山田が英国BBC放送で日本古武術紹介の取材を受けて大成功を博した当時、ワタシは文筆の仕事をしていたものです。

 

 

 だから、大したこともない雑誌社にですが彼を売り込もうとするちょっとしたノウハウも持っていたわけでして、具体的にはこんな企画を考案して、彼に勧めてみたものです。

 

 

 大リーガー投手も驚嘆するあの天才的手裏剣のコントロールと武術としての刺突の威力、それを紹介したうえで、どうだろう、その叔父さん伝来の流派の歴史と技術の解説を書いてみないか・・・・。

 

 

 しかし、彼は絶対にクビを縦にふらなかったものです。

 

 

 門外不出、それはおじちゃんの代で途絶えたはずの函館五稜郭最終戦争の遺言だ。それに、自分でもなぜこんなにも正確に的に鋭く当たるのかよくわからない、口伝で教わったわけだし、巻物も残っていない。それに、自分は文章を描くのがすごく苦手だといっては、頑としてはねつけられたのです。

 

 

 自分でもよくわからない・・・・。

 

 

 まあ、これはどんな分野であれ異能に極めた人間には、よく口にされるコトバです。

 

 

 なぜ、自分はこんなにも崇められるのか、そしてそのような能力を有しているのかわからない、それが男としては理想的な気もしますし、一番憧憬する世界です。

 

 

 さて、麗子にフラれて意気消沈して自室で酒浸りの日々を送っていた初春、成人式のころです。

 

 

 ふと、彼は、自分の百発百中の手裏剣術を科学的に解明して書にしてみないかという以前のワタシからの話を思い起こしたようです。

 

 

 書いてみようか・・・・。

 

 

 それが彼女の心を自分に呼び戻すための設計図になるのではないだろうか。

 

 

 自分の唯一の特技、手裏剣は世界中に地味ながらも放映された。もしかしたら、日本史上最高の技術なのかもしれない。今は苦しくて刺さりもしない状況だが、以前はまさに絶対百発百中の神の域といわれたわけです。

 

 

 この技術を、別れ征く麗子との関係修復に応用できないだろうか。

 

 

 彼がおじちゃんに教わった口伝の世界を、そういえば、一度も考えたことはなかった。

 

 

 なぜあそこまで合理的に的中するのか、血走った眼でパソコンに向かうことになるのです。

 

 

 手の高さ、肩の動き、左足の踏み込み、手離れの一瞬など・・・・。

 

 

 いろいろ考えていくうちに、彼は確信したものです。

 

 

 これはどんな的でも確実に射止めるおじちゃんから教わった最高の技術ではないか。

 

 

 どうして、彼女のハートを射ることができないのか。まだ2ヶ月以上の間がある。

 

 

 しかし、この理屈を応用するには、そもそも、手裏剣と的とがなければ実世界に応用できないわけです。

 

 

 的は彼女なわけですが、彼女はもうすぐアメリカに行ってしまう、いくらオレでも太平洋をはさんで手裏剣を彼女の胸に轟かせるわけにはいかない。だから、まだ2ヶ月彼女が日本にいるうちになさなければ・・・・。

 

 

 そして、鉄片の手裏剣というのは、これはオレ自身のことなんじゃないだろうか。

 

 

 彼女を固定して、自分の全身全霊をもう一度熱く語りかける・・・・。

 

 

 まずは、その状況設定を考えるべきであって、次に考えるべきは構えである・・・・。

 

 

 自然体・・・・。

 

 

 自然体というのはどういうことか・・・・。

 

 

 やがて、彼の心中には一つの壮大な想いが、成就の楽しみのような感じで湧き出ることになるのです。

 

 

 一度も失敗したことのない、必中の技。必ず成功するに違いない、しかし、そこまでやって成功しなかったら・・・・。

 

 

 これは潔く諦めるのが男だ・・・。そこまでやったのだから・・・。

 

 

 しかし、時間がない。

 

 

 的と手裏剣の設定を冷静に考え、自然体の構え、続く手離れのタイミングやら重心移動について、狂気の中鎮静剤を打つかのような気持ちで考える彼だったのです。

 

 

 

 

 

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