その年の真夏の夜、新宿西口交番前に、トモコは姿を現わせた。

 

 4年ぶり位だったかな、薄い紫色のサマージャケットがやはり女優のような艶やかな容貌とあいまって、高価なイメージを与えた。

 

 交番前に早くから佇んでいた私でして、少し時間に遅れて、特徴的な意味深の微笑を浮かべながら、こちらに向かってくるのが遠目からもわかった。

 

 「久しぶりね、レインさん。」

 

 とても上機嫌にそして可愛げさを意識するかのような笑顔を振りまく彼女です。

 

 中肉中背に長い黒髪、しっとりと情感溢れる目元と端正な顔立ちは相変わらずだったものの、どこかその美貌に陰りというか疲れのようなものが際立っているのにすぐ気づいたものです。

 

 「NSビルにでも行かないかい、あそこは予約なしでも入れる店が多いからさ。」

 

 そんなことをいう私に、やはり彼女は可愛げさを意識したかのように微笑む。

 

 なんだろうな、彼女は男性に対する身の処し方が昔から天性のように巧く、甘え方や媚の売り方もお手の物であったはずだ。しかし、プライドが高い彼女にとって、それは最後の手段というか奥の手のようなものであり、4年位前に交流があった際は、少なくとも私に対しては、上から目線でこそあれ、絶対にそういう甘えんぼぶりのようなところはみせなかったものです。

 

 それが今回再会しては、別人のように可愛い妹のような雰囲気を演じているのが不思議だったものです。

 

 高層ビル街の根っこが環状線のように交差する新宿西口の地下通路を歩きながら、やがてオートウォークで一列に並んだ。

 

 前に位置した彼女でして、その肩までに揺れる黒髪を見つめながら、私は、ふと彼女と出逢った約8年前の偶然を脳裏に思い浮かべてみたものです。

 

 当時の私は30歳になったばかり、まだまだ人生にはどうにもならない宿命の壁があることに気づいていなかった。

 

 少年時代から、親が敷いたレールの上を特に逡巡することなく、平坦時のジェットコースターに乗って鷹揚に進んできたような感じだった。

 

 ジェットコースターというものは、その本質として急坂への上り下りが何度も繰り返されるわけで、人生にはそのような過激な坂があることさえ気づかなかった当時の私です。

 

 数度目の絶教時、それまで純粋培養的に育ってきた私の脳には真面目なサラリーマン生活に対する嫌悪のようなものがむくむくと湧き上がってきたのです。

 

 社会人には目に見えない過激な競争があるということを本能のレベルでも知れなかった私は、30歳になった頃から、一生涯をしがないサラリーマンで終えることに懐疑を抱くようになり、なんだか辞めたくなってきたのです。

 

 当時の私は、虎ノ門に本社のあった大きな会社に勤務しており、身分も給与の面でも安定していた。

 

 しかし、若い頃というのは、身分の安定だけでは満足しきれないところもあり、サラリーマンとしての自分に限界を感じるとともに、未知なる世界への冒険心で、いつしか脳裏は占拠されるようになります。

 

 勿論、当時は、普通に結婚して平凡なる家庭を持つなんてことは一顧だにしなかった。

 

 現実から逃避するように、私は新橋界隈を舞台に酒色に溺れるようになります。レインは突然変異的に狂いだした、そんな噂も職場で聞こえてきたものです。

 

 ハムレットとドン・キホーテが混在するかのような私のよすがになったのが、烏森神社近くにあった小さなスナックでした。私より一回り年上の川島さんという中年の独身男性が経営する「クローバー」という名のお店でして、私は週のうち3回は顔を出すようになり、次第に水商売の世界に魅力を感じるようになっていくのです。

 

 「クローバー」を根城に、私は人生史における狂乱の時代に突入します。

 

 狂乱の時代にも狂乱の針路というものが必要であり、私は春の闇のような中で、一つの結論を出すのです。

 

 自分も新橋にスナックを持ちたい・・・。

 

 できれば、男の酒色の欲望に正直な場を提供できるような店がいいな。

 

 当時親しくしていた友人二人に相談して、本当に実行に着手しだしたのです。

 

 閑話休題。

 

 トモコのなぜかいそいそとした後姿を思い出しながら、私は、自分の店を持ちたいという痛烈な希望に満ちていた当時を瞼に浮かべたものです。

 

 自分語りが長くなりましたが、半私小説なので、もう少しご容赦ください。

 

 当時、私には親しくしていた夜遊びの供が何人もいたものですが、そのうちの一人、Mさんは私より年長の国家公務員でしたが、私とは非常にウマが合い、彼もまた私の快楽スナック設立に際しては協力を惜しまないと言ってくれていたのです。

 

 そのMさんと歌舞伎町で痛飲した土曜日の晩のことです。

 

 どこまでも続くようなネオンの川辺で、彼はこんなことを言い出したのです。

 

 「そうだ、レイン君、今夜はイメクラに行かないかい。俺、一度行ってみたかったんだよな。」

 

 花園神社の裏側で、淫靡に笑うMさんです。

 

 今は知りませんが、当時は風俗業界にあってイメクラというジャンルが隆盛していたものです。

 

 イメというのはイメージの略であり、要するに男性の性的妄想を掻き立てる各種シチュエーションをコスチュームで演じる嬢がソフトな性的サービスを提供するという業態です。

 

 スチュワーデスや女教師編、それにバニーガールや振袖美女など、まさに何でもありな雑然と過激に抱擁された歌舞伎町を象徴するかのような有名な店が区役所通りに存したのです。

 

 あまり乗り気ではなかった私ですが、熱心なMさんの誘いを断り切れず、最終的には彼に袖を引っ張られるような形で、林立するバービルの中、ミラーボールで艶やかな照明がひと際目立った「フラワーズ」というイメクラ店の自動扉の足元を踏んだのでした。

 

 その当時、偶然、フラワーズでウェディングヘルス嬢として働いていたのがトモコだったのです。

 

 ウェディングヘルス嬢・・・。

 

 これは純白なドレスに身を包んだ、風俗嬢が新妻として甘味な夜の一時を客と過ごすというもので、トモコの場合、そのコスプレだけではなかったものの、自分は花嫁姿が一番性に合っているし、得意なんだよと、初めて逢った晩、私に語ったものです。

 

 しかし、堂に入った花嫁としての振る舞いや新妻の機微溢れる仕草には経験者でなければできないっじゃないかと感じたものです。

 

 しかし、当時のトモコは24歳、結婚どころか今までに結婚を考えた男性と知り合ったこともないといっていたものです。

 

 彼女の彫の深いその美貌と女らしいなで肩を見つめ、私はふとインスピレーションを得たのです。

 

 私が近々起ち上げたいと計画している快楽教的スナックの従業員として手伝ってもらえないだろうかと。

 

 水商売の経験はないけれど、興味はある。それに周囲に厚壁を立てるように隠し通して働く風俗業には最近疲れてきたとも語っていたのです。

 

 それから、私とトモコとは頻繁に連絡を取り合うようになるのです。

 

 当時は、私が初めて携帯電話を手にした頃の時代でして、毎日のようにEメールのやりとりをするようになったのです。

 

 しかし、私の快楽教的スナックの設立は頓挫した。経緯は省略しますが、それに加えて、当時のトモコの背後にはちょっと危ない男性がいることもわかり、連絡も絶え絶えになっていくのです。

 

 そうこうしているうちに、トモコから入籍しましたというメールをもらったのが物語進行時点から約3年前。

 

 やがて、私たちはNSビルの展望エレベーターに乗り込み、夜景の見えるイタリアンにてワインで乾杯ということになったのですが、彼女の場合、余程話を聞いてもらいたい相手が欲しかったのか、饒舌にそしてまくしたてるかのように最近離婚した元亭主との修羅場やら精神病院に入院してしまった話などをするわけです。

 

 ウェディングヘルス嬢としては、このうえなく完璧な新妻を演じきった彼女が、現実の結婚生活においては、このうえなく不適格な新婦として堕ちていったという点が、なんだか不思議な気がして解せない私です。

 

 

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