妻の分まで生きる。
僕はよくそう言います。
それは、妻が「生き残した寿命」、まっとうするはずだった寿命を、僕が引き継いで生きることを意味しています。
妻の「生きざま」は、手本にできても、マネできるものではありません。
僕のように卑しくなく、理知的で、誰にも優しく振舞い、いつも心穏やかで。。
僕と正反対です。
僕の最大の欠点は育ちからくる卑しさ、です。
ですから彼女のように,僕が生きることは無理でしょう。
でも、僕は間違いなくあの日、彼女の人生を受け継いだのです。
本当はもう何年かは生きるはずだった人生を、僕にバトンタッチされたからです。
妻の「分」とは、「生きたはずの年月」、寿命です。
生きざまではありません。
そうありたいと思いますが、たぶんムリです。
でも、間違いなく人生は受け継ぎました。
「生き方はお父さんらしく」でいいよ、と妻は言っていると思います。
でも、妻のように生きていけたら、とも思います。
いつもお手本でしたから。
これからの人生を、妻の残した分まで生きていく。
当初は(今でも時々は思いますが)、妻のもとへ早く行きたいという気持ちに苛まれました。
楽しみも喜びも何にもありませんから。
そして悪いこと、悔やむことばかり思い出します。
楽しかったことや笑顔は思い出さず、泣き顔ばかりなんです。
テニスの帰りでも、「ごめんね、僕だけこうやって健康に遊べて。お母さんもテニス大好きやったのに」
そう思うと涙ぐみます。
でも思ったんです。
妻はそんな僕は嫌いだろうと。
ジメジメ、イジイジ。。。
「もっと開き直ってよ」
「私はいつも傍にいる。だから人生を楽しんで。
やけになったりしないで、これからも私と一緒に歩んでいこうね」
と言っているだろうと。
そしていつの日か、「もうこっちにおいで」と呼んでくれるまで、妻が生き残した人生を歩む。
この家で、この土地で。
エッセイを書くと、こういう心境になるんです。
今日はお許しください。
2作品書き上げました。