コマ劇場前、去りゆく彼女の背後に、激情のまま手裏剣を頭上高く振り上げた彼・・・・。
そのとき、彼の背後にどこかで聞いたことがあるような野太い声がこだましたのです。
「おい、オマエ、何をやっているんだ・・・・。」
「えっ・・・・。」
振り向いた彼は、思わず腰を抜かしそうになってしまうのです。
「ちゃんじゃないか・・・・!えっ、去年死んだんじゃなかったのか。」
なぜか、歌舞伎町の人混みの中、着物姿のまま、やがて彼の目前に歩を進めます。
「オマエ、子供の頃からな、オレが教えた手裏剣をよ、こんなところで使っているんじゃないぞ。」
「・・・・。」
懐かしい少年時代の丘上の春風の田園風景が脳裏によぎります。
本当に面白くて優しいおじちゃんだった・・・・。今まで生きてきて一番オレに優しい人間だった・・・・。
毎週土曜日、小学生の頃から這いずるように一時間もかけては通ってくる自分に手取り足取り教えてくれた手裏剣の師匠でもある。
その師匠がいったい全体、なぜこんなところに・・・。
「オマエ、覚えているか、あの大雪の日・・・・。交通もマヒしてな。雪のなか、歩いてオレの家まで来たことあるだろう。オレは本当に嬉しかったんだぞ・・・・・。」
「そうだよね、オレはね、終わった後、ちゃん達の家族とさ、夕飯を食べたかった、それだけだったんだよね。」
「東京は思ったより寒いな、ここまで来る間にな、焼鳥屋を探したんだけどな、一杯やるか・・・・。」
右手で酌をする格好の師匠でして、思わず彼の頬がほころびます。
「ついて来いや、でもな、オマエも、そろそろ男になれや・・・・。」
「男になれ・・・?」
「今が一番辛い時期かもしれねぇな。でも、喜べや、こんな辛い時期を与えてくれたことにさ。だから、男になれるんだ・・・・。女がな、惚れるのはな、よく覚えておけよ、男なんだぞ。」
「・・・・・。」
裏道へと進むちゃんでして、後をつけていこうと笑みのようなものが彼の頬に浮かんだときです。
コマ劇場前からやがて靖国通りへと入るパチンコ屋の角を曲がるときです。麗子はその曲がり角で、最後に一度だけ背後にきっと自分を見つめているはずの山田に一瞥をくれたのです。
えっ・・・・。
なんなのでしょうか。
そこには、彼女が愛してやまなかった、困ったような困っていないような正直な彼の笑顔が巨大なシーンのまま浮かび上がっていたからです。
そして、頭上高く振り上げた右腕には、彼女の海外での生活を誰よりも祝福する優しい風に包まれていたからです。
そのとき、彼女の胸のなかには、初めて彼のもとへ帰りたいような熱き気持ちが泉から湧き上がり、後ろ髪を引かれる思いで慌てて曲がり角へと歩をすすめたわけです。
彼女にとっては、絶えてこよなく仕合わせな旅立ちの夜だったのかもしれません。
この話はここで終わるほど単純なものじゃありません。ワタシが本当に話したいのはここから先です。
それから7年の歳月がたちます。
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