死刑判決が下った以前に、日本の「裁判員制度」は大問題だと思う。
無作為に選ばれた市民が、仕事も休んで前例のない凶悪犯の死刑判決に関わるなど、ある種の拷問ではないのか?
テレビの画面を観る人にとっては「凶悪犯なんて死刑でいいや」と安易に思うかもしれないが、当事者にさせられた裁判員にとっては、全く気楽な立場でいられなかったことがインタビューを通しても伝わってくる。
──欧米に眼を転じると、死刑制度はむしろ廃止の方向に向かっている。
もし、日本で死刑が廃止された場合でも、裁判員にとっては「死刑判決」を下しだ事実は一生ついて回る。
この厳然たる事実に気を病む人が少なからず現れるのではないか?
死刑が廃止にならなくとも、人の生死に関わった事実はあまりに重いと言える──それが犯罪者でもだ。
裁判員制度は年を経るごとに大きな問題点が明らかになるはずだ。
常識的に考えれば、裁判員制度は民事裁判から始めるべきところを、日本ではなぜか刑事裁判から始めてしまった。
であれば、裁判員の役割は判決にまで踏み込むことなく「有罪 or 無罪」の判断に留めるべきではないか?
そして、有罪の場合の量刑は裁判官が決めるのが妥当であると考える。
https://x.com/shirasaka_k/status/1750697695390597214?s=46
【ドキュメント】青葉真司被告に死刑判決 「妄想の影響ほとんど見られない」責任能力を認定 京都アニメーション放火殺人事件
https://news.yahoo.co.jp/articles/2f9862512e28e3fafe63c8569686f9894b925dc1?page=3
→ 被告はやられたらやり返すという考えをし、京アニへの報復を決意した。被告の攻撃的な性格傾向とも一致し、妄想の影響はほとんどみられない。被告は大量殺人をしないと盗用が終わらないと考えた。こうした被告の考えは性格傾向から理解でき、妄想の影響は考えられない。攻撃手段は被告の自身の考えから選択されており、妄想の影響はほとんどみられない
😢死刑でいいという軽口は、死刑を言い渡す当事者にされてないから言えること、考えさせられる【裁判員制度】