自己解決してそれで納得してそのまま以降に活かして行くのが
最もスマートな方法なのでしょうけれども 私などの場合では
考えた事がうまくしょうかされずに脳の片隅に澱むのでよくない。
此処は思索の肥溜め。
毒抜きのための行為。
と
結局は元の所に落ち着いたのだけれど
たまに他のブログとかランキングだとかをみてて
これでいいのかととても不安定なきもちになった
明るく、楽しく、時に涙し、立ち直り、そういうものに
ある一種の、しかも永遠の、あこがれがあるのだ。
大多数のものが普通と呼ばれ、見做された異常は知らず萎縮する。
言葉や肌の色よりも、超えがたい壁はこちらの方だと 時におもう。
いわゆる偏見は双方向に存在する。理解を諦めないことが重要。
実際はどうなのか いまいちわからない。皆が猫を被っているかも。
そのほうが社会はうまくまわってくれるから。本当はどうなんだろう。
それぞれ描いた「普通」に擬態して、摺りあわされた究極の普通を。
うまくみつけてそれに擬態したらきっとすごく人当たりの良い人間だ。
私は期待されているとおもわれる役割を演じようとしすぎてまったく
なかみのない、透明人間のようなというか空気のような。なりがちだ。
書き様によってブログというものは良質なコンテンツにもなるとおもう。
ナントカ欲求によってこんな私でも人を楽しませたり役に立ったりしたい。
そういう思いが顕れてきて、きのうはすっかり混乱してしまったのだとおもう。
ま
いろんな日記があって良い。
読みやすさは心掛けたいが。
みんなちがってみんないい。
でも小鳥すごくはしるのはやいよ