父と娘(Ⅱ)交差した人生から別々に | 伴に歩んで

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ガンと闘った老夫婦の人生日記です。

僕も52歳で入社した会社でしたが、社長は長年の知人で(彼は友人と言うが)で、互いの性格も能力も知っていました。

そんな社長が、3月の末近く、「穂高君、君の娘は就職決まったのか?」と聞きました。

それまでよく聞かれていましたが「何だったら、うちへ入れろよ」とときどき言われていました。

いえ、まだですと答えると「君さえよかったら、うちへ入れたらええやんか」と言ってくれました。

自分からは言えませんでしたが、卒業式も終え、密かに社長に頼んでみようか、と思い始めていたことも事実です。

但し、僕がいたのは社長や営業本部のある、府下のĀ市。

入れるなら経理部か総務部で、それはB市。

別の勤務地、別社屋です。

 

本人に聞くと、飛び上がって喜びました。

皆さんの娘さんならどういうリアクションをするでしょうか?

うちの娘は「お父さんと一緒の会社?そんなん、いややわ」とは言いませんでした。

しかも、経理は希望していませんでした。

でも、とりあえず就職が決まったことが嬉しかったようです。

 

そこで僕は「じゃあ、社長にお願いしてやる。でもお父さんの条件がある」と切り出しました。

 

1.父より先に辞めないこと。

2.自分の身は自分で守ること。社内では他人。

3.総務部なら、将来は社会保険労務士を目指すこと、経理部なら最低でも3年以内に日商簿記検定の2級を取得すること。

 

3.は、娘が結婚したくないと、言い始めたときから考えていたことです。

「いいか、もし一人で生きていくなら、何らかの資格を取っておいたほうがいい。

今回、せっかく経理や総務をやるなら、仕事とは別に、資格の目標を持ちなさい。その上で仕事で実務経験を積めば、どこででも生きていける。資格だけでもダメ、実務経験だけでもダメだ」

面接をする側の僕はそうアドバイスしました。

妻も喜んでいました。

 

そんな経緯で、いきなり社長に面接をお願いし、僕の勤務する会社の入社式、4月1日直前に入社が決まりました。

所属は経理部・経理課でした。

その翌週末から、娘の簿記学校通いが始まりました。

もちろん、課内は簿記有資格者だらけです。ですから僕が言わなくても、そうなったのかもしれません。

同時に、転属になった経理部の新任部長も、部内では内緒で娘と同じ学校に行き始めました。

そういう僕も3級は持っています。(^^♪

(追記:優秀な方、あるいはそのお子さんなら、こんな目標ぐらいでいいの?と、言われるかもしれませんが、僕たちは親子とも劣等生でした。ですから分相応でこんなものなんです。)

 

そして3級をパスし、2級は1度落ちて悔し涙を流していましたが、3年目には合格しました。

妻も僕も、思い切りほめてやりました。

結果ではありません。頑張ったことをです。

本人も、勉強で初めて褒められたことと、土日をすべて返上してがんばったことで自信がついたようです。

同時に通いだした部長さんは、3級も取れずに1年ほどでギブアップしました。

 

それから9年後、妻の看護のために僕が先に退社し、翌年、娘が辞表を出しました。

というのも、この会社は給料が安く、しかも残業が多いのです。

この会社にいて、一生を過ごすことは僕も反対でした。

でも、9年もいたら、会社にとって娘は大きな戦力、手放せない人材になっていました。

年商100億円の会社で、その仕入先への支払いを担当したり、逆に入金の債券管理をしたり、決算書類を作ったり、僕と一緒に契約書を作ったりしていました。

これらが実務経験なんです。学校では教えてくれません。

 

好意で入社させていただき、資格と実務の両方をマスターさせてもらった会社には、感謝しています。

しかし、半年前から僕のアドバイスを受けて退職準備し、申し入れ、もし強引に引き留めるなら「父がお願いに参ります」とまで言う覚悟で臨み、退職理由を把握していない社長に説得されましたが、娘一人で無事退社交渉できました。

そしてハローワークで就活を始めると、資料を送った複数社が面接時には「明日から来てほしい」と言われたそうです。

できれば、ひとりで生活できる報酬と、通勤に便利で、前向きな社風の会社。

僕も、公開会社なら決算書を読んだりして選定に協力し、候補を絞り、現在勤めている大阪のど真ん中の会社の経理部へ行き始めました。

上場企業の系列で、カタカナの社名の若い人の多い会社。

特定時期以外は残業もありません。

ビジネス英語は必須でしたが、それもクリアしたようです。

入社して半年後のボーナスが、10年近くいた会社の最期のボーナスより多かった、と驚いたそうです。

妻が一番喜んでいました。

「これで、独りでも心配は少ない」

もちろん、彼女の人生、或いは今の会社も今後どうなるかわかりません。

でも、親が手を貸せる範囲で協力し、与えた条件を守り、宿題をこなし、自信を持った娘を、僕も誇りに思い、羨ましくも感じています。

 

「穂高さんの娘さん」

僕は役員になり部長職でしたから、そういう目で見られていた娘も息苦しかったでしょう。

でもそれを乗り越えて、もう親のおかげと言われない、自分で選んだ職場でがんばっています。

即戦力となったようです。

しかし家では、もう共通の話題はありません。

寂しいですが、やっと普通の家庭のようになりました。

妻がいた去年まででしたが。

 

わが娘の成長と、僕とのかかわり方を長々と書きました。

アホで、妻に迷惑ばかりかけていた僕。

でも、このことに関しては、妻は僕を大いに信頼してくれていました。

いい思い出をひとつ、書き残したかったのです。

読んでいただきありがとうございました。

(終わり)