さあ、今日が始まった。 | 伴に歩んで

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ガンと闘った老夫婦の人生日記です。

今日の妻はまた最悪でした。

昼ご飯は、冷そうめんを談話室のレンジでチンし、食べさせると椀に半分も食べてくれました。

でも、その後リバース。

主治医が来たので「どうして、こう嘔吐するんですか」と聞くと、正直に「わからない」だと。

詰まっていることはないようだ。これからは胆汁の分泌を抑える薬を投与すると言われました。

食欲が少しあるのが救いだとも。

そうです、昨日も息子のお土産の東京バナナを欲しがって、半切れ食べました。

ぜんぶ吐きましたが。

 

僕たちはこの先生を信じていますので、「お任せします」としかいいようがありません。

一日、背中や足をさすり、ストマ交換をやらせてもらい、シャワー後の妻を拭きあげ、下着やパジャマを付けさせると、へとへとになりました。

特に下半身の着替えは象の足になっている関係で、自分では無理なんです。

帰りには気分の悪さでベッドにうずくまる妻を残して、後ろ髪を引かれる思いで帰りました。

20時ごろ電話すると電話に出ません。

いつも朝、電話するのですが今朝も出ません。

だから、家事を放り出して早く出ようとすると、比較的元気な声で電話が来ました。

思わず声を詰まらせると、「しっかりして」と明るい声。

「もうしゃあないやん」と、妻。

「お母さんが仕方ないと受け入れているんやから」

しゃあないで納得できたら苦労はしません。

覚悟もできています。

でも、それとは違う、どういえばいいんでしょうか、「後悔」という自責の感情に負けているんです。

子供の前では絶対に涙は見せませんが、妻にはだめです。

「お昼のにゅう麺を楽しみにしているからね」

ゆっくりですがそう言って先ほど電話が切れました。

ほっとして、家事を続けて終われば、駆け付けます。

 

 

無くす前は、無くなるなんて誰も想像していない。

でも、形あるものはいずれ無くなる。

その「いずれ」が10年先かもしれないし、明日かもしれない。

明日ではないと、誰も言い切れない。

だから後悔するような愚かな今日を送ってはいけないんだ。

明日がある、なんてのはダメ、今日が問題だと僕は思う。

つくづくそう思う。