが、狙いは中央線の列車だという。
森の中に、ほんのわずか垣間見える鉄橋を列車が通過する。
肉眼ではほとんど確認できない小さな線路。
”撮り鉄”マニア恐るべし!
しばらくなだらか道を辿ると、突然崩落した個所があって、安全のためにロープが貼ってある。傍らに滑落死した登山者に宛てた手書きの碑文板があった。
崩落個所
駅から歩き始めて1時間45分後の10時45分、秋山山稜を縦断する大地(おおち)と呼ばれる道路の出会いに出た。未開通の道路で、見晴らしがいい。
その場所でなんと、ほんのわずかだが、真っ白な富士山が垣間見えた。
ガイドブックには、富士山が見られるとの記載がないので、ここでも予想外の景観を得た。
出会いで、数人の人が、山道の下草を刈ったり、樹木の手入れをしている。
川合集落の住民がボランティアで、信玄ゆかりの「御座敷の松」を守っているらしい。
といっても謂れのある松は既になく、若松を植えて保護しているらしい。
古い山の本には、この「御座敷の松」が記載されている。
ここからしばらく進むと、道路を横切る場所に出て、さらに道なりに進むと、「大丸・高柄山」と「大地」に向かう分岐に出る。
矢平山に向かうには、「大地」への道を取る。
ここから新大地峠を経て、旧大地峠に向かう。
旧大地峠
大地峠からは、松林の最後の急坂に取り付くことになる。
途中相変わらず、「熊出没注意」の看板があり、とうとうこの坂道で大きな熊の糞を見た。だいぶ乾燥しているが、熊の縄張りに踏み入ったようだ。
前後を含めて登山者とは一人も出会わない。
旧大地峠から20分ほど経った11時50分、駅から歩いて2時間50分後、ようやく矢平山頂の着。
山頂は名前のごとく平地だが、全く展望は効かない。
そもそも矢平山は「大地山」と呼ばれ、矢平山は「ヤタロ」あるいは「ヤタイロ」に由来するという。
山頂には既に一組の登山者がいて、その後反対側から2組のカップルが次々に登ってきただけ。
本日の登山者は、これまで出会った数を足しても10数人くらいらしい。
ここで昼食をとり、その後は、北麓の寺下峠を越えて、中央線の梁川駅に降ることになっている。ガイドブックによると2時間20分の行程になる。
山頂からはかなりの急坂で、岩の露出した場所もあり気が抜けない。下から登って来る登山者にはかなりしんどい登りだろう。
10分ほど下ったところで、立野峠からトヤ山、舟山の尾根筋を登ってきた登山者とすれ違った。
矢平山を経て高柄山に向かう予定だったらしいが、この急坂で高柄山は諦めるという。
ここで出会った登山者が本日、最後の登山者になるとは、その時思わなかった。
急坂を下って、寺下峠で道は4分する。峠をそのまま進めば、舟山、トヤ山などの尾根筋に沿って倉岳方面に続く。
本日はこの峠を右に折れて、長くて狭い谷筋を辿ることになる。
分岐からしばらく降ると、後方に今登ってきた矢平の特徴ある山並みが見えてきた。
山風だろうか、風が強くなった。
ブナやカヤの緑まば眩い林を抜けると、道は狭まり、やがてかなりザレタ崩落地が続くようになった。
ロープが張ってあるが、バランスを崩すと危ない場所もある。
崩落地を抜けると、今度は狭くて暗いヒノキの谷筋に出る。
その深い谷の底に、季節外れの雪がたっぷり残っている。
今年の冬、山梨は120年ぶりの大雪をもたらしたが、その残骸がいまだこの谷筋を覆っていたのだ。
遠目からでも、雪の厚さが見てとれ、一部クレバス状になっている。
さっきすれ違った登山者が、北面の谷に残雪があると言っていたのを思い出した。
雪で道が荒れたせいか、ところどころ道が途切れて分からなくなる個所がある。何度が行きつ戻りつしながら、取水用のゴム管のある場所に出た。
ここから思いのほか塩瀬の集落までは時間がかり、寺下峠から舗装道路まではおよそ50分ほど歩いたことになる。
道路に寺沢峠入口と書かれた標識があり、道路に出ると、桂川の対岸に中央自動車道が見える。
塩瀬大橋から下を見下ろすと、ちょっと腰が引けてくるほど谷が深い。
石を投げてから水面に着くまで、煙草一服できるというたとえがあるが、そんな話を信じたくなる深さだ。
大橋を渡ると、桜の原種といわれる、満開の上溝桜が風にゆっくりと吹かれていた。
上溝(うわみぞ)桜
本日は、温泉に浸からず、中央線の梁川駅から終点の高尾に下車。
いつもの駅前の居酒屋で晩酌セットの生ビールでのどを潤し、早々と店じまいして、一路家路に!
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