えっ、トモコが結婚・・・?
なぜ、あんなに驚嘆したのだろう。
心を病んで、もう一度幸せになりたいとばかりに新しい出会いを求めて未来に羽根を羽ばたかせた。
再婚こそが、自分という名の最終楽章だと、元芸術家らしい表現を用いて、私を唸らせた彼女です。
しかし、病み上がりというか、まだ寛解していない精神状態と、もって生まれた婚姻不適格のような性格が邪魔をしていたはずだ。
男を沼に溺れさせるような、小説にも登場してくるような悪女の原型を感じていた私です。
ただ、本当の悪女というのは一見そうだとは気づかせない本能的怜悧さが伴っているものかしれませんが、トモコの場合、そういう怜悧さがなかった。
過激な純情、数奇な運命、私は彼女のオーラにそういうものを見ていたわけで、だからどこかで憎めないところもあったのだと思います。
確かに、トモコは艶麗で色気があったし、甘えるような黒い瞳に端正な顔立ちは、黙っていさえすれば、多くの男を魅了する才能があったともいえます。
しかし、その晩、陳さんから聞かされたトモコの再婚話というものには、彼女らしいと苦笑の感想を抱くと同時になんだか気の毒になったのです。
トモコは、最近、陳さんと陳さんの友人である税理士の先生二人に、自分は再婚することになったという内容のメールを寄越してきたそうです。
その内容をまとめると、こんな風になります。
以前、トモコが働いていたお店の熱心な指名客がその相手だそうで、これは絶対にウエディングヘルス嬢時代のことを言っているはずと思いました。
彼女は離婚を決意し、精神病院を退院する頃、私だけではなく、色々な男性に再会のメールを発信していたようです。
新しい出会いを考えると、昔、バイオリンのコンクールにおいて舞台袖で待っていた時のことを思い出すなんて言っていたものです。
相手の男性は個人で輸入業を経営する青年実業家だとのことですが、歳の頃は40代半ば。
トモコの勤める風俗店に通っていた頃は羽振りがよかったものの、最近では取引会社との間で金銭トラブルが生じ、それを避けるために、東南アジアのラオスに一時身を置くことになったという。
トモコもまた年が明けてしばらくしたら、一緒にラオスに旅立つという。
それだけ聞いて、なんだか暗澹たる気分になったのは、すぐにその男性、着服か何かで日本にいられなくなったのだろうと想像できたからです。
ラオスでコンビニエンスストアーをやる、彼の話だと日本円で500万円もあれば十分だと、トモコは言っていたそうですが、そんな呑気な時代はとっくに終わっていることに気づかないのか。
地獄に落ちても悔いはない・・・。
これは国をまたいだ逃避行だと、私は思ったのです。
入籍は先の話になるようで、しばらくはラオス近辺で二人甘い愛の世界を楽しむといっていたそうです。
「なんともはや・・・。」
唖然とする私に、陳さんも難しい顔を崩しません。
「いくら美人でも、気が強すぎて常識がなさすぎるのとは、エッチするのも嫌だね。」
同然の私です。
しかし、一年にも満たない間に、離婚、精神病院退院、銀座のクラブホステス、ママとの争い、レイプ未遂、逃避行と、よくもまあ次から次へと醜聞を巻き起こせるものだな、妙な行動力に感心する気もした私でした。
「俺も散々に怖ろしい目にあったしさ、もう彼女の話をするのは止めにしようや。」
「そうですね、根はそんなに悪い女でもないとは思うのですがね・・・。」
「あれは、人食い女だよ。」
それから、陳さんは北京語契約書における信義則の問題に話題を変え、私たちの間でトモコの話題に及ぶことはなかった。
あれから何年の歳月が経ったのだろうか、最後にトモコと川崎で会った夜から10年以上が経っていた。
その10年の間、私においても、公私にわたり様々な出来事があった。
正直、心身ともに疲れてしまったうえ、性と死の問題から、そろそろ生と死の問題へと移行する年代になっていた。
緑の草花が氾濫し、危うくそれに溺れそうになった青春時代を、轍の思い出として文章に残そうかと思い出した時期です。
私の好きな哲学者にヘレニズム時代に活躍したエピクロスがいます。
彼の倫理学的思想というものは、快楽主義といわれます。
この快楽という言葉、一般的に私たちが思う直感的刹那的な享楽を意味するものではありません。
一言でいえば、最大の快楽は肉体的にも精神的にもまったくの苦しみがないこと、つまり刹那的な享楽を動的快楽というのに対し、彼は静的快楽というものを主張したわけでして、これこそが成長した私の生きる指針のように思えたのです。
もっとも、エピクロスがその境地に至るまでには紆余曲折があったと思うのは、あえて最初に快楽主義というワーズを用いた事からも推測できます。
私が青春時代に掲げた快楽主義も、エピクロスがいうところの静的で持続的な無苦痛の快楽、つまるアタラクシアへと進化発展したということです。
頭髪の先が抜けるかのように、少しづつ心に尖った部分が欠けていき、野心のようなものも自分は特別だと思うような気持もなくなってきたのです。
細々と我が狂熱の青春時代を小説にでもしてブログにアップしようかなと思っていた頃です。
久々に陳さんから連絡がありました。
陳さんもまた、正業に加え、実弟が八王子市内で中華料理屋をオープンするということもあって、それを手伝ったりもしていて、忙しい日々を送っていたのです。
実際、会うのは3年ぶりになるのかな、私は休日に陳さんの実弟の店まで、電車を乗り継ぎ赴くことにしたのです。
私、陳さん、陳さんの実弟、三人で昼間からビールを呑みながら、それそれは会話に盛り上がっていたときです。
事業欲の強い、陳さんの実弟が、将来の夢を滔々と語っていたときです。
「あぁ、事業といえば思い出したよ。レインさん、トモコって覚えてるかな。」
「おぉ、懐かしいですね。覚えてますとも。」
意外な名前が出たことに、脳が刺激されたのか、いやそもそも十分な刺激体である、その名前が、まざまざと不思議な色をもって記憶を浚ったのです。
「なんか、最後、事業をする結婚相手とラオスに渡ったと聞きましたが、彼女がどうかしたんですか。
一瞬、苦いものでも口にしたように表情を曇らせた陳さんは、こんなことを言ったのです。
「俺は、レインさんのように受信拒否設定はしていないからね。2か月位前に、トモコから続けざまにメールがあったんだよね。勿論、返信はしなかったけれどね。」
慎重に言葉を選ぶ陳さんに、私はなぜか胸騒ぎがしたものです。
「なんか、トモコ、東南アジアからはすぐに帰国したらしいね。相手に騙されたと言っていたよ。その後、紆余曲折があったけれど、今では一人で生きていく決心をしたと言っていたんだよね。」
「ほぉ、それはいいじゃないですか。当時の彼女はちょっと危なかったからね。」
なんとなく、ホッとした気分になった私ですが、次の言葉を聞いたとき、思わずビールを吐き出しそうになったのです。
「トモコ、去年から歌舞伎町の風俗店で働くことになったそうなんだよ。人妻倶楽部っていうの?人妻のふりして、エッチな事をするヘルスっていうことかな。本番無しの店。」
人妻倶楽部・・・。
霞の彼方の記憶ですが、確か、トモコは昔風俗嬢だけは絶対に二度とやらないと口にしていたのを想起したものです。
陳さんの話をまとめ、それに私の推測も交えると、その後のトモコの軌跡というのはこんな風になるのではないかと思いました。
何らかの事情で日本にいられなくなり、東南アジアに逃避行した男、おそらく、彼も今後の異国での生活を不安で仕方なかったのだと思います。
そんな状況下で、当時、婚活に胸をときめかせていたトモコと再会した。
しかし、ラオスでの生活は厳しいもので、コンビニ事業もままならず、日本円にして3万円程度の月収がやっとだったのではないか。
物価が安いので3万円程度でもなんとかやっていけたが、日本の公団住宅生活でさえ、ままならなかったトモコが、貧国ラオスでなど生活を続けられるわけがない。
おそらく、盲目の恋と焦燥の勢いが自分を外交官婦人のような気持にさせ、幸のランデブーを決行してしまったに違いない。
愛だけは何でも超えられるなんて、昔語っていたトモコですが、結局、いつも途中の障害で躓いてしまうことは学習したはずじゃなかったかと思った私です。
それでも、1,2年間はかの地で、肌を寄せ合い、仲睦まじい時期もあったのでしょうが、やがて彼女だけが帰国してきたということか。
帰国して、しばらくは何をやっていたのか、それは想像もできませんが、昨年になって、歌舞伎町に舞い戻り人妻倶楽部というファッションヘルスで働くことになった。
昔取った杵柄とはいうが、40歳を過ぎた彼女が、手っ取り早く金を稼ぐにはそのくらいしか道はなかったのかもしれません。
しかしです、人妻倶楽部における彼女の働きぶりというものを夢想したものです。
ウェディングヘルス嬢時代に名演し多くの男を虜にした若き初々しさや躊躇いももった甲斐甲斐しさとは違って、おそらく、今度は熟しきった淫乱の美人妻の不倫現場を美事に演じ、人気を博しているような気もしたものです。
本来、彼女は愛と平和に満ちた平凡な家庭を夢見たはずで、彼女なりにそのための必死の努力もしていたわけです。
あれだけの美貌とバイオリンの才能を有しながら、結局、平凡な花嫁にも普通の人妻にもなれなかった。
しかし、ふと思ったことがあります。
平凡な花嫁にも普通の人妻にもなれなかったとはいいましたが、その分、彼女はその情熱を異端の道で成し遂げたとはいえないだろうか。
私の好きな諺で、桜梅桃李に我が身咲ききれというものがあります。
鎌倉仏教期における日蓮上人の言葉ですが、これは梅の花はどんなに努力を重ねても桜の花は咲かせられない。しかし、桜に劣らない美しい梅の花を咲かせられる。桃も杏もしかりということで、人間誰しも、それぞれの芽というものを持っているわけで、いずれは皆が他に見劣りしない素晴らしく美しい花を咲かせられるという自然の摂理仏法的に謳ったものです。
トモコはその人生においてどんな花を咲かせているのか、私はこんな風に考えてみたものです。
アンリ・ルソーの絵画に現れるような秘境の湖畔、その周囲に生育するような不思議な木立。
しかし、その木立に咲く花の美しさには、多くの者が酔いしれ、決して桜に劣るものではない。
秘境に咲く花・・・。
そして、その周りを、数匹の胡蝶が乱れ飛んでいるのが脳内映像に浮かび上がったものです。
私にとって、トモコはやはり興味深い面白い人間だった。そして、凄い女だった。
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