伴に歩んで

伴に歩んで

ガンと闘った老夫婦の人生日記です。

5年間で5度のS状結腸がんのオぺを経験した最愛の妻に、この亭主が寄り添い、 1日1日の幸せを噛み締めながら、大切に歩んだ闘病の軌跡と、その後の生活や趣味のエッセイのことを書いています。 


 

再発を繰り返し、最後は多くの臓器に転移してしまった妻。延命治療はしないでほしい、という意志を若い主治医は尊重してくれ、痛みを抑える強い薬で、2019年1月16日に64年の短い生涯を終えました。

 逝くのは怖くない、ただ痛みが嫌なだけ、と言い続けた妻でした。粛々と自分の現実と運命を受け止めていました。

「まっすぐで意志の強い人だった」。主治医は妻をそう表現し、僕以上に妻に寄り添ってくれました。


2021年春、この若い主治医と妻との信頼を書いた僕のエッセイが、読売新聞社と日本医師会主催のコンテスト「生命を見つめて」で、審査員特別賞を頂きました。(右下)妻も喜んでくれていると思います。


また闘病記事はブログから製本し、大切に持っています。 
 

久し振り。

先日、いつもの産経新聞に僕のエッセイが載った。

入院前日、退院した時の楽しみにと、投函しておいた作品だ。

親友のために書いた。

2か月たって、載った。

 

1

 

 

「書けない」

 

 親友から久しぶりに手紙がきた。

 いつも礼儀正しい手書きの封書だ。オレはネットもラインもしないから、と笑ったハンサムな顔が浮かぶ。相変わらず文体も漢字も几帳面な友だ。

 高校へ入学してすぐ友人になったが、彼は在学中に遠くへ転校してしまった。3年後、卒業したばかりの頃に一度会い、次に会ったのは確か定年前。初めて一緒に屋台で酒を飲んだ。

 もうお互いに後期高齢者となった今回の手紙には「一昨年の難病手術の後、自宅の階段から落ちて3カ所も骨折した。君も無理せずに注意しろよ」と書いてある。私は近々、持病の手術を受けると電話で知らせたからだ。

 彼への返事を書こうとして絶句した。少し複雑な漢字の筆順が全く思い出せない。恥ずかしいが、「農」がどうしても書けなかった。意識するとますます書けない。

 こんなはずではと焦る。思えばもう二十数年、パソコンに頼りっぱなしだった。新聞は毎朝読んでいる。だが字を書くことはほとんどない。

 反省し、今から練習して、彼に手術結果を報告しようと思い、漢字練習帳を買った。彼には「後日、術後の近況を知らせる」とだけのはがきを送った。

 そこにネットもスマホもいじらない親友が羨ましい自分がいた。

 

 

ソフトボールチームで1番打者の彼。

僕は2番だった。

文学をかたりあったことも。

 

濃密な高校3年間を過ごし、離れ離れになったあの日。

 

それから今日まで、2回しか会っていないが、何の違和感もなく当時に戻れる。

長生きしろよ、とは言わないが、元気でな、とは言った。

 

彼は高知に住んでる僕の親友。