エッセイというものには、詩歌や諸論文のように決まったルールと
いうものがないそうですね。
 
 
小説におけるストーリー性というか物語の展開のようなものとも無
縁で、ほんの少しそのモノマネをしたくなってみた次第です。
 
 
数日前の4月1日の事だ。
 
 
その日は前日からの小雨が続き、昼過ぎにしてもひんやりとした天
空でした。
 
 
私は昼過ぎから夕刻までぼんやりと自宅で過ごし、それから最寄り
駅にある中華料理店に書物を一冊、春物の上着のポケットにしまっ
てはカオを出したものです。
 
 
書物というのは、人間の脳について、その道の大家が素人向けに
書いたものだ。
 
 
エビチリを肴に生ジョッキをすすめていくうち、いつしか、私の脳が
その脳について書かれた書物についていくことが難しくなった。
 
 
自然、とりとめもないことがビールの泡の如く浮かんでは消え、ま
た小波のように浮かんでは、一人静かなときを過ごしていたので
す。
 
 
酔い心地のまま、ふと思った。
 
 
なぜ、今日、自分はここにいるんだろう。
 
 
ああ、そうだ、今日は本来甥っ子と近くの川まで釣りに行く予定だ
ったんだよな、それが昨日来の雨で中止になったことを思い出した
のです。
 
 
それと同時に私は妙な事を同時に思い出したのです。
 
 
妙な事というのは、ちょうど6年くらい前かな、その甥っ子が幼稚園
の年長組を卒園し小学校に入学せんとする時期の事でした。
 
 
彼と彼のパパを連れ、今回と同じ川辺に夜釣りに行こうという話が
あったのです。
 
 
ところが、パパの都合でだめになった。
 
 
私一人で園児を夜釣りに連れていくわけにもいかず、生まれて初め
ての釣りを楽しみにしていた彼に、中止を告げたときのことです。
 
 
昼間だったな、中止の宣告と同時反射的に、園児のスモックを着た
彼は、陽光を背に非常に険しい表情でこんなコトバを私に向けたこ
とを思い出したのです。
 
 
ブタ、ブタ、ブタ・・・。この根性なしのブタ野郎!
 
 
条件反射的に出てくるあたり、何かの漫画でみたコトバなんでしょう
ね。
 
 
怒った私が、ヘッドロックしても謝りません。
 
 
それどころか、そばで見ていた私の老母は、私に向って、そういえ
ば、おまえは昔から根性なかったからね、なんて言っては、甥っ子
の言い分に感心する次第。
 
 
中華料理屋で、ひとりそんな昔話を思い出しては、ニヤリと思い出
し笑いをする私ですが、ふと昨日、雨による中止宣告を告げたとき
の甥っ子の反応を思い出したのです。
 
 
明日は雨で寒いから釣りは中止だな、私。
 
 
そうだね、いつでも行けるんだから、今回はやめておこう、甥っ子。
 
 
この根性なしのブタ野郎というコトバは出なかったものの、私はあれ
から6年の歳月が経ち、甥っ子もついに小学校を卒業することに気
づき、こんな心境を得たのです。
 
 
      月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
 
 
これは、いうまでもなく、松尾芭蕉の名句でして、月日というのは、
永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては
来る年もまた旅人と同じであるという意味です。
 
 
ホントそうだよな、中華料理店に来るまでに見かけた桜の蕾を瞼
に浮かべ、心中、感銘をうけたものです。
 
 
時間は永遠かもしれないが、自分にとっての時間というものは限
られている。
 
 
生きている限り、旅する場所も時間も限られている、自分は今ま
で何をしてきたのか、そしてこれから何をしたいのか、私の脳は
石を投じた池波のようにとめどなくいろんな思いに駆られたもの
です。
 
 
ポケットに入れて持ってきた脳に関する本は、いわば脳の整然性
について書かれたものなのですが、私の脳はなんだか無秩序な
ものになってきたものです。
 
 
過去の思い出やら、今後の事、エッセイ風にブログに書いてみるの
も悪くはないかな、ふとそんなふうに感じては最後の一滴を飲み干
しては重い腰をあげることにしたのです。
 
 
自宅に戻って、スマホを手にやるや、一件着信履歴が残っているの
に気づきました。
 
 
初めてみる携帯番号、誰からかなと思って、折り返しの電話をかけ
てみると、それは甥っ子からのものでして、受話器の向こうでは元
気な声で、結局、今日は釣りに行ったのかと聞きたくて電話したと
のこと。
 
 
私は瞬間こんなことを言ったものです。
 
 
ああ、行ってきたよ、大きな鯉が釣れて、今鯉こく料理を作っている
ところだ。
 
 
えっ・・!
 
 
ほんとに!
 
 
驚く、彼に私はすぐさま返答しました。
 
 
嘘だよ、今日は4月1日、エープリール・フールだろ。
 
 
なるほど・・・。
 
 
受話器の向こうで苦笑する甥っ子です。
 
 
エープリール・フール、なんだか、先ほど中華料理店で思った人
生の来し方そのものにもそんなことを感じたものでした。
 
 
小雨もようやく止んだようでした。