ワタシはどちらかというと自己主張するのが嫌いな性格でして、よほど親しい人にしか自分で自分が勝手に思う良い面については語らないものです。マイナスの面についてもしかりです。
だから、ここは決して自分史を語る場でもないので、事実の羅列に話を進めたいところです。
ところで、その当時、ワタシはカルチャー教室の各種講座のようなものに凝っており、大抵の社会人には一日位は自由になる日があることかと思います。
市民講座や一日体験なんかを通して、いろいろな世界を休日に覗き込みたいものだと思っていたわけです。
なんだか、都心のクラブだとかそういう酒色の世界には飽き飽きしていた時期だったのかもしれませんね。
そんないい加減な感情で、精神対話士の講座に5月の連休+翌週の土日と通ってみたわけですが、講師陣が凄まじかったものです。
老齢な名誉教授や、有名な病院長、名の通った哲学者とか宗教家など・・・・。
これだけのスタッフを揃えるとは、事実、滅多に聴けない講義ばかりでして、当初は高額に思った受講料も安いとまでは言わないけれど、相応なものだと感じたものです。
しかし、最初の講堂に入って、しまったと思ったというのはこういうことです。
200人位の受講者の99%が女性でして、しかも40歳以上の中年女性ばかりが目立つ・・・・。看護師がハクをつけるために・・・・という話も後で聞いたものです。会場の男子トイレは臨時に共同になっている・・・。
会場を見渡しても男の姿は見られない。遠くにひとり、なよっとした感じの長髪の若者と、その側に初老の白髪の男性を見いだしたくらいです。
これだけの女性の世界にまぎれ込んだのは生まれてこの方初めてのことで、少々照れ臭くなってしまったのです。
しかし、ワタシが本当に来るんじゃなかったと最初に思ったのは、そんな聴講生の女性集団からではありません。
最初に精神対話士なるものの説明的講義を聴いて、なるほどな、そりゃそうだろうと悟ったことからです。
精神対話というのは、対話を要求するクライアントのもとへ駆け寄り、決して、その孤独やら心の病を除去する治療的意味をもつものではなく、一緒に話せて楽しかった、よかった、生きる力を味わえたという素晴らしい時間を与えることだとのことです。
単なるコトバだけではなく、全存在的な魅力ある自分を提供して、癒しの瞬間を提供する。
そうだとすると、或る程度の人生経験が必要になってくるのは当然で、受講生に年齢層が高いのは頷けるものです。
クライアントは老人ホーム等の孤独な老人というのが多いそうですね、あとは友達がいなくて不登校になった人たちや、鬱などで一歩も前に進めず、その者の親からの依頼がある場合が多いそうです。
最初の講義を聴いていて、ワタシはすぐに当然の事理に気づき、なんでオレはこんな基本的なことに気づかず、ここに来たのだろうと思ったのです。
お金を出してまで、対話を求める人たち、その99%が女性だからです。
20歳のころ、占い会社でアルバイトをしていたときもそうでした。あれは男の中でも悪い男が経営していたものですが、占い相談に来るのは100%が女性だったことを思い出したのです。
精神対話士の世界でいえば、癒しを求める者が女性、それに応える者も女性・・・・。
男より女の方が精神的に弱いのか、よくはわかりませんが、精神対話の世界には、どうも女対女を想定してできているような感じがして(もちろん、現在立派に活躍する男性対話士はたくさんいますので誤解なきようにです。)、苦笑しながらも、一種の教養のような感じで講義を聴きだそうと思ったワタシだったりします。
しかしですね、対話技術というものには非常に心奪われたものです。死ぬほど苦しんでいる者への対話実践技術、これは著作権に触れるかもしれませんので、これ以上は話しませんが、とても勉強になったものです。
まあ、明るい聞き上手というのは大切なことですね。
或る老齢な大学教授は、不美人だけど人気抜群なホステスこそがこの仕事に向いていると断言していたものです。
いろんな技術を先生方の実践経験に基づいて話していく。なかには自分もうつ病で一緒に治すために頑張ったという話も聞いたものです。講義のたびに、あちこちの席から、聴講生の女性たちから嗚咽がこだまします。なかには机に突っ伏す者もいるほどでした。
レポート提出事例では、17歳の不登校女子との精神対話でしたが、男のワタシが書くのには非常に困ったものがあったわけです。
彼女の心を癒すために全身全霊を込め、一緒に死んであげるよ、手をとりあって・・・・・。なんていうことは、やはり、これはまずいものがありますよね。しかし、なんとか書き上げたものです。
講義の狭間の昼休みは長く、ワタシの場合、居合に熱中していた時期でして、忙しい社会生活ゆえ、その昼休み時間に学内の裏で独り型稽古を試みていたりしたものです。
人を活かす術と人を殺す術・・・・・。
自分の脳内が一番混乱していた時期だったと思います。
その日の午後の講義でのことです。
お金はどうでもいいや、もうやめようかな、なんて思っていたワタシの耳に人生の根幹を揺るがすような時間が与えられることになるのです。
ターミナルケア・・・・・。
末期癌患者を始めとして、人生の最期をおくる人たち・・・・・。
いってみれば、精神対話士の究極的な職務は、こんなところにあるのではないかと思うものです。
彼ら彼女らを前にして、対話士はどんな接し方をすればいいのだろうか。
その講義を境にして、ワタシは死生観というものを我が身に鱗のように身につけるようになるのです。
自分自身の属性が対話士に向かないことはよくわかったわけですが、今でもあのときの講義には忘れ得ないものがあります。
それでなくとも、うるさいオバサンたちの嗚咽があのときは小鳥の囀りのように聞こえたものです。
この講義はその後ワタシの実体験にも影響を有することになるのです。
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