10.2 いとうせいこうさん・浅沼優子さん「ガザを語ろう」Radio Dialogue 180(2024/10/2) 


https://www.youtube.com/live/AHXOPYc10UU?si=3Wi8UH5ctKzEes8K


一説書き起こし


いとう・何日か前にMSFの日本の人から、僕らが行った時の綺麗な病院の写真があって、(ここ行ったなあ)ってところが今年の8月30日にどうであったかっていう写真がおんなじ所から撮られてて、ズタボロなんですね。病院をズタボロにするってことは人間のやることじゃ無いわけですよ。やってる方からしたら、彼らは人間ではなくて、ネズミだとかゴキブリだとか、人間でいう動物だとかいう風に言われているけれども、僕からしてみたら、これをやってる方がその通りだろって言うぐらいのことが起きていて。さらに西岸地区のことが心配ですよね。バングラディッシュの原稿の冒頭にも長く戦争ってこういうことなんだっていう原稿を書いたんですけれど、もうすでにハマスがああいうことをして、反撃を食らうということがある前から、ずっとイスラエルは壁の上から特に何の武器を持っていな人たちを後ろから撃っていた。しかも後ろから撃っているだけじゃなくて、その銃弾は身体を回るようになっていると


安田・ダムダム弾みたいなものですよね


ダムダム弾…拡張弾頭(ダムダム弾)は、着弾時の衝撃で形が変形して直径が拡張する(扁平になる)ように設計された弾丸であり、時に直径が2倍になることもある[3]。 この効果によって弾丸は標的の体内に留まりやすくなり、貫通するよりも運動エネルギーが伝わることで、より大きな裂傷をもたらす。その結果、殺傷力が増し、標的を素早く仕留める効果が見込め、狩猟でよく用いられる。(Wikiより)


いとう・そういうものを撃っているという時点で国際法上も人道という問題からしても、ずーっと戦争はあったのに僕らがそれを気づかなかった。ちょこちょこやってんなあ、紛争かあって言ってるけど。実は相手の国の人数を減らす、国力を減らす、国力を減らして減らして減らして、最後に中に入っていくっていうことで言えば、長い戦争があちこちで実は地球上行われているんだと考えていかなければならないし、それを批判する言語を持たなければならない。そういう意味では、南アフリカの人たちが立ち上がって、法という名でやろうとしたことはとても大きいことだと思いますし、さっきヨーロッパの凋落(花や葉がしぼんで落ちること)といいましたけれども、そういう意味でもアジアとアフリカというものがお互いに組んで、きちんと法的に冷静にこれを批判できる言語、哲学というものを持つべきだし、それをやれないヨーロッパの哲学者というものをきちんと批判する言語を持たなくちゃいけないと思ってます


安田・批判する言語というのをもちろん日本にも向けなければならない言葉もありますし、やはりヨーロッパの国々が問われますよね。特にドイツに関しては、アメリカに次いでイスラエルに武器支援を続け、ガザに対する攻撃が始まった直後もドイツのショルツ首相がイスラエルを守ことはドイツの国是(その国の大部分の政策の方向性を決定付ける、国民の支持を得た方針)であると掲げた上で…私もドイツに取材に行った時に実感しましたけれど、ガザと連帯しようとする人たちが「反ユダヤ主義だ」っていうことで、キャンセルされたり、逮捕されたり…ということで。浅沼さんの周りでもパレスチナルーツのアーティストさんたちもいらっしゃると思いますし、連帯をしようとする人たちもたくさんいらっしゃると思うんですけれど、この間のドイツの国内で起きてきた動きを浅沼さんどういう風に思ってきましたか?


浅沼・この一年でいろんな衝撃的な出来事があって、どこから話そうかという感じなんですけれども。キャンセルが相次いでいることに関して言いますと、ドイツの連邦政府の方針として…方針というか、イスラエルという国家を守ることが国是なので。反ユダヤ主義を徹底的に取り締まるという…それはまあ以前からあったことで、それは良いことだと思って、私も見てきた


安田・本来的に差別を無くそうとすることに立ち返れば、それ自体、否定されるものではないけれど、拡大解釈してませんか?っていう


浅沼・そうなんですよ。例えば「ジェノサイド」っていう言葉を使えない。使ったら逮捕されるとかでは無いんですけれども「ジェノサイド」という言葉を用いることに、ものすごくドイツの人は躊躇するし、ドイツのメディアはほとんど使わないんですね。(じゃあ何なんだ)っていう感じなんですけれども、それくらい、イスラエルの正当性を守ろうとするというか、イスラエル側のナラティブ(物語)を守ろうというふうにマジョリティの人たちは反応していて、おそらく、中には(ちょっとおかしいんじゃないか)と思ってる人たちもかなりはいると思うんですけれども、それを発言できない空気があるんですよね。みんな何も言わないんですよ。本当にサイレンスなんですよ。これが気味悪くてね。元々ドイツ人は議論好きだとか言われたりしますけれど、今までは主義主張が激しすぎるっていうか、みんな意見を言うんだと。私の意見はこうだっていうのを、主張するのが国民性というかドイツの文化だと思っていて


安田・教育も積極的にそういうものを取り入れるって聞いてきましたね。ディベートとか


浅沼・そうですよね。そこを評価していたというか、そこから学んだこともたくさんあって、何も言わないと何も考えてないと思われちゃうから、ちゃんと自分の意見はその都度、言って、自分のスタンスを明らかにして、いろんな活動とか仕事をするっていうのが定着というか…していたので、とにかく、意見を言わない、立場を明らかにしないドイツ人っていうのが、本当に気持ち悪いんですよw


いとう・この間、戦争特集っていうのがあって、石沢麻依さんっていう芥川賞作家の女性の方ですけれども、ドイツに住んでる方でして、ドイツでは基本的に新パレスチナのデモは認められているが、そこではいくつもの言葉が使用禁止されていると。例えば、川から海まで、インティファーダっていうのも、イスラエルの国家を否定すると見なされて、口にしたら取り締まられると。ジェノサイドとか植民地主義とかアパルトヘイトとか民族浄化とかを用いてガザやヨルダン側西岸ことを語ることができないと。これ、言葉の問題でもあるんですよ。多分、第二次世界大戦の前はあっちこっちがこうだったんだろうと


浅沼・これ言っちゃうと、言うのは憚(はばか)れるんですけど、本当にナチスの時代の空気っていうのはこういう感じだったのかなって、想像してしまう。こうやって誰も何も言わないうちに、物事が進んでホロコーストが進んでいったのかなっていう風に実感してしまってるような状態ですね