前回は2月22日で、お母さんの四十九日の前々日でした。
僕のIPMN(Intraductal Papillary Mucinous Neoplasm)と言われる膵管内乳頭粘液性腫瘍、つまりガン化はしていない腫瘍の造影MRI検査結果の日です。
前回は、妻が逝って1ケ月しかたたず、絶望と後悔に打ちひしがれていた時期でした。
でも、今回は漸く少し落ち着いて日々を過ごし始めたところです。
娘は辞職の悩みを打ち明けて相談してくれました。
そして、東京で暮らす長男一家に二人目の子ができた知らせもありました。
それも、今日の検診では「女の子らしい」と嫁から連絡が来ました。
なら、妻の生れ代わりです。
そんな日々なので、先日仏前に「もう少し生きてもいいね」と報告しました。
でも先週末のMRI検査日から、「検査結果は、お母さんにお任せします」と頼み始めました。
前回は前々回より腫瘍が大きくなっていましたから。
あの日。病室で「泊ってほしい」と言った妻。
「うん、泊まったるよ」
「明日も?」 「うん」
「明後日も」 「うん」
「死ぬまでず~~~っと?」
そう、僕に聞いた妻。
「死んでもや!」
「夫婦なんやから」
そう答えた僕。
何も言わずニッコリ笑った妻。それが最後の会話だったかもしれません。
あの瞬間に、僕は妻が「この人といつまでも一緒なんや」と思ってくれたと感じました。
だから夫婦位牌を作りました。
だから、いま妻が「きてほしい」と言えば、いつでも傍に行く覚悟はできています。
ジタバタしません。
腫瘍マーカーが上昇していれば、妻がお世話になった病院でセカオピは聞きますが、オペなどしません。
せいぜい抗がん剤です。
実は仏前で毎朝、心経を唱え終え、妻に語り掛けるんです。
「今日も子供らや孫の傍で見守ってやってな。お父さんは大丈夫やから」
そう言うと、必ず背中がゾクッとするんです。
本当です。
試しに、何も言わず心で語り掛けると、何も起こりません。
自分自身の条件反射かもしれませんが、妻がここにいると実感しているつもりです。
それで一日が始まります。
明日の朝は九時に大学病院です。
もう十年を超えました。
だから僕の方が先に逝く予定だったんです!